夏目漱石の出世作『吾輩は猫である』(1905年)は、名前のない一匹の猫が、中学教師・苦沙弥先生の家に住みつき、人間たちの営みを、猫の視点から観察する物語である。『坊っちゃん』を言語の視点で読む特集では、江戸弁と伊予弁という、方言の衝突を読んだ。この特集では、同じ漱石のもう一つの言語実験——register(言葉の格式)の衝突——を読む。

猫が、尊大な言葉を話す

この小説のもっとも際立った特徴は、語り手である猫が、猫らしからぬ、大げさで教養ぶった言葉を使うことである。冒頭から、その姿勢は明らかだ。

吾輩は猫である。名前はまだ無い。

「吾輩」——対等以上の相手にも使われる、尊大な一人称である。この猫は、自分の生い立ちや、日々の些事を語るのに、「嘆賞の念」「傍若無人」「浩然の気を養う」といった、およそ猫には不釣り合いな、漢語まじりの格調高い言葉を、惜しみなく使う。

ミスマッチが、笑いを生む

このミスマッチ——猫という卑小な存在と、大仰な言葉との落差——が、この小説の笑いの、大きな部分を作り出している。たとえば、正月の雑煮を前にして逡巡する場面で、猫は、こんな「真理」を発見する。

得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ。

餅を食べるかどうか迷っているだけなのに、あたかも哲学的な命題を発見したかのように語る——この落差の作り方を、第5記事で、詳しく読む。

語られる中身 餅を食べるかどうか、隣の猫の噂 卑小で、猫らしい日常 語る言葉 「吾輩」「嘆賞」「浩然の気」 尊大で、教養ぶった漢語 内容と言葉の格式の落差が、この小説の笑いの主要な源になる 図:ToL(『吾輩は猫である』の語りの構造による)
『吾輩は猫である』を動かす、言葉の落差。図:ToL

この特集の構成

記事内容
1(この記事)全体像
2「吾輩」という尊大な一人称——猫の語彙
3車屋の黒——教育のない猫の言葉
4「馬鹿野郎」と「後架先生」——口癖とあだ名
5餅と「真理」——瑣末な出来事を大仰な言葉で語る
6精読:冒頭の一文、そして最期の一文
7判定:『吾輩は猫である』の言葉の実験は、いまも効いているか

『坊っちゃん』との違い

『坊っちゃん』を言語の視点で読む特集では、地域(江戸と松山)の違いが、言葉の衝突を生んでいた。この特集で読む『吾輩は猫である』では、衝突の軸が違う。猫と人間、教養と無教養、格式高い言葉と俗な言葉——種と階級、教育の有無が、言葉の落差を作り出している。同じ漱石が、初期の二つの小説で、まったく違う軸から、言葉のぶつかり合いを描いていたことになる。

パブリックドメインの原典

漱石は1916年に没しており、日本の著作権保護期間(没後70年)のもとで、すでにパブリックドメインである。この特集の引用は、青空文庫が公開する本文(底本「漱石全集」ちくま文庫)に拠り、原文をそのまま引用する。

まとめ

論点内容
作品『吾輩は猫である』(1905–06年、『ホトトギス』連載)
この特集の視点猫という卑小な存在と、大仰で教養ぶった言葉との落差
『坊っちゃん』との対比方言の衝突(地域)ではなく、格式の衝突(教養・階級)
著作権漱石は1916年没。パブリックドメイン

一言でいえば——『吾輩は猫である』は、猫という語り手に、不釣り合いなほど尊大で教養ぶった言葉を与えることで、その落差そのものを、笑いに変えた小説である。