やさしい解説①やさしい解説②で、「太刀」「曇る」「涙」を見た。この記事では、それらが、実際に、金沢庄三郎の「耳目鼻口」の論のなかで、どうつながっているかを、原文で確かめる。(以下、引用の現代語訳は ToL による。)

出発点:日本語だけの現象ではない

金沢は、物の名と動作の名の行き来を紹介したあと、こう述べる。

この現象は独り我が国語のみに止らず、最も関係の深い韓語との比較上に於ても、等しく見られるところのもので…

(この現象は、日本語だけにとどまらず、最も関係が深いと(金沢が)考える朝鮮語との比較の上でも、同じように見られるものであって…)

ここで、金沢は、朝鮮語を「最も関係の深い」言語と、前提として置いている。この前提が、これから先の議論のすべてを支えている。金沢は、日本語の「カフ(買)」と朝鮮語の kap(価)、日本語の「キル(切)」と朝鮮語の khar(刀)などを、その例に挙げる。

次に:「な」から「泣く」へ

「涙」の話は、やさしい解説②で見たとおりである。この論のなかで、要になるのは、次の一文である。

処が現今の国語に、ナ(目)といふ語はないが、目でする作用に泣くといふのがある。

(ところが、現代の日本語には、「ナ」(目)という語はないが、目でする動作としては、「泣く」というのがある。)

ここから、金沢は、物の名(目)がなくなっても、その動作の名(泣く)だけが残る、という考えを導く。動作の語は、古い物の名の、化石のようなものだ、というのである。

鼻・口・耳へ

金沢は、同じ手つきを、鼻・口・耳に広げる。金沢が挙げる朝鮮語と日本語の対応は、次のとおりである。

体の部分(朝鮮語)対応する日本語の動作
ip(口)イフ(言ふ)
kui(耳)キク(聞く)
kho(鼻)カグ(嗅ぐ)
(nun=目)ナ→ナク(泣く)

さらに、金沢は、日本語の「コエ(声)」「カ(香)」も、朝鮮語の kui(耳)、kho(鼻)に関係のある語だろう、と言う。

結論

この論の、いちばんの結論は、次の一文である。

これを要するに、目・鼻・口・耳などといふ語の古語は韓語に多く伝はり、其の作用の泣く・嗅ぐ・言ふ・聞くなどといふ語が国語に残つてゐる。

(これを要するに、目・鼻・口・耳などという語の古い形は、朝鮮語に多く伝わり、その作用である「泣く」「嗅ぐ」「言う」「聞く」などという語が、日本語に残っている。)

金沢の主張は、はっきりしている。日本語では、体の部分の古い名前が失われ(あるいは別の語に置き換わり)、その動作の名だけが残った。朝鮮語では、体の部分の名前のほうが残っている。 そして、二つの言語は、もとは、同じ言語だった、という前提と、結びついている。

金沢庄三郎の対応(朝鮮語の体の部分 ↔ 日本語の動作) nun(目) ナ → 泣く kho(鼻) 嗅ぐ・香 kui(耳) 聞く・声 ip(口) 言ふ 図:ToL(金沢庄三郎「耳目鼻口」の説明による)
金沢庄三郎の、対応の見取り図。図:ToL

読むうえで、確かめておきたいこと

この論を読むとき、二点を、確かめておきたい。

第一に、日本語にも、「め」「はな」「みみ」「くち」という、体の部分の名前がある。 金沢は、それらとは別に、より古い形が、朝鮮語に伝わっている、と考えた。しかし、そのことは、この論のなかでは、証明されておらず、日本語と朝鮮語が同系だという前提の上に立った推測である。

第二に、音の対応が、体系的に示されているわけではない。 「イフ」と ip、「キク」と kui、「カグ」と kho は、似た音を拾って並べた対応であり、日本語と朝鮮語のあいだで、音がどう規則的に対応するのかは、示されていない。似た音の対応は、偶然でも、ある程度は見つかる。規則的な音の対応を示すことが、言語の系統関係を証明する、言語学の基本的な手続きである。この論に示された範囲では、金沢の対応は、その手続きを満たしていない。この点は、判定の記事でも、あらためて整理する。

まとめ

論点内容
前提朝鮮語は、日本語と「最も関係の深い」言語である(金沢の前提)
「な」→「泣く」「ナ」(目)という語はなくなったが、目でする動作「泣く」が残った
対応の例口 ip↔言ふ、耳 kui↔聞く・声、鼻 kho↔嗅ぐ・香
結論体の部分の古語は朝鮮語に、その動作の語は日本語に残った
注意日本語と朝鮮語の同系は未証明。音の規則的な対応も示されていない

一言でいえば——金沢庄三郎は、「泣く」「嗅ぐ」「言ふ」「聞く」を、失われた体の部分の名の化石と見て、その本体を朝鮮語に探した。その論は、日本語と朝鮮語が同系だという前提の上に立っていた。