ラテン語のユピテル(Jupiter) と、ギリシア語のゼウス(Zeus)。この二つの神の名前が、実は同じ一つの言葉に由来する——ミュラーが比較神話学で示した、もっとも有名な発見の一つだ。この発見から、彼はさらに大きな理論へと歩を進めていく。

ユピテル=ゼウス=「天なる父」

ヴェーダのサンスクリット語には、ディヤウス・ピタル(Dyaus Pitar、「天なる父」) と呼ばれる神がいる。ミュラーはこう指摘する。

Dyaus is most frequently called pitar or father, so much so that Dyaushpitar in the Veda becomes almost as much one word as Jupiter in Latin. (ディヤウスは、たいてい「ピタル」つまり父と呼ばれる——ヴェーダにおける「ディヤウシュピタル」は、ラテン語の「ユピテル」とほとんど同じ一語になっているほどだ。)

ディヤウス・ピタル(サンスクリット語)=ユー・ピテル→ユピテル(ラテン語)=ゼウス・パテール(ギリシア語)——音の対応から見て、これらはすべて同じ「天なる父」という一つの祖語の表現に由来する、というのがミュラーの結論だった。これは、のちの比較神話学・比較宗教学でも広く支持され続けている、堅実な発見である。

そこから「言語の病」へ

ミュラーはこの発見を足がかりに、もっと大きな主張へと進む。古代の人々は、太陽や空、暁といった自然現象を、はじめは単純な比喩で語っていた——「太陽が暁を追いかける」というように。だが世代が下るにつれて、もとの比喩の意味が忘れられ、その言い回しだけが独り歩きして、太陽神が暁の女神を追いかける物語として語り継がれるようになる。ミュラーはこの過程を、はっきりと病にたとえた。

There is as much mythology in our use of the word Nothing as in the most absurd portions of the mythological phraseology of India, Greece, and Rome: and if we ascribe the former to a disease of language… (私たちが「無」という言葉を使うことにも、インド・ギリシア・ローマの神話的言い回しのもっとも突飛な部分と同じだけの「神話」が潜んでいる。前者を言語の病のせいだとするなら……)

さらに第10講では、神話と宗教は別物であり、神話とは**「言語の障害あるいは病」**(an affection or disorder of language) が、本来は健全だった宗教的な直観を侵食した結果だ、と述べる。人が「太陽は神だ」と言うとき、それは太陽そのものに「神」という述語を誤って当てはめてしまった結果であり、この誤用こそが偶像崇拝の起源だ、というのがミュラーの見立てだった。理性的な精神が受け取った感覚の印象を言葉にする、という言語本来の役目から外れ、比喩が独り歩きしてしまう状態——それをミュラーは「病」と呼んだ。

①自然現象の比喩 「太陽が暁を追う」 ②比喩の意味を忘れる 「言語の病」の始まり ③神話として定着 神々の物語になる ディヤウス・ピタル=ユピテル=ゼウスの発見は①②を裏づけたが、③への一般化は行き過ぎと批判された
ミュラーの比較神話学——比喩から神話へ。図:ToL

行き過ぎだったのはどこか

問題は、ミュラーがこの枠組みをギリシア神話のほとんどに当てはめようとした点にある。第11講「暁の神話」では、ヘルメスやその他多くの神々の名前を、すべて「太陽」「暁」「嵐」といった自然現象の忘れられた比喩として説明し直そうとする。だが、この一般化には無理があった——のちにイギリスの人類学者アンドルー・ラングが、ミュラーとまったく同じ書名『現代の神話学』(Modern Mythology, 1897、ミュラー自身の第12講のタイトルからの命名)を掲げて反論したように、世界中の「未開」とされる文化にも、太陽や暁とは無関係な、よく似た構造の神話が数多く見つかる。ラングたちは、神話を生むのは言語の誤用というより、もっと普遍的な、人間の思考そのものの働きだと論じた。「太陽は神だ」と言った古代人の心の動きを、ミュラーは言語の側に、ラングたちは人間の側に求めた、と言ってもよい。

まとめ

論点内容
確かな発見ディヤウス・ピタル=ユピテル=ゼウスは、同じ祖語の表現に由来する
理論の核心神話は、忘れられた自然現象の比喩が擬人化した「言語の病」である
行き過ぎた部分ギリシア神話のほとんどを、この枠組みだけで説明しようとした
のちの反論アンドルー・ラング『現代の神話学』(1897) が、人類学的な視点から反論

一言でいえば——ユピテルとゼウスが同じ一語だという発見は、いまも色あせない業績だ。だがその発見を足がかりに、神話の起源そのものを丸ごと言語の問題に還元しようとした一般化は、次の世代の学者たちによって修正されることになる。