『文章読本』の第三章「小説の文章」は、約2.1万字、本の中で二番目に長い章である(全体像の記事)。三島由紀夫は、ここで、二人の対照的な作家——森鷗外と泉鏡花——を並べることから始め、短篇小説と長篇小説という、もう一つの対比へと進む。この特集の7本では、その道筋を、原文で読む。

三つの節

節ページ中身
二種類のお手本p.49–58森鷗外『寒山拾得』と泉鏡花『日本橋』。簡潔と絢爛、二つの美学
短篇小説の文章p.59–68なぜ鷗外は長篇を書かなかったか。日本の短篇小説の特殊な地位
長篇小説の文章p.77–84日本にロマーンが生まれにくかった理由。ゲーテ、バルザック、ドストエフスキー

三つの節を、一言で

二種類のお手本——三島は、料理の味を知るには最上のものを食べよ、という比喩から始め、「非常に対蹠的な文章」として、森鷗外『寒山拾得』と、泉鏡花『日本橋』の一節を並べる。鷗外の文章を「アポロン的」、鏡花の文章を「ディオニュソス的」と呼ぶ、この節の対比が、第三章全体の骨格になる(第2記事、精読①)。

短篇小説の文章——鷗外は、生涯、大長篇を書かなかった。三島は、その理由を、鷗外の資質と、文体の性質に見る。同時に、日本の短篇小説が、西洋のノヴェレットやコントとは違う、特殊な地位を占めてきたことを論じる(第3記事)。

長篇小説の文章——三島は、日本にヨーロッパ的な「ロマーン」がなかなか生まれなかった理由を、第二章で読んだ「男文字と女文字」の区別に求める。ロマーンは、男性の論理的世界と、女性の情念の世界の、大きな綜合でなければならない、というのである(第4記事、精読②)。

この章の、一本の糸

第三章は、第二章で読んだ「男文字と女文字」の対比を、具体的な作家の名前で描き直す章である。三島自身が、そのことを、はっきり書いている。

私がこの二つを冒頭に引用したのは、序説の男文字と女文字の伝統、論理的世界と情念の世界との対立が、同じ近代文学と言われるもののなかに、いかにも尖鋭な形で相対しているところを示したかったからであります。(p.58付近、要旨を含む)

鷗外は、漢文の伝統——論理と簡潔——に立ち、鏡花は、日本の国文学、江戸の戯文、俳諧の伝統——情念と絢爛——に立つ。三島は、他の作家たちを、この二つの極のあいだに位置する「星座」として描く。

森鷗外——アポロン的 漢文の伝統。簡潔、明晰、節約 短篇・小品向きの文体 泉鏡花——ディオニュソス的 国文学・俳諧の伝統。絢爛、色彩、陶酔 長篇向きの、持続する文体 同じ対立が、第二章「男文字と女文字」に重なる 論理的世界(男文字) vs 情念の世界(女文字) 「ロマーン」は、この二つの完全な綜合でなければならない、と三島は言う 図:ToL(第三章の構成による)
鷗外と鏡花、二つの極。図:ToL

二人とも、パブリックドメイン

この章の引用元——森鷗外(1922年没)と泉鏡花(1939年没)——は、いずれも、日本の著作権保護期間(没後70年)のもとで、すでにパブリックドメインである。この特集では、三島が引く原文を、可能な範囲で、画像により確認している。

この特集の構成

記事内容
1(この記事)全体像
2「二種類のお手本」:鷗外と鏡花
3「短篇小説の文章」:鷗外はなぜ長篇を書かなかったか
4「長篇小説の文章」:日本にロマーンがなかった理由
5精読①:「水が来た」——鷗外と鏡花の原文を、並べて読む
6精読②:男文字と女文字が、長篇小説論に、どう応用されたか
7判定:この対比は、今も文学史の共通理解か

まとめ

論点内容
分量約2.1万字。本書で二番目に長い章
三つの節二種類のお手本/短篇小説の文章/長篇小説の文章
一本の糸鷗外=アポロン的、鏡花=ディオニュソス的という対が、第二章の男文字と女文字に重なる
引用元森鷗外、泉鏡花とも、パブリックドメイン

一言でいえば——第三章は、第二章で示された「男文字と女文字」の対立を、鷗外と鏡花という、二人の実在の作家の文章によって、具体的に描き直した章である。