エネルゲイアは「言語は物でなく働き」と見た。その働きが具体的に何をなしとげるか——フンボルトの答えの一つが、この短い一句だ。
1. 「有限の手段から無限の使用を」
Sie muss daher von endlichen Mitteln einen unendlichen Gebrauch machen, und vermag dies durch die Identität der Gedanken und Sprache erzeugenden Kraft. (It must therefore make infinite use of finite means, and can do so through the identity of the power that generates thought and language. ドイツ語引用の日本語訳・英訳は L/LAB による。以下同じ。)
それゆえ言語は、有限の手段から無限の使用をなしとげなければならず、思考を産み出す力と言語を産み出す力が同一であることによって、それをなしうる。
言語は語の集まり(Sammlung) ではなく、産み出し(Erzeugung) である。話し手は、記憶した文を引き出すのではなく、規則を使ってそのつど文を組み立てる。規則は規則の中に入れ子にできる(「猫が寝ている」→「私は〔猫が寝ている〕と思う」)から、原理的に長さの上限がない。有限の道具立てから、無限の出力。
2. なぜそれが可能か——思考と言語は同じ力
フンボルトは、その理由を「思考を産み出す力と言語を産み出す力が同一であること」に置く。文を組み立てる能力は、考えをまとめる能力と別ものではない。だから、話し手は初めて出会う考えを、初めて作る文で言える。この「言語=生成する力」という捉え方は、エネルゲイアの「発生的定義」の具体化であり、フンボルトが「形式(Form)」を、事実の集まりではなく手続き(Verfahren) と呼んだこととも一続きだ。
3. チョムスキーが掲げた一句
1957年『統辞構造論』、1965年『統辞理論の諸相』でノーム・チョムスキーが立てた生成文法は、「有限の規則から無限の文を生成する話し手の内的体系」を言語の中心に据える。翌1966年『デカルト派言語学』で、チョムスキーはこの発想の系譜をデカルト、ポール・ロワイヤル文法、そしてフンボルトに引いた。中心概念は「言語使用の創造的側面(the creative aspect of language use)」——私たちの発話は、量に上限がなく、刺激に縛られず、それでいて場面に適っている。
ただし、この読みは選択的だ。チョムスキーが前景に出したのは、フンボルトの「生成する力」と「普遍」の面である。一方、フンボルトの本の主題であった「言語の多様性」、そして「世界観」や「民族の精神」といったロマン主義的な面は、背景に退けられた。同じフンボルトを、言語相対論者は「多様性」の祖として、生成文法家は「普遍的生成力」の祖として引く。
まとめ
| フンボルトの主張 | 20世紀での受容 |
|---|---|
| 言語は有限の手段から無限の使用をなしとげる | チョムスキーが生成文法の標語として引用 |
| 思考を産む力と言語を産む力は同一 | 「言語能力」=心の中の生成体系 |
| 形式は事実の集まりでなく手続き | 「生成規則」の先駆 |
| 本の主題は言語の「多様性」 | チョムスキーは「普遍」を、相対論者は「多様性」を継ぐ |
なぜ今も読まれるか
- 生成文法の公式の祖先——「有限の手段の無限の使用」は、言語学の教科書がフンボルトを引く定番の一句。
- 創造性の問題——「刺激に縛られず、場面に適った、量に上限のない発話」をどう説明するかは、今も言語理論と認知科学の中心的な問いの一つ。
- 一人の思想家、二つの系譜——フンボルトが相対論と普遍論の両方の源流であることは、20世紀言語学の二大潮流が、じつは同じ根を持つことを示している。