第6章の後半は、言語コミュニケーションの、最大の難問に向かう。なぜ、嘘は広がらないのか。

聞き手の側:認識的警戒(6-4)

意図明示コミュニケーションからは、有用な情報も、間違った情報も入ってくる。聞き手は、それをふるいにかけなければならない。悪意のある話し手や、能力のない話し手を察知できれば、その人の言うことは、無視できる(pp.275–276)。

ここで大事なのは、理解することと、受け入れることは違う、ということだ。「デザートにケーキがあるよ」と言われて、相手がそう信じてほしいのだと理解しても、私はそれを信じなくてよい。信じない理由は二つある。相手を信用できない場合と、相手が勘違いしていると思う場合だ。コードモデルの見方では、こういう余地は生じない。意図明示の見方では、話し手の伝達意図に応じつつ、情報意図には応じない可能性が、最初から残る。この警戒を、認識的警戒という(p.276)。

ただし、警戒を、いつでも全開にするわけではない。両親が私を騙そうとしているとは、考えない。警戒の反対は、信頼ではなく、盲信である(p.278)。

話し手の側:論証

話し手は、聞き手に信じてもらうには、どうすればよいか。暴力で信じさせることは、不可能である。有効なのは、聞き手が受け入れるに足る理由を示すこと、つまり論証だ(p.278)。

これが、論理的思考の論証説(メルシエとスペルベル)の出発点である。この説では、論理的思考の固有の機能は、知識を深めることではなく、説得のための論を組み立て、評価することになる(p.278)。この見方は、確証バイアスの見方を変える。

例が、ウェイソンの2-4-6課題である。並んだ三つの数の規則を当てる課題で、参加者は、自分の仮説に合う数列ばかり試す。反証を試す人は、ほとんどいない。伝統的には、これは推論の欠陥と見られた。論証説では、これは、自分の主張の根拠を、相手に差し出すために設計された能力だ、と読み替えられる(pp.279–281)。

これは、記事282で見た運動誘発盲と、同じ構造の議論だ、と著者は言う。「欠陥」に見えたものが、機能から見ると、適応になる。

オオカミ少年(6-5)

ここで著者は、『ザ・シンプソンズ』の一話を引き、イソップ寓話の「オオカミ少年」に話をつなぐ。嘘をつく少年は、本当に危機が来たとき、誰にも信じてもらえない(pp.281–282)。

これは、進化生物学では進化的安定性の問題である。もし嘘が得になるなら、嘘の信号を出す個体が増える。すると、聞き手は、信号を無視する方が得になる。信号への無関心が進化し、システムは崩壊する。それなのに、ヒトの言語は崩壊しない。なぜか(p.282)。

著者は、「人は、なぜこれほど多くの情報を、他人に渡すのか」という問いが、パラドクスとして語られてきたことを紹介する。ただし、これは、問いの立て方が、ずれているとする。ヒトは、いつも信頼できる相手にだけ話すのではなく、聞き手の心に影響を与えたくて、話すからである(pp.283–284)。

ハンディキャップ原理

生物学が出した、有名な答えがハンディキャップ原理(ザハヴィ、スペンス)である。大きなコストを払う信号は、それだけで、誠実さの証拠になる、という考えだ。クジャクの長い尾は、生きるうえで邪魔だが、その邪魔を背負って生き延びている個体だ、と示せる。コストの余裕がない個体には、まねできない(p.284)。

ところが、著者は、この原理がよく誤解されていると言う。ハンディキャップが働くには、信号のコストが、信号の意味と相関していることが要る。優れた個体ほど、コストが軽い。この差がなければ、ハンディキャップは、誠実さを保証しない(pp.284–285)。

言語には、当てはまるか。著者は、これを疑う。

インデックスと抑止力

ハンディキャップ以外にも、信号を安定させる道がある(p.286–289)。

著者は、ヒトのコミュニケーションが、どれに当たるかを、経験的に調べる必要があると言う。

ヒトの場合:社会的評判(6-6)

著者の答えは、評判である(pp.290–294)。

嘘つきだと知れ渡った人は、将来、無視され、社会から遠ざけられる。ヒトのように、高度に社会的で、他人の行動を見張り、噂話をする種にとって、評判を落とすことは、極めて高いコストになる。シェイクスピアの『オセロー』で、キャシオーが名誉を失って嘆く場面が、その教訓を伝える、と著者は言う(p.292)。

つまり、言葉の誠実さを支えるのは、信号そのもののコスト(ハンディキャップ)ではなく、世間の評判が課す抑止力である。そのため、こんな予測が立つ。「自分の評判が落ちない、と思う条件では、嘘をつきやすくなる」。著者は、進化生物学者の協力を得て、この予測を、統制実験で検証したところ、結果は、この見方を支持した、と述べる(p.293)。データは、未公刊である。

言語は、生物進化の大転換点か(6-7)

章の最後で、著者は、メイナード・スミスとサトマーリの「進化の大転換点」(遺伝子の複製、多細胞生物、性など、情報伝達の仕方が変わった八つの出来事)の枠組みを取り上げる。言語の始まりは、その最後の一つに数えられている(pp.295–296)。

著者は、これに慎重である。大転換は、「上位のユニットの内に、独立に複製されていた下位のユニットが入り、後戻りできなくなる」ような変化だ、という基準がある。言語の始まりが、これに当てはまるかは、確信が持てない。だが、こうは言える。本当に新しいのは、言語そのものではなく、意図明示・推論コミュニケーションの始まりの方だ。それは、ヒト特有で、そのおかげで、どんな行動でも、コミュニケーションの手段にできる。言語は、その新しさを、さらに特別なものにした(pp.297–298)。

章のまとめ

言語固有の認知能力があるなら、その進化的機能は、言語コミュニケーションの質を高めることだと考えられる。もっと一般に、意図明示コミュニケーションの本来的な機能は、他者の心を読むこと(聞き手側)と、操作すること(話し手側)である。それは、社会的知能の進化と、つながっている。そして、その誠実さを保つ最も重要なしくみは、社会的評判である(p.298)。

エピローグ:大問題への答え(pp.299–302)

著者は、言語の起源について、あらゆる理論が答えるべき問題のリストを、五つの文献から集め、表7-1にまとめて、自分の答えを添える。要点だけ挙げる。

問題本書の答え(要約)
唯一性:なぜヒトだけが言語を持つかヒトだけが、大規模で複雑な社会集団で暮らし始めた。高度な社会的認知(特に再帰的な読心)が選択され、意図明示・推論コミュニケーションが可能になった
正直さ:なぜ安定しているか社会的評判が、嘘の抑止力になる
機能と環境読心と心理操作。複雑な社会を生き抜く手段として進化した
表現力意図明示・推論コミュニケーションが、信号の自由な創出と柔軟な使用を可能にした
型式個別言語は、文化的牽引によって、ヒトの性向に合う型式へ向かう
歴史意図明示コミュニケーション → 慣習コード → それが固定化して、現在の諸言語
世界と結びついた記号初期の意図明示・推論は、メタ心理学的能力に頼り、意味の手がかりになる行動が、規範として共有されて語になった
利己性話し手は、聞き手の心に影響を及ぼすために話す
一貫性十分に理解の進んだ進化のメカニズムだけに依拠する

著者は、最後にこうまとめる。ヒトだけが、大規模で複雑な社会集団で暮らし、社会的認知が強く選択された。すると、意図明示・推論コミュニケーションが可能になり、人々は、さまざまな慣習コードを共有し始めた。それが固定化して、現在の諸言語になった。言語が、我々だけに備わっているのは、そのためである(p.302)。

訳者あとがきから

訳者あとがき(p.303 以降)は、本書が原著の全訳であることを述べる。また、言語は、思考のためか、対人コミュニケーションのためか、という、大きな問いに触れ、本書の見方を補う。言語の第一の機能は、思考の表示ではなく、聞き手が話し手の意図を読むのを助けることだ、という理解が、自然言語の意味論にも及ぶ、と訳者は述べる(pp.304–306)。書誌ページは、私は確認できていない。

読むうえで

この特集は、本書全体の要約であり、著者の主張を、そのまま紹介したものである。ハンディキャップ原理の評価、評判の実験(未公刊)、言語の大転換点の位置づけなど、研究者の間で意見が分かれる点も多い。これらは、原論文や他の文献で確かめてほしい。