前の記事で見た、物の名と動作の名の見取り図を、金沢庄三郎は、「涙」に当てはめる。この記事では、その論の筋道を追う。

旧来の説

「涙(なみだ)」の語源として、昔から言われてきたのは、こういう説である。「泣き水垂り」——泣くときに、水が垂れる。その言葉が、縮まって「なみだ」になった。

金沢は、この説に、別の見方を並べる。

朝鮮語の「目」と「水」を並べる

金沢が、まず、注目するのは、朝鮮語である。金沢の挙げる朝鮮語では、を nun、を mur と言い、を、その二つをつないだ nun-mur と言う。直訳すれば、「目の水」である。

ここで、日本語の「涙」を、同じ形に分けて見る。

ここから、金沢は、次の見方を出す。「涙」は、「な(目)」+「みだ(水)」で、「目の水」という意味ではないか。 つまり、「な」は、日本語の目の古い言葉ではないか、と。

朝鮮語(金沢の挙げた語形) nun(目)+ mur(水) = nun-mur(涙) 日本語 な(目?)+ みだ(水) = なみだ(涙) 対応? 旧説:泣き水垂り(=泣くとき、水が垂れる)の縮まったもの 金沢の見方:「な」は目の古語ではないか(「かと思はれる」と推量) 図:ToL
「涙」の二つの見方。図:ToL

「泣く」も、「な」から

金沢は、さらに、「泣く」も、この「な」から生まれたと考える。前の記事の見取り図と同じく、金沢が挙げる「肩から担ぐ」「綱から繋ぐ」「枕から枕く」のように、物の名から動作の名ができる仕組みが、ここにも働いた、というのである。

「な(目)」が、カ行に活用して、「なく(泣く)」となった。

そのため、現代の日本語には、「な」という「目」の語はないが、目でする動作としての「泣く」だけが、残っている。金沢の見方では、「な」は、日本にはなくなり、韓国にだけ残っている、目という意味の古語であろう、ということになる(原文の言い方は「であらうと思ふ」と推量である)。

金沢は、さらに、アイヌ語の例も挙げる。アイヌ語では、涙を nu-pe と言い、「見る」を nu-kara と言う。pe は水の意味で、kara は「為(する)」の意味だから、これも、参考になる、という。

ここで、確かなことと、そうでないこと

この記事で紹介したのは、金沢の見方である。「涙」の語源についての金沢の書き方は、「ナは目の古語かと思はれる」と、はっきり推量の形である。「な」が「目」を意味していた、という見方は、今日でも、語源説の一つとして紹介されることがあるが、決着した説ではない。また、朝鮮語やアイヌ語の語との対応も、日本語との系統関係が証明されていない以上、偶然の一致の可能性を排除できない。その点は、判定の記事で整理する。

まとめ

論点内容
旧来の説涙=泣き水垂りの縮まったもの
金沢の見方涙=な(目)+みだ(水)。朝鮮語の nun-mur(目の水)と並ぶ
「泣く」「な(目)」がカ行に活用して「なく」になった、という説明
金沢の断り「ナは目の古語かと思はれる」と、推量の形で述べている

一言でいえば——「涙」の「な」は、目の古い言葉ではないか、と金沢庄三郎は考えた。朝鮮語の「目の水」との並びが、その手がかりだったが、金沢自身、「かと思はれる」と、推量にとどめている。