前の記事で、漱石は、権力と金力に、義務と責任が伴わなければならないことを説いた。この記事では、その義務の観念を、漱石がどこから引き出すか——英国という具体例と、個人主義という言葉の定義そのものを見ていく。

英国という具体例

漱石は、議論を進めるために、自らの留学経験から、一つの国を引き合いに出す。「英吉利という国は大変自由を尊ぶ国」でありながら、「英吉利ほど秩序の調った国はありません」——そして、「実をいうと私は英吉利を好かないのです。嫌いではあるが事実だから仕方なしに申し上げます」と、皮肉まじりに付け加える。この率直さは、漱石の議論の運び方をよく示している。彼は、英国人が、自分の自由を愛すると同時に、他人の自由を尊重するよう、子供の頃から教育を受けていると指摘し、有名な言葉を引く。

England expects every man to do his duty といった有名なネルソンの言葉はけっして当座限りの意味のものではないのです。彼らの自由と表裏して発達して来た深い根柢をもった思想に違ないのです。

トラファルガー海戦を前にしたネルソン提督のこの信号文は、単なる戦場の激励ではなく、自由と義務が表裏一体であるという、英国社会に根づいた思想の表れだ、と漱石は解釈する。

義務心のない自由は、本当の自由ではない

この観察から、漱石は、個人主義の核心にある命題を導き出す。

要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。と云うものは、そうしたわがままな自由はけっして社会に存在し得ないからであります。……私はあなたがたが自由にあらん事を切望するものであります。同時にあなたがたが義務というものを納得せられん事を願ってやまないのであります。こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚らないつもりです。

自由だけを求めるのではなく、義務を伴った自由を求める——これが、漱石の言う個人主義である。彼は、続けて、この語の誤解を防ごうとする。他に影響のない限り、「僕は左を向く、君は右を向いても差支ないくらいの自由は、自分でも把持し、他人にも附与しなくてはなるまい」——それが、漱石の言う個人主義そのものである。

党派心のない主義

漱石は、個人主義を、もう一つの角度から定義し直す。「党派心がなくって理非がある主義」——朋党を結び団隊を作って、権力や金力のために盲動しない、という意味である。党派を組まず、理非(善し悪し)だけを基準に判断し、行動する。だが、それは、時に一人ぼっちになることを意味する、と漱石は言う。この「淋しさ」を、彼は自分自身の経験で裏づける。

三宅雪嶺をめぐる事件

漱石は、朝日新聞の文芸欄を担当していたときの、ある出来事を語る。誰かが批評家・三宅雪嶺への批判を文芸欄に載せたところ、彼の「同人」が怒り、事実誤認ではなく単なる論評であったにもかかわらず、撤回を強く求めてきた、という一件である。

それが事実の問題ならもっともですけれども、批評なんだから仕方がないじゃありませんか。

批評を批評として受け止めず、党派として結束し、撤回を求めてくる——漱石は、これを「向うは党派主義で活動しているらしく思われた」と評する。そして、自分自身の態度を、こう述べる。

私は他の存在をそれほどに認めている、すなわち他にそれだけの自由を与えているのです。……そこが個人主義の淋しさです。……それはそのはずです。槙雑木でも束になっていれば心丈夫ですから。

「槙雑木でも束になっていれば心丈夫」——束にならず、一人で理非を判断し続けることの孤独を、漱石は隠さない。

個人主義 理非を基準に、一人で去就を定める 裏面に淋しさが潜む 党派主義 団隊を組み、権力・金力のために盲動 束になっていれば心丈夫 三宅雪嶺をめぐる事件——批評に対し「同人」が団結して撤回を要求 図:ToL(第二篇の議論による)
個人主義と党派主義の対比。図:ToL

読むうえで、確かめておきたいこと

第一に、ネルソンの信号文の解釈は、漱石自身のものである。 「England expects every man to do his duty」は、歴史的には、トラファルガー海戦(1805年)で実際に掲げられた信号文だが、それを「自由と義務が表裏一体である」という思想の証拠として読むのは、漱石の解釈であり、英国史学上の定説として確認されたものではない。

第二に、三宅雪嶺(1860–1945)は、当時の代表的な評論家・思想家である。 漱石が語るこの事件の詳細な日付や経緯は、この記事では確認しておらず、漱石自身の回想として読むのがよい。

まとめ

論点内容
英国の例自由を愛する国であると同時に、秩序の調った国。義務心が自由の裏にある
個人主義の定義義務心を伴った自由。他人にも同程度の自由を認める
党派主義との対比党派を組まず、理非だけを基準に判断する。その分、孤独が伴う
三宅雪嶺事件批評に対し団結して撤回を求める「党派主義」との対比の実例

一言でいえば——漱石の個人主義は、義務を伴った自由であり、党派を組まずに一人で理非を判断する態度であって、そこには、避けがたい孤独が伴う。