概説記事で紹介したとおり、山田孝雄の文法理論の中核には「陳述」という考え方がある。この記事では、その中身を、専門用語なしで見ていく。
同じ単語、まったく違う「行為」
次の四つの文を見てほしい。並んでいる単語(花・が・咲く)は、ほとんど変わらない。
- 花が咲く。(報告)
- 花が咲くか。(質問)
- 花が咲け。(命令)
- 花が咲くなあ。(感嘆)
「花が咲く」という同じ出来事を指していながら、この四つは、話し手がしている「行為」そのものが違う。 一つ目は事実を報告している。二つ目は相手に問いかけている。三つ目は相手に何かをさせようとしている。四つ目は、話し手自身の驚きや感動を表している。
違いを生んでいるのは、文末だけ
ここで重要なのは、この違いを生んでいるのが、文の最後の部分だけだという点である。「花が」という主語も、「咲く」という動詞の中身も、四つの文でまったく同じ。違うのは、文末にどんな形が来るか、それだけだ。
山田孝雄は、この「文末の形が、文全体の性格を決定づける」という仕組みに注目し、これを陳述(ちんじゅつ)と名づけた。山田は、日本語の文において、思想(言いたいこと)がまとまった一つの単位として完結するのは、この陳述の働きによってだ、と考えた。文は、最後まで言われて初めて、それが報告なのか、質問なのか、命令なのかが確定する。 逆に言えば、文の途中まででは、その文が何をしようとしているのか、まだ決まっていないのである。
なぜこの発見が重要なのか
英語のような言語では、平叙文・疑問文・命令文の違いは、しばしば語順の入れ替え(You go. → Do you go?)や、主語の省略(Go!)によって作られる。しかし日本語では、主語や動詞の並び方はほとんど変えずに、文末に付け加える形だけで、文の種類そのものを丸ごと切り替えることができる。 この特徴に、100年以上前に理論的な名前と説明を与えたのが、山田の陳述論である。
今日の日本語学でも、「文がどのようにして完結するか」「文末の形式がどんな機能を担っているか」という問いは、重要な研究テーマであり続けている。山田が使った「陳述」ということば自体、今も日本語文法学の基本用語として使われ続けている。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 観察された事実 | 同じ単語の並びでも、文末の形だけで、文の行為の種類(報告・質問・命令・感嘆)が変わる |
| 山田の用語 | この文末の働きを「陳述」と名づけた |
| 理論の核心 | 文は、陳述によって初めて、一つのまとまった「行為」として完結する |
一言でいえば——日本語の文は、主語や動詞が同じでも、最後まで言われるまで、それが何をする文なのか決まらない。山田はこの仕組みに「陳述」という名前を与えた。