これまでToLでは、夏目漱石の文章を、いくつかの角度から読んできた。『こころ』の第一文、『私の個人主義』、『坊っちゃん』の方言、『吾輩は猫である』の格式——これらを一度、横につなげて、漱石の日本語とは、そもそもどういうものなのかを、正面から分析してみたい。

日本語が、まだ固まっていなかった時代

漱石が小説を書き始めたのは1905年、37歳のときである。この時期の日本語は、今日のような、安定した「標準的な文章語」が、まだ十分に確立されていなかった。江戸時代までの書き言葉(候文・漢文訓読体)から、話し言葉に近い文体へ移行する運動——言文一致——が、二葉亭四迷らによって、1880年代からすでに始まっていたが、その文体が、あらゆる種類の文章(小説、評論、新聞)で、当たり前に使われるようになるのは、明治末から大正にかけてのことである。漱石は、この移行の、まさに現場に立っていた作家だった。

漱石の文章に同居する、さまざまな要素

これまでの特集で確かめてきたように、漱石の文章には、一見すると矛盾するような、さまざまな要素が同居している。

短い対句のリズム——『草枕』の有名な冒頭は、こう始まる。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

密度の高い、漢籍由来の語彙——同じ『草枕』の、数段落あとには、こんな一文が現れる。

霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。

江戸弁と、地方の方言——『坊っちゃん』では、江戸っ子の語り手「おれ」と、伊予弁を話す松山の生徒たちが、教室で衝突する。

猫の尊大な語り——『吾輩は猫である』では、猫が「吾輩」という尊大な一人称を使い、瑣末な出来事を、大仰な漢語で語る。

この特集の構成

記事内容
1(この記事)全体像
2「智に働けば角が立つ」——短い対句のリズム
3漢語と和語、二つの語彙
4だ、である、そして言文一致——漱石が受け継いだ文体
5方言と俗語を取り込む——標準語だけではない日本語
6精読:『草枕』の一節、対句と密度の切り替え
7判定:漱石の日本語は、近代日本語の何を作ったか

一人の作家のなかにある、幅の広さ

この特集の狙いは、漱石の文章を、単一のスタイルとして要約することではない。むしろ、一人の作家のなかに、これほど幅の広い日本語が同居し得たという事実そのものを、確かめることにある。短い対句、密度の高い漢語、方言、俗語、猫の尊大な語り——これらは、バラバラな実験ではなく、言文一致という、まだ形の定まっていなかった新しい文体を、漱石が、さまざまな方向へ押し広げてみた跡として読むことができる。

短い対句のリズム 『草枕』冒頭 密度の高い漢語 「霊台方寸のカメラ」 江戸弁と地方の方言 『坊っちゃん』 猫の尊大な語り 『吾輩は猫である』 言文一致という、まだ形の定まっていなかった文体を、さまざまな方向へ押し広げた跡 図:ToL(これまでの特集で読んだ漱石作品の分析による)
漱石の文章に同居する、四つの要素。図:ToL

パブリックドメインの原典

漱石は1916年に没しており、日本の著作権保護期間(没後70年)のもとで、すでにパブリックドメインである。この特集の引用は、青空文庫が公開する本文に拠り、原文をそのまま引用する。

まとめ

論点内容
時代背景言文一致がまだ定着しきっていない、日本語の書き言葉の移行期
同居する要素短い対句、密度の高い漢語、方言、俗語、尊大な語り
この特集の狙い単一のスタイルへの要約ではなく、一人の作家のなかにある幅の広さを確かめる
著作権漱石は1916年没。パブリックドメイン

一言でいえば——漱石の日本語は、一つの型に収まらない。言文一致という、まだ固まっていなかった新しい文体を、彼は、対句、漢語、方言、俗語という、さまざまな方向へ押し広げてみせた。