第6章は「言語は、何のために進化したのか」を問う。前半は、その問いの立て方から始まる。
適応主義とは何か(6-1)
ダーウィンの自然選択説が説得力を持つのは、生物の体が、環境に見事に適応して見える事実を、自然主義的に説明できるからである(p.255)。この考え方を、ヒトの心に応用したのが進化心理学で、両者を合わせて適応主義と呼ぶ。著者は、この語が誤解されやすいので、先に整理するという(p.256)。
要点は、適応主義が「すべての形質は適応だ」という主張ではなく、研究の道具だということである。ある形質に、ある機能を仮定する。すると、次のような問いが立てられる。その機能を果たすなら、どんな設計がよいか。実際の設計は、別の機能の場合や、機能がない場合と、どこが違うか。ここから、検証できる予測が出る(p.257)。
例:運動誘発盲
著者が挙げる例が、運動誘発盲である。はっきり見える対象の背後で何かの模様が動くと、意識の上では、その対象が「見えなく」なる。ふつうは、視覚の欠陥だと考える。
ところが、別の仮説がある。目には暗点(視野の欠けた部分)ができることがあり、視覚系は、周囲の情報から、その空白を埋める。すると、運動誘発盲は、「空白を埋める働きが、動く模様を背景と見なした結果」だ、と説明できる。この仮説は、検証できる。空白を埋める働きが原因なら、別の状況では起こらないはずだ。実験してみると、欠陥説に合わない結果が出た。視覚系は、変化する視野の中で、小さな対象を無視するように、設計されているらしい(pp.257–259)。
著者の結論は、適応主義は、機能について検証可能な予測を導き、実験で、実際のしくみに迫る、というものである。言語進化の研究でも、同じ方法を使うべきだ、と論じる(p.259)。
ピンカー=ブルームの主張(6-2)
言語進化の古典は、ピンカーとブルームの論文「自然言語と自然選択」(1990)である。彼らは、当時の言語学の主流だった立場、特にチョムスキーに反対して、こう論じた(pp.260–261)。
- 言語能力は、複雑な、生物学的な適応形質である。
- ゆえに、その設計を説明できるのは、自然選択だけである。
チョムスキーの側は、自然選択については、確かなことは何も言えない、という立場をとっていた(p.260)。
著者はこの論に、二つの前提があると整理する(pp.261–262)。
- 自然界に設計の証拠があるなら、それを説明できる自然主義的な方法は、自然選択だけである。
- 言語能力は、実際に、ヒトに備わった生得的な認知機構(普遍文法)である。
著者は、1 は認める。問題は 2 である。
普遍文法という前提
普遍文法の存在は、いまも議論が続いている。チョムスキー側の論法は、子どもが接する言語データだけでは、言語を獲得できないはずだ、というものである。これに対して、データだけで獲得できる、という反論がある(pp.262–263)。
著者が強調するのは、争点が「ヒトが言語を獲得できるか」ではない、ということだ。ヒトには確かにそういう性向がある。問題は、その性向の中身、特に、文法・統語論に特有の何かが、それに含まれるかである(p.263)。
そのうえで、論理はこうなる(p.264)。
- 普遍文法のような機構が存在する場合、それが自然選択の産物かを問うのは、意味がある。
- だが、普遍文法があるとしても、それがいつ・なぜ進化したのかが、重要な問いになる。
- 意図明示コミュニケーション(第2章)が先にあれば、その上で、言語習得を助けるしくみに、自然選択がはたらく道がある。ただし、それが普遍文法かは、経験的な問題として残る。
文化的牽引は、普遍文法の代案か
第5章の文化的牽引(記事281)は、普遍文法を仮定しなくても、諸言語が互いに似る理由を説明できる。文化的牽引のはたらきは、生物の進化とは別のレベルだからである(pp.264–265)。
著者は、ここで「生物進化」対「文化進化」という二分法を、誤りだと言う(pp.265–266)。二つは、答えるレベルが違う。
| レベル | 問い |
|---|---|
| 究極要因 | なぜある形質(バイアス)が、集団に広まったか(自然選択) |
| 至近要因 | その形質は、どんなしくみではたらくか(文化的牽引など) |
たとえば、ある計算機シミュレーションでは、構造を持つ言語を好む、弱いバイアスを持つエージェントが、自然選択を受ける。構造を持つ言語が、実際に広く見られる理由は、この二つを、別のレベルの答えとして併せて説明できる。
著者は、これを、メンデル遺伝学と、ダーウィンの自然選択説の関係にたとえる。両者は、一時、対立するかに見えた。後に、メンデルの遺伝の話が、自然選択を生む具体的なしくみを説明するものだと分かり、総合説が生まれた(p.267)。言語についても、二つのレベルを分けることで、争いは解消できる、というのが著者の見方である。
言語コミュニケーションは、何のために(6-3)
次に問うのは、言語の進化的機能である。従来の研究は、言語の内的な認知機構(文法など)に集中していた。著者は、むしろコミュニケーションのための使用を問う(pp.268–269)。
意図明示コミュニケーションは、二種類の行動(示すことと、推論すること)から成る。だから、適応かどうかは、まず信号の産出、次に信号の理解、と分けて問わなければならない(p.269)。
聞き手は、注意を奪われるものを、うまくふるい分けなければならない。話し手は、聞き手の労力を節約しなければならない。これが、関連性の二つの原理(記事279)の、設計上の要請である。すると、意図明示コミュニケーションのしくみが、この設計どおりに働いていることが、実証されているはずだ。著者は、実際にそうだと言う(pp.270–271)。
本来的機能と派生的機能
著者は、言語コミュニケーションの進化的機能を、次のように考える。
- 本来的機能:その形質が、再生産される理由になった機能。心臓の本来的機能は、血液を押し出すこと。
- 派生的機能:そのうえで、形質が果たすさまざまな具体的機能。
意図明示コミュニケーションの本来的機能は、他者の心を読み、操作することだ、と著者は言う(pp.272–274)。ここで「操作」は、悪い意味に限らない。聞き手の行動に影響を与えようとする行為全般を指す。そのうえで、言語のさまざまな用途、たとえば、性、政治、噂話、配偶者の誘引、狩猟の計画などは、みな派生的機能である。だから、言語の起源を、そのどれか一つに求める説(たとえば「狩りの相談のため」)は、機能の区別ができていない、とする。
読むうえで
適応主義への批判は、本書の外に数多くある。ここでは著者の整理を紹介したにとどまる。また、運動誘発盲の実験の細部や、普遍文法をめぐる各論は、本書の要約であり、原論文で確認していない。