このサイトにはこれまで、比較言語学の歴史を扱った九つの特集がある——ウィリアム・ジョーンズ、ラスムス・ラスク、ヤーコプ・グリム、フランツ・ボップ、マックス・ミュラー、アウグスト・シュライヒャー、カール・ブルークマン、オットー・イェスペルセン、デイヴィッド・W・アンソニー。それぞれ独立した特集として、原典に沿って読んできた。

だが九つを並べてみると、一本の問いが、形を変えながらずっと生き続けていることに気づく。言語の変化とは、樫の木が育つような、自然の法則にしたがう出来事なのか。それとも、話し手一人ひとりの選択が積み重なった、人間の歴史的ないとなみなのか。 この特集は、九つの特集をまたいで、その一本の問いの歴史を六つの章で描き直す試みである。個々の人物の詳しい読解はすでにある各特集に譲り、ここでは仕事と仕事のあいだ——何が受け継がれ、何が反転したか——に焦点を当てる。

一本の問いが、221年を貫く

年表に並べてみると、対象になる期間の長さにまず気づく。ジョーンズが「偶然ではありえない」類似を指摘した講演は1786年、アンソニーの『馬・車輪・言語』は2007年——その間、221年。

1786 ジョーンズ 1818 ラスク 1822 グリム 1833 ボップ 1861 ミュラー/シュライヒャー 1886 ブルークマン 1922 イェスペルセン 2007 アンソニー 年表は見やすさのため間隔を詰めてある(実際の間隔とは比例しない)。ミュラーとシュライヒャーは、同じ1861年の刊行。
比較言語学の起源を主題にした九つの仕事の年表。図:ToL

221年のあいだ、当然、言語学という学問の道具立ても、扱える証拠の種類もまったく違うものになった。それでも、この九つを貫く問いのは驚くほど変わらない。ジョーンズが「偶然ではない」と直観した類似は、ラスクとグリムの手で「規則的な対応」になり、ボップの手で「有機体」という比喩になり、シュライヒャーの手で「生きているが歴史を持たない自然物」になり、ブルークマンの手で「例外なき法則」になり、イェスペルセンの手で「人間が進める効率化」になり、アンソニーの手で「馬に乗り、荷車を引いた、名もなき人々の歴史」になる。呼び名は変わっても、根にあるのは同じ問いである。

もう一つの軸——「自然物」としての言語、「人間の営み」としての言語

年代だけを並べても、なぜ考えがそちらへ動いたのかは見えてこない。もう一つ、時間を横に切る軸を立ててみる——言語の変化を、人間から切り離された自然法則として見るか、話し手たちの選択が積み重なる歴史的ないとなみとして見るか、という軸だ。

自然法則としてのことば 人間から切り離された、機械的な変化 人間の営みとしてのことば 話し手の選択が積み重なる歴史 ラスク・グリム——規則的な対応 ボップ——有機体という比喩 ミュラー・シュライヒャー——自然科学 ブルークマン——例外なき法則 イェスペルセン——効率化という進歩 アンソニー——移住と制度 ブルークマンの「類推」(人間的な力)→ イェスペルセンとアンソニーへ
「自然法則」と「人間の営み」——九つの仕事を分ける、もう一つの軸。図:ToL

左側に並ぶのは、言語の変化を人間から独立した機械的な出来事として見る立場。ラスクとグリムは、音の対応が規則的で予測可能であることを示し、言語比較を厳密な手続きに変えた。ボップは「言語は有機体だ」という比喩を使って、語尾が化石のように風化していく過程を説明する。ミュラーは「言語学は自然科学だ」と公言し、シュライヒャーはその比喩を字義どおりに引き受けて、「言語は生きるが、人間のように行為しないので歴史を持たない」と言い切る。ブルークマンは「音法則は例外なく働く」という、この側のもっとも強い主張にたどり着く。

右側に並ぶのは、言語の変化を話し手たちの選択の積み重ねとして見る立場。イェスペルセンは、シュライヒャーが「衰退」と呼んだ現象を「効率化という進歩」として読み直し、子どもの言い間違いやピジン語を、人間の適応力の証拠として扱う。アンソニーは、言語の拡散そのものを、荷馬車に乗った名もなき人々の、現実の移住と制度(後見人・客人の関係)として描き直す。

そして、この軸をまたいで動いた人物が一人いる。ブルークマンその人である。「音法則は例外なく働く」という、自然法則側のもっとも強い言葉を掲げながら、同時に「類推」——話し手が既存のパターンを別の語に当てはめる、きわめて人間的な力——を、音法則と並ぶもう一つの原動力として認めた。一人の学者の中に、この特集全体が描く大きな振り子が、そのまま縮図として現れている。

六つの章

この先は、時系列に沿って六つの章に分けて読む。各章は独立して読めるが、通して読むと、一本の問いが姿を変えながら受け継がれていく様子が見えてくるはずだ。

  1. 対応の発見——ジョーンズとラスク
  2. 法則と有機体——グリムとボップ
  3. 自然物としてのことば——ミュラーとシュライヒャー
  4. 例外なき法則、そして人間への一歩——ブルークマン
  5. 進歩としての単純化——イェスペルセンの反転
  6. 実際に何が起きたか——アンソニーと、221年越しの答え

まとめ

人物(著作・年)言語の変化とは自然法則か、人間の営みか
ジョーンズ(1786)偶然ではありえない類似——共通の祖先を示唆(問いの誕生)
ラスク(1818)文法の規則的対応こそ、確かな手がかり自然法則寄り
グリム(1822)子音の対応表——のちに「法則」と呼ばれる規則性自然法則寄り
ボップ(1833)語尾は化石化した代名詞——言語は有機体(比喩)自然法則寄り
ミュラー(1861)言語学は自然科学である自然法則
シュライヒャー(1861)言語は生きるが、人間のように歴史を持たない自然法則
ブルークマン(1886)音法則は例外なく働く。ただし類推という人間的な力もある自然法則→人間
イェスペルセン(1922)単純化は衰退ではなく、効率化という進歩人間の営み
アンソニー(2007)言語の拡散は、移住と制度という人間の歴史そのもの人間の営み

一言でいえば——「ことばはなぜ変わるのか」という問いに、最終的な答えはまだない。だが221年のあいだ、思想はでたらめに動いてきたわけでもない。言語の変化を「自然法則」として固定しようとする動きと、「人間の営み」として取り戻そうとする動きが、交互に振り子のように現れ続けている。