前の記事で見た「自己本位」の発見は、あくまで漱石自身の経験の話だった。第二篇に入ると、漱石は、この経験から、もっと一般的な議論へと話を進める。相手は、学習院という、将来、社会的地位の高い立場に立つであろう若者たちである。

あなたがたには、権力と金力が伴う

漱石は、聴衆に向けて、率直にこう言う。

あなたがたに附随してくるもののうちで第一番に挙げなければならないのは権力であります。換言すると、あなた方が世間へ出れば、貧民が世の中に立った時よりも余計権力が使えるという事なのです。

権力に続いて、金力(財力)も同様である。学習院の生徒たちは、貧しい人々よりも、多くの権力と金力を手にすることになる。漱石は、そこに危険を見て、権力と金力を、それぞれ違う種類の「道具」として捉え直す。

権力とは先刻お話した自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に圧しつける道具なのです。……この金力を同じくそうした意味から眺めると、これは個性を拡張するために、他人の上に誘惑の道具として使用し得る至極重宝なものになるのです。

権力は、他人を力で押さえつける道具。金力は、他人を誘惑して引き寄せる道具。どちらも、自分の個性を、他人の上に拡張するための「道具」として働く、というのが、漱石の見立てである。

釣に連れ出される弟

この抽象的な議論を、漱石は、身近な兄弟の逸話で具体化する。読書好きで家に引きこもりがちな弟を、釣り好きの兄が、その内向的な性質を「忌まわしいもの」と決めつけ、無理やり釣りに連れ出そうとする、という話である。

兄が高圧的に釣竿を担がしたり、魚籃を提げさせたりして、釣堀へ随行を命ずるものだから、まあ目を瞑ってくっついて行って、気味の悪い鮒などを釣っていやいや帰ってくるのです。

これは金力の例ではなく、権力が他人を圧迫する例だ、と漱石は念を押す。兄の個性が、弟の個性を踏みにじって、無理やり釣りをさせている。しかも、それで弟の性質が変わるわけでもなく、むしろ釣りへの反抗心が強まるだけだ、と漱石は観察する。善意のつもりの押しつけが、かえって逆効果を生む——この構図は、権力の濫用がもたらす結果を、抽象論よりも鮮やかに示している。

三つの結論

こうした危険を踏まえて、漱石は、議論を三つの命題に整理する。第一に、自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないこと。第二に、自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務を心得なければならないこと。第三に、自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないこと。個性の発展には他人の個性の尊重が、権力には義務が、金力には責任が、それぞれ対になって伴わなければならない。この三つを漱石は、人格という一つの言葉に集約する。

この三者を自由に享け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。

個性の発展 → 他人の個性の尊重 権力 → 義務 金力 → 責任 人格 三つの背後にあるべき、倫理的修養の支配 図:ToL(第二篇冒頭の議論による)
三つの力と、それに伴うべきもの。図:ToL

読むうえで、確かめておきたいこと

第一に、この兄弟の逸話に登場する「弟」の視点は、漱石自身のものに近い。 家に引きこもって書物を読むことを好み、外に連れ出されることを嫌う——この人物像は、前の記事で見た、漱石自身の内省的な気質とも重なる。ただし、漱石自身がこの逸話を自伝的なものとして語っているわけではなく、あくまで一般論の例として挙げている。

第二に、漱石は、権力と金力を、それ自体は否定していない。 危険なのは、それが人格の支配を離れて濫用されることであり、権力や金力そのものを廃止せよ、とは言っていない。

まとめ

論点内容
出発点学習院の生徒たちは、将来、貧民より多くの権力・金力を持つ
権力の性質自分の個性を他人に無理やり押しつける道具
金力の性質個性を拡張するため、他人を誘惑する道具
兄弟の逸話釣り好きの兄が、内向的な弟を無理やり釣りに連れ出す例
三つの結論個性の発展には他人の尊重、権力には義務、金力には責任が伴う

一言でいえば——漱石は、権力と金力を、個性を他人に押しつける「道具」として捉え、その濫用を防ぐために、義務・責任・他人の個性の尊重という、対になる倫理を説いた。