『統辞構造論(Syntactic Structures)』は、1957年にオランダのムートン社から出た、本文90ページほどの小さな本である。著者はそのとき28歳、マサチューセッツ工科大学(MIT)で現代語学科の教師になったばかりのノーム・チョムスキー(1928– )。フィラデルフィア生まれ、ペンシルヴェニア大学でゼリグ・ハリスに学び、1951〜55年にはハーヴァード大学の特別研究員(Junior Fellow)として研究に専念した——序文にはそうある。本書はその期間に大部分書かれた原稿を、MITでの入門講義用の草稿として練り直したものだ。刊行元はオランダの言語学叢書「ヤヌア・リングアルム」シリーズ・マイナー第4巻。よく知られた逸話では、この原稿はいくつかの出版社で断られたのちにようやくムートン社に落ち着いたとされるが、この経緯そのものは本書の序文には書かれていない。
薄い本だが、遠くまで届いた。半世紀を超えて版を重ね(本稿が参照した第14刷は1985年)、「言語学における生成文法革命の出発点」と評される一冊になった。
1. 何を目指す本か
序文でチョムスキーは、目標をこう述べる——「統辞論的な構造の、形式化された一般理論を構築し、その理論の基礎を探究する試みの一部」。構文論(syntax)とは、個々の言語で文がどんな原理・過程によって組み立てられるかの研究であり、その目標は「分析対象の言語の文を生み出す、何らかの装置とみなせる文法」を構築することだ、と本書冒頭(序論)は言う。
キーワードは「言語のレベル」。音素論、形態論、句構造——これらは、文法を組み立てるための「記述装置の集合」である。チョムスキーの企ては、英語という一つの言語の記述を超えて、「文法とはどのようなレベルの体系を含んでいなければならないか」を、形式的に——特定の言語を名指しせずに——問うことだった。
2. 「文法的」は、「意味がある」でも「よく使われる」でもない
第2章の冒頭で、チョムスキーは言語を厳密に定義する——「言語とは、有限個の要素から組み立てられた、有限の長さを持つ文の集合(有限でも無限でもよい)」。この定義そのものはやや無味乾燥に見えるが、そこから出てくる結論は鋭い。
まず、「文法的(grammatical)」という概念は、文の集合のうち観察された用例(コーパス)と同一視できない。どんな文法も、有限で偶然的な観察用例を、(おそらく無限の)文法的な発話の集合へと投射する。この点で文法は、有限で偶然的な言語経験から、限りなく多くの新しい文を作ったり理解したりできる話者のふるまいを写し取っている。
次に、そして本書でもっとも有名な議論——「文法的」は「意味を持つ」と同一視できない。
Colorless green ideas sleep furiously. Furiously sleep ideas green colorless. (無色の緑の観念が猛烈に眠る。/猛烈に眠る観念緑無色。ToL訳)
どちらも意味をなさない点では同じだが、英語話者なら誰でも、前者だけが文法的だと認める。同様に、“have you a book on modern music?”(現代音楽の本をお持ちですか)と”the book seems interesting”(その本は面白そうだ)は文法的だが、“read you a book on modern music?”や”the child seems sleeping”は違う——ここにも意味上の理由はない。この二番目の謎(have/beをめぐる不規則さ)は、実は本書の後半(§7)で、まったく別の現象を説明するために作った規則の、いわば副産物として解けることになる。伏線である。
さらにチョムスキーは、「文法的」を「英語への統計的な近似度が高いこと」とも同一視できない、と論じる。(1)も(2)も、英語の実際の発話としては一度も現れたことがないはずで、統計モデルからすれば両者は等しく「英語から遠い」文字列にすぎない。しかし話者は(1)を自然なイントネーションで読み、記憶しやすく感じ、(2)はそうしない。文法性は、意味論にも、統計にも、還元できない——「文法は自律しており、意味から独立している」というのが、ここでの結論である。
3. 有限状態モデルは、なぜ失敗するか
では、文法的な文の集合をどう生成するか。チョムスキーがまず検討するのは、当時の情報理論に由来する有限状態(マルコフ過程)モデルだ。機械が有限個の「状態」を行き来しながら、遷移のたびに一語を出力し、最終状態に達したところで文が一つ完成する——これを図にしたものが「状態図」で、ループを加えれば”the old man comes”を”the old old man comes”、“the old old old man comes”……と無限に生成できる。
このモデルの魅力は大きい。だがチョムスキーは、英語は有限状態言語ではない——それも、記述がたまたま難しいのではなく、原理的に不可能だ、と証明する。鍵は「鏡像的」な依存関係だ。英語には
- “If S₁, then S₂”(もしS₁なら、S₂)
- “Either S₃, or S₄”(S₃であるか、あるいはS₄であるか)
- “The man who said that S₅ is arriving today”(S₅と言ったその男は今日到着する)
のような構文があり、“if”は”then”を、“either”は”or”を、“man”は”is”(“are”ではない)を要求する——コンマの両側の語のあいだに依存関係がある。そして、その依存関係を挟む位置に、別の同種の文をまるごと埋め込める。S₅の位置に(11)自身の一文を入れ、そのまた内部にさらに一文を入れ……という具合に、入れ子(ネスト)はいくらでも深くできる。これは、どれだけ状態や遷移を増やそうと、有限状態機械には原理的に扱えない構造だ——ちょうど、“ab, aabb, aaabbb, …”のように、aの個数とbの個数が対応し続ける人工言語が有限状態文法では書けないのと同じ理由による。
4. 句構造文法——書き換え規則という、より強い装置
次にチョムスキーが検討するのは、当時の構造言語学の主流だった構成素分析(immediate constituent analysis)を形式化したモデルだ。「Sentence → NP + VP」「NP → T + N」「VP → Verb + NP」……というふうに、記号を書き換える規則の集合[Σ, F]。この規則を頭から順に適用していくと、“the man hit the ball”のような終端文字列が導かれ、その導出過程は木の形の図(句標識)にまとめられる。
このモデルは有限状態モデルより明確に強力で、“ab, aabb, …”のような言語も生成できる。だが英語の記述にはまだ足りない、とチョムスキーは三つの実例で示す。
- 等位接続テスト——“the scene of the movie was in Chicago”と”the scene of the play was in Chicago”から”the scene of the movie and of the play was in Chicago”は作れるが、構成素をまたいで”and”を挿む文は原則として作れない(“the liner sailed down the and tugboat chugged up the river”は不可)。この規則は「同じ種類の構成素どうしを”and”で結べる」という形で書けば劇的に単純になるが、それには文がどう作られたか(導出の履歴)を知らなければならない——書き換え規則は今ある文字列の中身だけを見て働くので、これができない。
- 不連続な要素——助動詞句”has been reading”のような形は、“have…en”と”be…ing”という、間に別の要素を挟んで初めて完成する不連続な組。書き換え規則の枠内でこれを素直に書くのは難しい。
- 能動文と受動文——“John admires sincerity”に対して”sincerity is admired by John”を作るには、主語と目的語を入れ替え、“by”を挿入し、助動詞に”be+en”を足さなければならない。この一つの規則(受動変形)が使えれば、“sincerity admires John”のような文が存在しないこと、“be+en”のあとには他動詞しか来ないことなど、多くの制約が自動的に説明される。だが、これも一つの書き換え規則には収まらない。
5. 変形文法——核(カーネル)と、規則の連鎖
そこでチョムスキーが導入するのが、この論文の中心的な提案——変形(transformation)である。ある文字列を、その構成素構造ごと別の文字列へ書き換える、より強力な規則だ。
ここから、文法は三層構造を持つことになる。
義務的な変形(obligatory)だけを適用して得られる文を核文(kernel sentence)と呼ぶ。それ以外の任意の文は、核文の土台となる文字列に、随意的な変形を一つ以上重ねて得られる——たとえば否定文をつくる変形(Tnot)、疑問文をつくる変形(Tq)、そして「肯定を表す要素(時制など)が宙に浮いたとき、それを担う語として”do”を挿入する」規則。この最後の規則こそ、“John doesn’t come”や”did they arrive”の”do”の出どころであり、しかも同じ規則が、否定文にも疑問文にも、“so do I”のような文にも共通して働く。
そして、この枠組みは§2で見た”have”の謎——“have you a book…?”は文法的なのに”read you a book…?”は違う——も、あわせて説明する。動詞”have”は(助動詞の”have”と同じ形を持つがゆえに)疑問変形の対象となる分析を二通り許すが、他の動詞は許さない。別の理由で必要になった規則が、まったく別の謎を、後づけの説明なしに解いてしまう——これが、チョムスキーの言う「単純化」の意味であり、本書のいちばんの見せ場である。
6. 説明力——あいまいさは、どのレベルで生まれるか
チョムスキーはさらに、文法の「妥当性」を試す独自の基準を提示する——ある音の並びが複数の構造として分析できるなら、それは実際にあいまいな文であるはずだ(逆にあいまいな文は、どこかのレベルで複数の分析を持つはずだ)。これを構成的同音異義(constructional homonymity)と呼ぶ。
たとえば”the shooting of the hunters”(狩人たちの射撃)は、“hunters”が主語(狩人たちが撃つ)とも目的語(狩人たちを撃つ)とも読める。句構造のレベルでは、どちらも同じ「the - V+ing - of + NP」という形で、区別がつかない。だが変形のレベルまで降りると、はっきり分かれる——前者は”the hunters shoot”(核文)から、後者は”they shoot the hunters”(核文)から、それぞれ別の名詞化変形で導かれている。あいまいさの正体は、どの核文から、どの変形で来たかの違いなのだ。
同じ論法は、“the picture was painted by a new technique”(新しい技法で描かれた)と”the picture was painted by a real artist”(本物の画家によって描かれた)——句構造上は同じ形なのに、まったく違って理解される——にも当てはまる。前者は能動文の道具を表す”by”句、後者は受動変形が生む「動作主のby」であり、変形の履歴が違う。
この基準は逆方向にも働く——“John played tennis”と”my friend likes music”は、音素や形態のレベルではまったく違うのに、句構造のレベルでは同じ「NP - Verb - NP」であり、それゆえに「似た種類の文だ」と直観的に理解される。「文を理解するとは、その文をすべてのレベルで分析することだ」という一節は、本書の統語論が、単なる文法性判定の道具ではなく、「理解」そのものへの一つの仮説であることを示している。
7. 文法は意味に基づかないが、意味と無関係でもない
§9で、チョムスキーはこの議論を裏側から補強する。「文法は意味に基づいて構築できるはずだ」という、当時よく聞かれた主張——「形態素とは意味を持つ最小単位である」「主語・動詞の関係は〈行為者・行為〉という意味に対応する」等々——を一つずつ検討し、いずれも反例で崩れることを示す。“bachelor”(独身男性)と”unmarried man”は同義語なのに音は別、“bank”(土手/銀行)は同音なのに意味は別——「音の区別=意味の区別」という単純な等式は、右からも左からも崩れる。“John received a letter”や”the fighting stopped”では、主語は「行為者」ではない。能動文とその受動文でさえ、常に同義とは限らない——「部屋にいる全員が、少なくとも二つの言語を知っている」の受動文は、量化のスコープが変わるせいで、元の文と真偽が食い違いうる。
だからといって、形式と意味の対応が無意味だと言いたいわけではない——「不完全ではあるが、否定しがたい対応が、言語における形式的特徴と意味的特徴のあいだに存在する」。ただしその対応は、文法を基礎づけるほど正確ではない。§8の構造的あいまいさの議論こそが、その「対応」を扱う正しい道筋だ、というのが本書の立場である。統語論は意味論から独立して自律的に組み立てられるべきだが、そのあとで両者の関係を調べることには十分な意味がある——この二段構えの態度が、しばしば「チョムスキーは意味を無視した」という誤解を招きながら、実際に本書が言っていることだ。
8. どんな理論を目指すのか——「評価手続き」という控えめな目標
§6でチョムスキーは、方法論上の、しかし決定的に重要な区別を立てる。言語理論に何を求めるべきか、三段階ある。
- 発見手続き(discovery procedure)——コーパスから文法を機械的に構成する方法。
- 決定手続き(decision procedure)——与えられた文法が、あるコーパスに対して正しいかどうかを機械的に判定する方法。
- 評価手続き(evaluation procedure)——二つの候補文法のうち、どちらがより良いかを判定する方法。
チョムスキーは、当時の構造言語学の多く(そして本人も含む)が暗に目指していた1を退け、もっとも弱い3だけを言語理論に求めるべきだと主張する。文法をどうやって思いついたか(直観でも、当てずっぽうでも構わない)は理論の関心事ではない——理論の仕事は、できあがった文法を単純さの基準で比較し、より良いものを選び出すことだけでよい。この「控えめな目標」の設定こそが、本書全体を貫く方法論的な足場であり、以後の生成文法が「文法性の直観」を出発点にすることを正当化する土台になった。
まとめ
| 論点 | 『統辞構造論』の答え |
|---|---|
| 文法的とは何か | 意味の有無でも、統計的な自然さでもない。「無色の緑の観念が猛烈に眠る」は文法的、その語順を逆にしたものは非文法的 |
| 有限状態モデル | 失敗する。“if…then”のような入れ子の依存関係を、原理的に扱えない |
| 句構造モデル | 有限状態モデルより強いが、まだ足りない。等位接続・不連続な助動詞・受動文の反転を、単純には書けない |
| 解決策 | 変形。核文(義務的変形のみ)+随意的変形の連鎖という三層の文法 |
| あいまいさ | どのレベルで多重に分析されるかが、「あいまいに理解される」ことの形式的な相関物 |
| 統語論と意味論 | 統語論は意味論から自律的に組み立てるべきだが、両者の対応は独立に研究する価値がある |
| 理論の目標 | 発見手続きではなく、評価手続き——単純さで候補文法を比較できれば十分 |
なぜ今も読まれるか
『統辞構造論』は、20世紀後半の言語学を大きく塗り替えた——のちに「チョムスキー革命」と呼ばれる転換の、最初の一冊である。本書自身は変形文法の最初の体系化にすぎず、チョムスキーはこの後、『文法理論の諸相』(1965) で「深層構造/表層構造」「統率される」といった枠組みへ発展させ、さらに「普遍文法」「生成文法」というプログラムへ議論を広げていく。1959年には、B・F・スキナー『言語行動』(1957) への書評で行動主義的な言語学習理論を批判し、これは認知科学の成立に大きな影響を与えたとされる——本書と同じ時期に書かれた、独立した仕事である。
本書のなかで名指しこそされないが、チョムスキーが1966年の『デカルト派言語学』で祖先の一人に数えたのが、アルノーとランスロの『一般理性文法』だった——「心の構造が文法の構造を決める」という論点、「有限の手段の無限の使用」という定式は、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトにも先例がある(チョムスキー自身がこの一節を引いている)。他方、本書がかたく退けた「統計的近似」路線は、のちにコーパス言語学・統計的自然言語処理として別の形で復権し、両者の緊張は今日のAI言語モデルをめぐる議論にも続いている。
賛否は今も分かれる——生成文法のその後の展開(深層構造、束縛理論、極小主義……)をめぐって言語学内部でも論争は絶えず、認知言語学や機能主義言語学は、本書とは異なる前提から出発する。だが「文法的な文の集合を、有限の規則からどう生成するか」という問いの立て方そのもの、そして「単純さ」を理論選択の基準に据える方法論は、賛成する者にも反対する者にも、以後の議論の共通の出発点であり続けている。