MAP OF LANGUAGE / v0.4
言語地図
ことばは、ひと・文化・社会をつなぎ、世界をかたちづくるネットワークです。
すべての記事を、一本の木として並べています。根に根源的な問い、幹に学問の歴史、葉に具体的なテキスト。節をたどれば、それぞれの記事へ。
ToL · Words Connect Worlds 01 — 05
根 — 根源的な問い — 哲学・言語学幹 — 学問の歴史と方法葉 — 具体的な記事 — 文学・文章落ち葉 — 死んだ言語
根
- 文はなぜ「鎖」ではなく「木」なのか? ピンカーが説明する文法の基本設計
- 人は何語で考えているのか? 「思考の言語」(メンタリーズ)という仮説
- 言語は思考を決めるのか? サピア=ウォーフ仮説と「エスキモーの雪の語」の誤解
- 言語だけが壊れる病気、言語だけが残る病気はあるのか? ブローカ失語、SLI、ウィリアムズ症候群
- 子どもは、教わっていない文法を、なぜ知っているのか? 「刺激の貧困」と疑問文の実験
- 子どもは、本当に言語を「発明」しているのか? ピジン、クレオール、ニカラグア手話
- 言語は文化の発明なのか、それとも本能なのか? クモの巣のたとえと、石器時代の文法
- ことばは学ぶものか、生まれつきのものか? ピンカー『言語本能』を10分で
- 『一般言語学講義』は、ソシュール自身が書いた本なのか? 編者の序文を原文で読む
- 言語学は何を調べ、何を調べないのか? チェスのたとえで読む「内的言語学」と「外的言語学」
- 文字と言葉は別のものか? ソシュールが「写真と顔」にたとえた、文字の錯覚を原文で読む
- 言葉は私たちの自由にならないのに、なぜ変わるのか? 「不変性と可変性」を原文で読む
- 言葉の「並ぶ関係」と「思い浮かぶ関係」は何が違うのか? 連辞関係と連合関係を原文で読む
- なぜ言葉は「一列」にしか並べられないのか? 原文で読むソシュールの「線条性」
- シニフィアン・シニフィエとは? 原文で読むソシュールの「記号」の定義
- 言語は「弱いコード」である——自然コード、慣習コード、意味の二つの意味
- 「いじる」はなぜ通じるのか——コードモデルと意図明示・推論モデル
- 言葉はなぜ嘘だらけにならないのか——警戒・評判・ハンディキャップ、そして結論
- 言語は「適応」の産物か——ピンカー=ブルームと普遍文法をめぐって
- 言語はどう組み立てられるか——文化的牽引と、劣化する言語の実験
- 類人猿は意図明示的にコミュニケーションするか——比較研究と社会脳
- 関連性と読心——意図明示コミュニケーションを支える心のしくみ
- コードから意図明示へ——組み合わせ的な信号は、なぜ自然界で稀なのか
- メアリーと野イチゴ——「伝えている」と示すとは、どういうことか
- 『なぜヒトだけが言葉を話せるのか』を読む——言語の前に「意図を示す」があった
- 判定——『こころ』は、日本語学習の教材として、なぜ優れているか
- 精読——鎌倉の浜辺の一節を、文法要素で読み解く
- 「呼んでいた」「こごんでいる」——テ形は、なぜ形を変えるのか
- 「そこにこごんでいる日本人」——修飾語は、なぜ前に来るのか
- 「先生」「その人」「彼」——名前を明かさずに、人を指し示す技術
- 「私は」と「私が」——同じ一語が、なぜ使い分けられるのか
- 『こころ』から学ぶ日本語の基礎——教科書が選び続けてきた理由
- 判定——漱石の日本語は、近代日本語の何を作ったか
- 精読——『草枕』の一節、対句から密度への切り替え
- 方言と俗語を、文学のなかに持ち込む——標準語だけではない日本語
- だ、である、であります——漱石が受け継ぎ、使い分けた文体
- 漢語と和語、二つの語彙——漱石は、どちらも手放さなかった
- 「智に働けば角が立つ」——短い対句が作る、思考のリズム
- 夏目漱石の日本語——近代日本語が形になっていく現場
- 判定——『吾輩は猫である』の言葉の実験は、いまも効いているか
- 精読——「名前はまだ無い」から「ありがたいありがたい」まで
- 餅と「真理」——瑣末な出来事を、哲学の言葉で語る
- 「この馬鹿野郎」と「後架先生」——主人の口癖と、近所のあだ名
- 「御めえは一体何だ」——車屋の黒と、教育のない猫の言葉
- 「吾輩」という尊大な一人称——猫が選んだ言葉
- 『吾輩は猫である』を言語の視点で読む——猫が、尊大な言葉を話す
- 判定——『坊っちゃん』の言語表現は、いまも新鮮か
- 精読——「親譲りの無鉄砲で」。冒頭の一文は、なぜ速いのか
- 清の言葉——お兄様はお父様が、と澄まして言う婆や
- 校長は狸、教頭は赤シャツ——あだ名は、どうつけられたか
- 「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」——通じない教室
- 「篦棒め」——江戸っ子の啖呵は、どう出来ているか
- 『坊っちゃん』を言語の視点で読む——江戸っ子と「ぞなもし」の衝突
- 判定——「私の個人主義」は、いま読んでも通用するか
- 精読——霧、嚢、錐、鶴嘴、鉱脈。一つの比喩が育っていく
- 豆腐屋は、国家のために豆腐を売るのではない——個人主義と国家主義
- 義務なき自由は、自由ではない——個人主義の孤独
- 釣に連れ出される弟——権力と金力は、なぜ危険なのか
- 嚢の中の孤独——自己本位という、たった一本の鶴嘴
- 「私の個人主義」を読む——目黒の秋刀魚から始まる講演
- 判定——第七章「文章技巧」は、いまも実作の役に立つか
- 精読——「チリンと鳴った」——鷗外の擬音詞は、なぜ少ないのか
- 精読——『太平記』の橋合戦——動詞だけで進む、行動の文章
- 行為者自身には、何もわからない——行動描写と、人称の工夫
- 自然が人物を圧倒する国——日本文学の、二つの得意技
- 「そらあの男」——固有名詞と、外貌描写の秘密
- 「文章技巧」を読む——外貌、自然、心理、行動、そして文法
- 遺産と判定——鴎外と鏡花の対比は今も語り継がれ、「日本にロマーンがない」は問い直された
- 精読——男文字と女文字は、なぜ「ロマーン」の議論に戻ってくるのか
- 精読——「水が来た。」——鴎外と鏡花、二つの原文を並べて読む
- 日本に「ロマーン」はまだない——筋に拘泥しない文体を求めて
- 鷗外は、なぜ大長篇を書かなかったのか——日本の短篇小説の、特殊な地位
- 「水が来た」——鷗外の簡潔と、鏡花の絢爛、二種類のお手本
- 「小説の文章」を読む——鷗外と鏡花、短篇と長篇、二つの対蹠
- 遺産と判定——七五調は生き残り、「日本語には抽象概念がない」は三島のエッセイにとどまる
- 精読——「抽象概念はドイツ観念論の用語で代用された」——一つの主張を、二つの箇所から読む
- 歩く文章と、味わう文章——「どりや書見をいたそうか」から週刊誌の時代へ
- 二葉亭四迷が断ち切ったもの——古典文学になった樋口一葉、そして翻訳調の一世紀
- 頭韻のない言語の、頭韻の工夫——万葉集の枕詞から現代の広告文句まで
- 漢字は男文字、かなは女文字——論理と情念の、性による分担
- 「文章のさまざま」を読む——男文字と女文字、韻文と散文、そして味わう習慣
- この本をどう読むか——読める部分、時代の部分、そして作品で確かめること
- 十五の問いへの答え——附録「質疑応答」を読む
- 凡庸さを美しく見せる——第八章「文章の実際——結語」を読む
- 論理の侍女と、八分の功績——第五章「評論の文章」・第六章「翻訳の文章」を読む
- 歩行の文章と、舞踏する文章——第四章「戯曲の文章」を読む
- 普通読者から精読者へ——第一章「この文章読本の目的」を読む
- 三島由紀夫『文章読本』を読む——書く人が、読む人のために書いた、文章の手引き
- 「国語」という課題と、この特集群の限界
- 「語」の筋——辞書、語源、そして語の読み方
- 「文法」の筋——品詞、陳述、文節、そして「部品」
- 「音」の筋——P音、二つの仮名、そして「音とは何か」
- 「近代古典の国語」を一本の線で読む——九人の年表と、共通する問い
- 遺産と判定——「形式名詞」は生き残り、「助詞は単語ではない」は少数派にとどまった
- 精読——「者」「こと」「筈」「ため」——名詞を三つに分けた、形式名詞
- 精読——「學生らしい」は三つの原辞でできた一つの詞——原辞論の書き出しを読む
- 「これ、何をする」の「これ」は、代名詞か感動詞か——直観の詞と、概念の詞
- 九つの品詞が、五つになった——助詞・助動詞は「靴」である
- 「花を」は一つの詞、「を」は部品——言語を三つの階段に分ける
- 松下大三郎を読む——「花を」「月に」を一つの「詞」と見て、日本語の文法をゼロから組み立て直した人
- 遺産と判定——語の生まれ方の見方は残り、「同系」の証明は残らなかった
- 精読——「朝鮮語は我帝国の一方言として」——併合の年に、金沢庄三郎が書いたこと
- 精読——「泣く・嗅ぐ・言ふ・聞く」——動作の語に残った、目・鼻・口・耳の古語
- 東・西・南・北の名は、どこから来たのか——太陽、風、そして人の移動
- 「涙」の「な」は、目の古いことばか——「泣く」との、つながり
- 「雲」から「曇る」、「手」から「取る」——物の名と、動作の名
- 金沢庄三郎を読む——「耳・目・鼻・口」から日本語の古い姿を探り、日韓同系を唱えた人
- 遺産と判定——音の推理は生き残り、「国語」の主張は問い直された
- 精読——「一國一般の言語」——「国語と国家と」は、何を言っていたのか
- 精読——「B=(?)=P」——濁音から、消えた清音を逆算する
- 標準語は、どうやって作られるのか——「もと一個の方言」という考え方
- 「もって」「いって」の「っ」は、どうやってできたのか——促音の仕組み
- 「おこりっぽい」の「ぽ」は、なぜ「ぽ」なのか——ハ行がもとP音だった証拠
- 上田万年を読む——「国語」という枠組みを作り、ハ行はもとP音だったと論じた人
- 遺産と判定——観察は残り、推測は仮説として読む
- 精読——「単なる音韻変化ではない」——酒が「さか」になり、木が「こ」になる理由
- 精読——「言霊の幸ふ国」は、言葉をほめた言葉ではなかった
- 古代の複合語は、順番が逆だった?——「梯(はしだて)」「傍丘(かたおか)」「下沓(したうづ)」
- 「ハイカラ」は、もと悪口だった——「高襟」と「灰殻」の話
- 「いとほし」は、もと「嫌だ」だった——「いとしい」に化けるまで
- 折口信夫を読む——言葉を、古代の人の暮らしと信仰から読み直した人
- 遺産と判定——語源の答えは動いても、新村出の「確かめ方」は残る
- 精読——「漢學者の故事附けで取るに足らない」——「馬鹿」の俗説を、一つずつ検証する
- 精読——「とても使ひえないのである」——「とても」を、原文で確かめる
- 「キセル」はどこの言葉か——新村出が、自分の最初の説を取り下げるまで
- 「右」と「左」は、どこから来た言葉か——ミギとヒダリの語源説を並べる
- 「とても」は、なぜ昔は「とても面白い」と言えなかったのか
- 新村出を読む——一つの言葉の来歴を、証拠で追いかけた人
- 遺産と判定——有坂の法則は動かず、八母音は議論が続き、『音韻論』は問いとして残った
- 精読——「我々は、既に出来上つた音韻制度を親たちから受けついだのである」——音韻の体系は、誰が作ったのか
- 精読——「音韻は寧ろ貨幣そのものに譬へらるべきである」——ソシュールに異を唱えた箇所
- 「ん」の音は、本当に一つか——音声と音韻のちがい
- 有坂の法則とは何か——語のなかで、一緒に現れない母音がある
- 五つの母音が八つになる——甲乙の違いは、どこに出ているか
- 有坂秀世を読む——奈良時代の日本語には、母音が八つあったのか
- 判定——橋本進吉の二つの発見は、いま、どこまで生きているか
- 遺産と影響——学校文法の土台になった文節、そして有坂秀世へ受け渡された八つの母音
- 精読——「實に思ひがけないことであります」——万葉仮名の二つのグループを見つけるまで
- 精読——「その間を切る事はありません」——文節の土台になった、独立する語と附属する語の区別
- 上代特殊仮名遣とは何か——奈良時代の人は、今の「き」を二つの音で言い分けていた
- 文節とは何か——文を「切れる所」で区切ると、日本語の骨組みが見えてくる
- 橋本進吉を読む——「文節」と「上代特殊仮名遣」、二つの発見が日本語の見え方を変えた
- 判定——『日本文法論』は、100年以上のちの日本語学からどう見えるか
- 系譜——「陳述」ということばは生き延び、山田文法そのものは学校に採用されなかった
- 精読——「從來係り詞と稱せられたるもの」——係助詞をめぐる、先人たちとの対話
- 精読——「単一なる思想とは、一箇の統覚作用によりて統一されたるもの」——陳述論の原文
- 係り結びとは何か——古典日本語にだけあった、文末を遠くから決める呼応
- 陳述論とは何か——日本語の文は、最後まで言わないと「何をしたいのか」決まらない
- 山田孝雄『日本文法論』(1908) を読む——全ての先行研究を斬ってから、自分の理論を立てた男
- 判定——『言海』は、130年以上のちの視点からどう見えるか
- 系譜——『言海』の骨格は、なぜ今もすべての国語辞典に残っているのか
- 系譜——国家の事業として始まった辞書、そして「大槻文彦一人」の仕事
- 精読——「此書ハ日本普通語ノ辭書ナリ」——大槻文彦、自らの方針を語る
- 日本語を、日本語で説明する——あまりに当たり前で、気づかれない発明
- 「あ・い・う・え・お」順に並べる、というアイデア
- 大槻文彦『言海』(1889–1891) を読む——日本に「近代的な国語辞典」がなかった時代
- 実際に何が起きたか——アンソニーと、221年越しの答え
- 進歩としての単純化——イェスペルセンの反転
- 例外なき法則、そして人間への一歩——ブルークマン
- 自然物としてのことば——ミュラーとシュライヒャー
- 法則と有機体——グリムとボップ
- 対応の発見——ジョーンズとラスク
- 「ことばはなぜ変わるのか」の系譜——地図をひらく
- 判定——『馬・車輪・言語』は、古代DNA革命を経て、どう見えるか
- 系譜と論争——ジョーンズから続く問いを継ぎ、レンフルーに挑まれる
- 精読——「ヤムナ文化は爆発的に広がった」——祖語が分かれていった瞬間
- 精読——「事実という杭に打ち付けられた物語」——アンソニーの方法論
- 「車輪」ということばが、死んだ言語の年代を教えてくれる
- 馬の歯が語る——「轡(くつわ)」の跡から、乗馬の起源を突き止める
- デイヴィッド・W・アンソニー『馬・車輪・言語』(2007) を読む——200年越しの問いに、考古学が答える
- 判定——ブルークマンの『比較文法要説』は、140年近くのちの言語学からどう見えるか
- 系譜と論争——ボップとシュライヒャーを継ぎ、シューハルトに挑まれる
- 精読——「ボップとシュライヒャーの、ちょうど中間」——ブルークマンによる自己位置づけ
- 精読——序文の脚注一つに刻まれた、青年文法学派の宣言
- 類推——子どもの言い間違いが、言語の歴史を書き換える
- 「例外には、必ず理由がある」——青年文法学派が変えた、たった一つの姿勢
- カール・ブルークマン『比較文法要説』(1886) を読む——例外を許さない世代の教科書
- 判定——シュライヒャーの『比較文法要覧』は、二百年近くのちの視点からどう見えるか
- 系譜——ボップから受け継ぎ、ダーウィンと交わり、イェスペルセンに否定される
- 精読——星印(*)の発明、あるいは「再建された祖語」をどう書き記すか
- 精読——「言語は生きる、しかし歴史は持たない」の原文と、三段階の言語分類
- 進歩ではなく、衰退——シュライヒャーの言語史観
- 言語は「生きている」、しかし「歴史」は持たない——シュライヒャーの不思議な断言
- アウグスト・シュライヒャー『比較文法要覧』(1861) を読む——植物学者が言語学に持ち込んだ、もう一つの自然科学
- 検証——ボップの『比較文法』は、二百年後の言語学からどう見えるか
- 「グリムの見事な文法は、まだ知らなかった」——ボップが遺したもの、そして比喩の危うさ
- -mi から -m へ——語尾がすり減っていく過程を、原文で追う
- 「語根の謎には、手を触れない」——ボップ、1833年の序文を精読する
- 「私は与える」の「私」はどこに消えたのか——ボップの発見を、やさしく
- 文法は、化石ではなく生き物だ——ボップの発想を、やさしく
- フランツ・ボップ『比較文法』(1833/1856) を読む——サンスクリット語という「新大陸」を、文法の一部始終にまで広げた男
- 検証——ラスクの方法論は、二百年後の言語学からどう見えるか
- なぜ「グリムの法則」で、「ラスクの法則」ではないのか
- 似ていても、油断するな——ラスクの比較の実践を読む
- 「語源学は、これまで気まぐれの遊び場だった」——ラスク、1818年の原文を精読する
- 旅する言語学者——ラスムス・ラスクの短くも波乱に満ちた生涯
- 語彙より文法を見よ——ラスクの方法論を、やさしく
- ラスムス・ラスク『古ノルド語(アイスランド語)の起源に関する研究』(1818) を読む——グリムより4年早く、比較言語学の方法を打ち立てた男
- 検証——イェスペルセンの『言語』は、百年後の言語学からどう見えるか
- 「女性」の章を読む——イェスペルセンが真顔で書いた、今なら通らない主張
- ワンワン説、痛い説、チンドン説——言語起源論を、イェスペルセンが一刀両断する
- ピジン語は、崩れた英語ではない——イェスペルセンのピジン語論を読む
- 子どもの言い間違いは、間違いではない——イェスペルセンの子ども観察を、やさしく
- 英語は退化していない、進歩している——イェスペルセンの挑発を、やさしく
- オットー・イェスペルセン『言語——その本質・発展・起源』(1922) を読む——比較言語学の百年を、一冊にまとめた男
- 検証——ミュラーの講義は、百六十年後の言語学からどう見えるか
- 「アーリア人種」ではない——ミュラー自身が、生涯をかけて訂正しようとした誤解
- 神話は「言語の病」である——ミュラーの比較神話学
- 孤立語・膠着語・屈折語——ミュラーの言語分類を精読する
- 「グリムの法則」と名づけ、広めたのはミュラーだった
- 「言語学は自然科学だ」——ミュラーの挑発を、やさしく
- マックス・ミュラー『言語学講義』(1861/1863) を読む——言語学を、満員の講堂の見世物にした男
- 検証——グリムの法則は、二百年後の言語学からどう見えるか
- 「思いつき」から「学問」へ——グリムの法則が言語学に残したもの
- father と brother、なぜ片方だけ「不規則」なのか——グリムの法則の例外と、それを解いた男
- 584ページの表を読む——グリム『ドイツ語文法』第2版・原文精読
- メルヒェン集めと文法研究は、なぜ同じ人の仕事だったのか——グリム兄弟ともう一つの顔
- グリムの法則を、やさしく——father と pater は、なぜ似ていないのに「同じ単語」なのか
- ヤーコプ・グリム『ドイツ語文法』第1部・第2版 (1822) を読む——メルヒェンを集めた学者が、言語に「法則」を見つけるまで
- 検証——ジョーンズの言語の予測は、どうなったか
- 神々の比較——同じ手つきが、どこまで届き、どこで行き過ぎたか
- ジョーンズの発見を、トピックごとに
- 反響と系譜——直観から、法則へ
- 「偶然」でも「借用」でもなく——ジョーンズの比較の論理
- ジョーンズの発見を、やさしく言うと
- ウィリアム・ジョーンズ『第三回記念講演』(1786) を読む——一つの段落が、言語学という学問を生んだ
- 像から使用へ、そして行為へ——ウィトゲンシュタイン、チョムスキー、オースティン
- 本能でも人種でもない——サピアと複数の世界観
- 差異の体系へ——ソシュールと言語学の自立
- 言語は「働き」である——フンボルトの転回
- 文法は心を写す——ポール・ロワイヤルの賭け
- 問いの誕生——プラトンとアリストテレス
- 「言語とは何か」の系譜——地図をひらく
- 判定・権能行使・約束・態度表明・言明——発語内行為を分類する、最後の試み
- 発語行為・発語内行為・発語媒介行為——「言う」の中の三つの層
- 適切性条件——遂行文は、こうして「空振り」し、こうして「濫用」される
- 遂行文と事実確認文——「言うこと」と「すること」のあいだで、線はどこに引けるか
- 『言語と行為』の6つの発見を、一つずつ
- 『言語と行為』を、やさしく言うと
- オースティン『言語と行為』(1962) を読む——「言うこと」は「すること」である
- 「狩人たちの射撃」は二通りに読める——構造のあいまいさと、統語論の自律性
- 否定・疑問・do——一つの分析がすべてを説明する
- 句構造文法の限界——なぜ「受動文」は書き換え規則で書けないのか
- 「無色の緑の観念が猛烈に眠る」——文法は意味でも確率でもない
- 『統辞構造論』の9つのアイデアを、一つずつ
- 『統辞構造論』を、やさしく言うと
- チョムスキー『統辞構造論』(1957) を読む——文法は、意味から独立している
- 関係代名詞と「隠れた文」——一つの語に、いくつの判断が畳み込まれているか
- 動詞の解剖——人称と数、時制、そして「われ思う、ゆえに我あり」の動詞
- 実体詞と形容詞——「白い」は何を、どう意味しているか
- アルノー & ランスロ『一般理性文法』をやさしく読む(後半):動詞は「言い切る」ことば、そして文の中に隠れた文
- アルノー & ランスロ『一般理性文法』をやさしく読む(前半):頭の中をのぞくと、文法が見えてくる
- アルノー & ランスロ『一般理性文法』(1660) を読む——言語のかたちは心のかたちを写す、という賭け
- 明日、海戦は起こるか——未来の偶然と決定論
- 肯定と否定、全称と特称——「対立の四角形」の起源
- 真偽が宿るのは「主張文」だけ——祈りは論理学の外
- 名詞と動詞——動詞は「時」をいっしょに示す
- 「取り決めによる」——アリストテレスがクラテュロスに与えた答え
- アリストテレス『命題論』を読む——ことばは「取り決めによる記号」、真偽が宿るのは文だけ
- 名前からは真理を学べない——『クラテュロス』の結末とイデア論
- 名前は「声によるまね」——ρ は運動、λ はなめらかさ
- 語源の奔流——名前は理論を宿す(そしてそれは冗談か)
- 名前は「道具」である——梭(ひ)と、名前をつくる立法者
- フュシスかノモスか——名前の「正しさ」をめぐる二つの立場
- プラトン『クラテュロス』を読む——名前は「自然」か「取り決め」か、西洋で最初の言語哲学
- 言語類型と「序列」の問題——フンボルトからサピアへ
- 思考を形づくる器官、対話に宿ることば
- 有限の手段の無限の使用——生成文法の源流
- 世界観——言語は民族のまわりに円を描く
- 内的言語形式——言語の「かたち」は音でも規則でもない
- エネルゲイア——言語は「物」ではなく「働き」である
- フンボルト『言語構造の多様性について』(1836) を読む——言語は「作品」ではなく「活動」である
- 規則に従うこと、そして私的言語
- 家族的類似——「考えるな、見よ」
- 言語ゲームと「意味とは使用である」
- 「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」——言語の限界
- 像の理論——「命題は現実の像である」
- ウィトゲンシュタインと言語——「像」から「言語ゲーム」へ
- 価値と差異——「言語には差異しかない」
- 共時態と通時態——言語を「今」で見るか、「流れ」で見るか
- 記号の恣意性——なぜ「木」は tree でも Baum でもよいのか
- 言語と文学——翻訳できるもの、できないもの(サピア第11章)
- 音のパターンから音素へ——サピア第3章と、その後の音韻論
- 言語・人種・文化は別物——サピアの分離論
- サピアの「ドリフト」——言語は時間の流れを下り、自分の勾配を持つ
- サピア『言語』をやさしく読む(後半):かたち、意味、そして言語に優劣はない
- サピア『言語』をやさしく読む(前半):ことばは本能か、音とは何か
- エドワード・サピア『言語』(1921) を読む——ことばは本能でも人種でもない
- langage・langue・parole——ソシュールが「ことば」を三つに分けた理由
- 『一般言語学講義』をやさしく読む(後半):体系はどう働き、どう変わるか
- 『一般言語学講義』をやさしく読む(前半):言語とは何か、記号とは何か
- ソシュール『一般言語学講義』の概要
- 言葉とは?
幹
葉
落ち葉
- (まだありません)