前の記事で、松下大三郎の五品詞の、先頭が「感動詞」であることに気づいた人もいるだろう。九品詞では、感動詞は、最後に置かれるのがふつうである。松下は、なぜ、これを第一の品詞にしたのか。その理由と、「これ」「それ」の正体を、『標準日本文法』で読む。(以下、引用の現代語訳は ToL による。)

直観と、概念

松下は、人の心の動きを、二つに分ける。物を見たとき、心に「観念」が生まれる。その観念が、ただの見たままの姿であるとき、それは直観的観念である。その観念が、他の観念と比べられ、共通するところだけが取り出されたとき、それが概念になる。

ここから、詞を二つに分ける。

直観詞は直観的観念を表はし概念詞は概念を表はすものである。

(直観詞は、直観的な観念を表し、概念詞は、概念を表すものである。)

そして、直観詞を、詞のなかから取り出して、第一の品詞とする。

吾々は多数の単性詞中より此の直観詞を取出して之を第一の品詞とし、名づけて感動詞といふ。

(私たちは、多くの単性詞のなかから、この直観詞を取り出して、第一の品詞とし、名づけて感動詞という。)

感動詞の例

松下が挙げる、感動詞の例は、次のとおりである。

文語あゝ、やよ、いさ、あな、いで、うべ、あはれ、いざ、咄(とつ)、あはや、いな、呵々(かか)
口語あ(そうか)、え(何だい)、やあ(これは)、さて(どうしよう)、おや(変だ)、さあ(行こう)、へゝえ(さ様で)、ふゝん(笑はせらあ)など

口語には、非常に多くの感動詞がある、と松下は書く。(かっこ内の説明は、松下による。)

「これ」は、代名詞のはずだが

では、代名詞は、どうなるか。松下は、代名詞について、こう言う。

代名詞は自己は概念を表はすがその指示されるものは概念ではなくて直観的の観念である。

(代名詞は、それ自身は概念を表すが、それが指し示すものは、概念ではなくて、直観的な観念である。)

たとえば、山を見て「彼れ」と言っても、それは、山の概念を指しているのではなく、目の前の山の直観的な観念を指している、と言う。聞いた人も、「彼れ」と指された山を見て、その山の直観を、心に得る。

つまり、代名詞は、直観的なものを指す。そうであれば、直観の詞である感動詞に、変わりやすい。松下は、こう言って、次の例を挙げる。

「これ(こら)」何をする。「あれ(あら)」どうしよう。「それ(そら)」持つて行け。「どれ(どら)」帰らう。の「」は感動詞である。

(「これ(こら)」何をする。「あれ(あら)」どうしよう。「それ(そら)」持って行け。「どれ(どら)」帰ろう。の、かぎ括弧のなかは、感動詞である。)

たとえば、「これ、何をする」の「これ」は、何かの名前の代わりをしているわけではない。指す働きが、そのまま声になって、口に出たものである。松下は、この移り変わりを、代名詞から感動詞へという、詞の変わりやすさとして、捉えた。

「名の代り」という定義への疑問

松下は、代名詞についての、従来の説明にも、疑問を出している。

従来の文典は、代名詞を、「名の代りになる詞」と定義してきた。しかし、松下は、これを、意味が広すぎる、と言う。「者」や「こと」のような詞(形式名詞)も、「名の代りになる」と言えるが、代名詞ではない、と。代名詞は、それとは別に、直観的な観念を指し示す名詞として、はっきり分けるべきだ、というのである。

(松下の名詞の三分——本名詞・代名詞・形式名詞——は、精読②で見る。)

直観詞(=感動詞) あゝ、やよ、おや、さあ など 概念詞 名詞・動詞・形容詞・副詞 代名詞(これ・それ・あれ・どれ) 直観的な観念を指す 変わりやすい 図:ToL(松下『標準日本文法』の説明による)
直観の詞と、概念の詞。図:ToL

読むうえで、確かめておきたいこと

第一に、これは、「これ」の用法についての、一つの説明であって、唯一の説明ではない。 現在の辞書や文法書が、「これ」の呼びかけの用法を、どう扱うかは、この記事では確かめていない。ただ、松下が、「これ」の二つの顔——指す顔と、声になる顔——を、はっきり見ていたことは、原文から確かである。

第二に、「直観」と「概念」の区別は、松下の、心の動きについての考え方に、基づいている。 感動詞を第一の品詞に置くという、大胆な並べ方も、その考え方から出てくる。その考え方を、そのまま受け入れなくても、「これ」が、指す働きと声の働きを、あわせ持つという観察は、なお読む価値がある。

まとめ

論点内容
直観詞直観的観念を表す詞。これを取り出して、第一の品詞「感動詞」とする
概念詞概念を表す詞
代名詞自身は概念を表すが、指すものは直観的観念。感動詞に変わりやすい
「これ(こら)」何をする。「あれ(あら)」どうしよう。「それ(そら)」持つて行け
従来の定義「名の代り」は意味が広すぎる。「者」「こと」も、名の代りになれる

一言でいえば——松下大三郎は、「これ」が指す働きをもち、そのまま声にも変わるところに、代名詞と感動詞の近さを見た。