この特集の最後の精読として、これまで4本の記事——は・が、呼び方、語順、動詞の活用——で学んだ要素を、一つの続いた文章のなかで、まとめて確認する。読む一節は、先生が初めて姿を現す、次の段落である。

一節、全文

私はその二日前に由井が浜まで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ入る様子を眺めていた。……そういう有様を目撃したばかりの私の眼には、猿股一つで済まして皆なの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。 彼はやがて自分の傍を顧みて、そこにこごんでいる日本人に、一言二言何かいった。その日本人は砂の上に落ちた手拭を拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。その人がすなわち先生であった。

第一文——「私は」で始まる、長い状況説明

私はその二日前に由井が浜まで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ入る様子を眺めていた。

「私は」——第2記事で見た、話の主題を立てる「は」である。この文は、「私」を主題に据えたまま、「行って」「しゃがみながら」と、動作を重ねていき、最後に「眺めていた」という述語にたどり着く。「眺めていた」の「て」は、第5記事で見た、一段動詞の、変化しないテ形である。

第二文——修飾語が、名詞の前に積み重なる

そういう有様を目撃したばかりの私の眼には、猿股一つで済まして皆なの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。

この文には、第4記事で見た、「修飾語は名詞の前」という原則が、二重に現れている。「そういう有様を目撃したばかりの」が「私の眼」を修飾し、「猿股一つで済まして皆なの前に立っているこの」が「西洋人」を修飾している。どちらも、長い説明のかたまりが、名詞の直前に、そのまま置かれている。

第三文——「彼」が、限定的に西洋人を指す

彼はやがて自分の傍を顧みて、そこにこごんでいる日本人に、一言二言何かいった。

「彼」——第3記事で見た、直前の文脈(西洋人)を指す、限定的な代名詞である。「そこにこごんでいる日本人」にも、「修飾語は名詞の前」の原則が、もう一度確認できる。「こごんでいる」の「んで」は、第5記事で見た、「ぶ・む」動詞のテ形パターンである。

第四文——「が」が、従属節の主語を示す

その日本人は砂の上に落ちた手拭を拾い上げているところであったが……

「その日本人は」——ここでは、前文の「日本人」を受けて、あらためて主題として立て直している。「砂の上に落ちた」も、「手拭」を修飾する、名詞前置の説明である。

最終文——呼び方が切り替わる、決定的な一文

その人がすなわち先生であった。

ここで、「その人が」——第2記事で見た、埋め込まれた構造に近い、断定を導く「が」である。そして、この一文全体が、第3記事で見た、呼び方の切り替えの、決定的な瞬間になっている。「その日本人」という、まだ名もない観察対象が、この一文によって、初めて「先生」という、以後一貫して使われる呼び方に切り替わる。

一節に詰まった、五つの文法要素 ①「私は」 主題を立てる「は」 ②修飾語の前置 「西洋人がいかにも」 ③「彼」 限定的な代名詞 ④「こごんでいる」 テ形のパターン ⑤呼び方の切り替え 「先生であった」 わずか五文のなかに、この特集で学んだ文法要素が、すべて確認できる 図:ToL(先生登場の一節の文法分析による)
一節に詰まった、五つの文法要素。図:ToL

読むうえで、確かめておきたいこと

第一に、この記事の分析は、これまでの4本の記事で確認した規則を、この一節に当てはめて確認したものであり、新しい文法規則を導入しているわけではない。

第二に、実際の日本語の文章には、この記事が扱わなかった、他の多くの文法要素(助詞「に」「で」「と」の使い分け、接続表現など)も、当然含まれている。 この一節を、日本語文法の「すべて」が詰まった、完全な教材として扱っているわけではない。

まとめ

文確認できる文法要素
私は……眺めていた主題の「は」、一段動詞のテ形
そういう有様を……見えた修飾語の名詞前置(二重)
彼はやがて……いった限定的な代名詞「彼」、五段動詞のテ形
その日本人は……であったが主題の立て直し、修飾語の前置
その人がすなわち先生であった断定の「が」、呼び方の切り替え

一言でいえば——わずか五文からなる、この一節には、は・が、修飾語の位置、代名詞の限定性、動詞の活用、呼び方の切り替えという、この特集で学んだ文法要素のすべてが、無理なく、自然な形で詰まっている。