エネルゲイアは「言語は物でなく働き」と見た。その働きが具体的に何をなしとげるか——フンボルトの答えの一つが、この短い一句だ。

1. 「有限の手段から無限の使用を」

有限の手段 音の目録 語・語形成規則 結合・埋め込みの規則 無限の使用 「猫が寝ている」 「私は[猫が寝ている]と思う」 「君は[私が[猫が寝ている]と思う]と言った」…
規則を規則の中に入れ子にできる(埋め込み)ため、有限の手段から、長さに上限のない文が無限に作れる。図:L/LAB

Sie muss daher von endlichen Mitteln einen unendlichen Gebrauch machen, und vermag dies durch die Identität der Gedanken und Sprache erzeugenden Kraft. (It must therefore make infinite use of finite means, and can do so through the identity of the power that generates thought and language. ドイツ語引用の日本語訳・英訳は L/LAB による。以下同じ。)

それゆえ言語は、有限の手段から無限の使用をなしとげなければならず、思考を産み出す力と言語を産み出す力が同一であることによって、それをなしうる。

言語は語の集まり(Sammlung) ではなく、産み出し(Erzeugung) である。話し手は、記憶した文を引き出すのではなく、規則を使ってそのつど文を組み立てる。規則は規則の中に入れ子にできる(「猫が寝ている」→「私は〔猫が寝ている〕と思う」)から、原理的に長さの上限がない。有限の道具立てから、無限の出力。

2. なぜそれが可能か——思考と言語は同じ力

フンボルトは、その理由を「思考を産み出す力と言語を産み出す力が同一であること」に置く。文を組み立てる能力は、考えをまとめる能力と別ものではない。だから、話し手は初めて出会う考えを、初めて作る文で言える。この「言語=生成する力」という捉え方は、エネルゲイアの「発生的定義」の具体化であり、フンボルトが「形式(Form)」を、事実の集まりではなく手続き(Verfahren) と呼んだこととも一続きだ。

3. チョムスキーが掲げた一句

チョムスキー『デカルト派言語学』(1966) の読み 受け継いだもの ・有限の規則からの無限の生成 ・言語使用の「創造的側面」 ・すべての言語に共通する能力(普遍) ・言語は心の中の体系(心的実在) 前景に出さなかったもの ・世界観(Weltansicht) ・「民族の精神」 ・言語の多様性そのものの重み ・ロマン主義的な言語=文化観
チョムスキーは「生成する能力」を前景化し、「世界観」を背景に退けた。フンボルトは両方の陣営から祖先と呼ばれる。図:L/LAB

1957年『統辞構造論』、1965年『統辞理論の諸相』でノーム・チョムスキーが立てた生成文法は、「有限の規則から無限の文を生成する話し手の内的体系」を言語の中心に据える。翌1966年『デカルト派言語学』で、チョムスキーはこの発想の系譜をデカルト、ポール・ロワイヤル文法、そしてフンボルトに引いた。中心概念は「言語使用の創造的側面(the creative aspect of language use)」——私たちの発話は、量に上限がなく、刺激に縛られず、それでいて場面に適っている。

ただし、この読みは選択的だ。チョムスキーが前景に出したのは、フンボルトの「生成する力」と「普遍」の面である。一方、フンボルトの本の主題であった「言語の多様性」、そして「世界観」や「民族の精神」といったロマン主義的な面は、背景に退けられた。同じフンボルトを、言語相対論者は「多様性」の祖として、生成文法家は「普遍的生成力」の祖として引く。

まとめ

フンボルトの主張20世紀での受容
言語は有限の手段から無限の使用をなしとげるチョムスキーが生成文法の標語として引用
思考を産む力と言語を産む力は同一「言語能力」=心の中の生成体系
形式は事実の集まりでなく手続き「生成規則」の先駆
本の主題は言語の「多様性」チョムスキーは「普遍」を、相対論者は「多様性」を継ぐ

なぜ今も読まれるか

フンボルト特集:概要エネルゲイア内的言語形式世界観/本記事/思考の器官・対話類型と序列