第七章は、「人物描写——外貌」から始まる。三島は、人が、どうやって他人を識別しているか、という、ごく身近な観察から、小説の技巧に入っていく。(ページ数は、全体像の記事で述べた版による。)
「そらあの男」——名前を忘れたとき
三島は、フランス古典時代の「ポルトレ」(簡素な筆で人物の風貌と性格を描き出す文学ジャンル)に触れたあと、身近な例を挙げる。名前を忘れたとき、われわれは、こう言う。
そらあの男、とても肥って、頭の禿げた象のような眼をした、そらあの男さ。
それでもわからなければ、その人の内面や、性格の描写に進む。「ほらいつか君のところに来てたじゃないか。そのときやたらに大きい声でベートーヴェンの音楽を論じていたが……」というように。それでもわからなければ、はじめて、その人物と自分との関係が、詳しく説明される。
三島は、これらすべてを統合するものが、名前という固有名詞だ、と言う。現実生活では、われわれは、人物を、まず職業や肩書きという「類型」で分類し、個性を発見する必要のあるところでだけ、さらに深く踏み込む。
小説の固有名詞は、逆
だが、小説では、事情が逆になる、と三島は言う。現実生活では、関係が積み重なって、はじめて固有名詞が意味をもつ。ところが、小説では、まず名前があり、その名前の背後に、さまざまな関係が、あとから設定されなければならない。読者は、現実には出会うはずのない殺人犯人にも、小説の第一ページから、その固有名詞を通じて、つきあわなければならない。
顔が浮かばなくても、小説は成立する
三島は、興味深い逸話を紹介する。横光利一が、堀辰雄と話していて、「『ドルジェル伯の舞踏会』のマオという女主人公の顔がどうしても浮んでこない。声だけはどうやら浮んできかかるが」と言ったという。それでも、レーモン・ラディゲのその名作の女主人公は、読者のなかに、一つのイメージとして、見事に定着している。三島は、ここに「小説の秘密がある」と言う。
もし、外貌がすべてなら、映画にかなうものはない。だが、映画は、観客の想像力を、一定の型にはめ込んでしまう。文学作品における人物の外貌描写には、映画とは違う、読者の想像力という要素が、決定的に重要なのだ、と三島は述べる。
詳しく書くほど、わからなくなる
三島は、外貌描写の逆説を、具体的に示す。もし、「彼女は眼が二つあって鼻が一つあって、口が一つあった」と書けば、ユーモア小説でないかぎり、読者は吹き出してしまう。そこで、小説家は、たとえば「彼女の眼は美しかった。鼻は形がよく……」というように書く。だが、三島は、こう指摘する。これを読む読者は、彼女の顔がわかったような気になるが、実は、少しもわかっていない。試しに、その顔を絵に描いてみたら、どんな顔になるか、見当もつかない、というのである。
小説の利点は、読者の想像力を刺激し、いつも想像力の余地を残しながら、その余地で、作者の思うところへ引っぱっていく技巧にある、と三島は結ぶ。
服装——明治の文体から、洋服の時代へ
節を移して、三島は、服装の描写を論じる。人間の印象は、顔だけでなく、服装や、ちょっとした癖、歩き方からも生まれる。とりわけ重要なのは、女性の服装で、明治までの小説には、女性の服飾美に関する小説家の見識が、いつも示されなければならなかった、と三島は言う。その例として、尾崎紅葉『金色夜叉』の一節が引かれる。
中の間なる団欒の柱側に座を占めて、重げに戴ける夜会結に淡紫のリボン飾して、小豆鼠の縮緬の羽織を着たるが……(尾崎紅葉『金色夜叉』)
同じ趣向は、横光利一『寝園』の、和服の凝り方を描いた一節にも見える。
着物ときてはこれはまた一通りのことではなく、一度呉服屋から断つて来た物を早速女中にざくざくと単衣に縫はしてから、その夜直ぐ寝巻にしてしまひ……(横光利一『寝園』)
しかし、三島は言う。女性の服装が、洋服全盛の時代になると、サック・ドレスや、タイト・スカートといった、片仮名の外国語が氾濫し、明治の小説のように、服装描写をふんだんに取り入れれば、何ページもが片仮名で埋まってしまう。だから、現代の小説家は、洋服の描写を、避ける傾きがある、と三島は述べる。
読むうえで、確かめておきたいこと
第一に、尾崎紅葉、横光利一からの引用は、いずれもパブリックドメインの原典として扱っている。 尾崎は1903年没、横光は1947年没で、日本の著作権保護期間(没後70年)のもとで、いずれも満了している。
第二に、「洋服の描写を避ける傾きがある」という三島の観察は、1959年時点のものである。 その後の日本の小説における、服装描写の実際の変化は、この記事では確かめていない。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 固有名詞 | 現実生活とは逆に、小説では、まず名前があり、関係はあとから設定される |
| 外貌描写の逆説 | 詳しく書くほど、読者は「わかった気になる」だけで、実像は結ばない |
| 小説の技巧 | 読者の想像力を刺激し、その余地を残しながら、作者の思うところへ導く |
| 服装描写 | 明治の和服の時代には重要だったが、洋服の時代には意味を失いつつある |
一言でいえば——三島は、固有名詞と外貌描写の逆説を通して、小説の魅力が、詳細な説明ではなく、読者の想像力をどう刺激するかにあることを示した。