記号の恣意性共時態と通時態を経て、ソシュール『講義』の核心へ——言語的価値(valeur linguistique)。第2部 第4章。

1. 意味(signification)と価値(valeur)は違う

語には二つの面がある。一つは「概念と結びつく」面(=意味)。もう一つは「他の語と対立し、比較される」面(=価値)。ソシュールは硬貨で説明する。

交換(異質) 観念 比較(同質)= 他の語 硬貨:パンと交換でき、 1フランや1ドルと比較できる。 語も同じ。意味だけでは 価値は定まらない。
硬貨の価値は「何と交換できるか(パン)」と「同種の何と比較できるか(1フラン、1ドル)」で決まる。語も同じ。図:L/LAB

ソシュールいわく、5フラン硬貨が何に値するかを決めるには、それが「別の物(パン)と交換できること(échanger contre une chose différente)」と、「同じ体系の似た価値(1フラン硬貨、1ドル)と比較できること(comparer avec une valeur similaire)」の両方を知る必要がある。「同じく、語は異質なもの——一つの観念——と交換でき、なおかつ、同種のもの——別の語——と比較できる」(第2部 第4章。フランス語引用の日本語は L/LAB 訳。以下同じ)。「その内容が本当に定まるのは、その語の外にあるものの協働によってだけ」だ。

2. mouton ≠ sheep

「羊」という領域 mouton(仏) sheep(英) mutton(英) 生きた羊 食卓の羊肉 意味は重なりうる。だが sheep は隣に mutton がいるぶん、mouton より「守備範囲が狭い」=価値が違う。
フランス語は mouton 一語で覆う範囲を、英語は sheep と mutton の二語で分ける。だから同じ意味でも価値は違う。図:L/LAB

Le français mouton peut avoir la même signification que l’anglais sheep, mais non la même valeur … parce qu’en parlant d’une pièce de viande apprêtée et servie sur la table, l’anglais dit mutton et non sheep.

フランス語の mouton は英語の sheep と同じ意味を持ちうるが、同じ価値は持たない。……食卓に供される調理された肉を言うとき、英語は sheep ではなく mutton と言うからだ。(第2部 第4章)

同じことが同義語群にも言える。フランス語の redoutercraindreavoir peur(いずれも「恐れる」)は、互いの対立によってしか内容を持たない。もし一つが消えれば、その中身は残りの語へ流れ込む。

3. 「言語には差異しかない」

観念(それ自体は連続・不定形) 音(それ自体は連続・不定形) 体系が、上下を「同時に」切り分ける
観念の連続体にも音の連続体にも、あらかじめの区切りはない。体系が両方を一度に切り分け、差異だけが残る。図:L/LAB

dans la langue il n’y a que des différences. Bien plus : une différence suppose en général des termes positifs entre lesquels elle s’établit ; mais dans la langue il n’y a que des différences sans termes positifs.

言語には差異しかない。それどころか——差異はふつう、そのあいだに差異が成り立つ積極的な項を前提とする。だが言語には、積極的な項なしの差異しかない。(第2部 第4章)

シニフィエを取っても、シニフィアンを取っても、体系に先立って存在する観念や音はない。あるのは、体系から生じた概念的差異と音的差異だけだ。「ある項の価値は、その意味にも音にも触れずに、隣の項が変化しただけで変わりうる」。

4. ただし、記号を「全体」として見ると

ここでソシュールは、大事な留保を置く。「言語ではすべてが否定的だ」と言えるのは、シニフィエとシニフィアンを別々に取ったときだけだ。「記号を全体として考えたとたん、私たちは、その次元における積極的なものを前にする(une chose positive dans son ordre)」(第2部 第4章)。シニフィエとシニフィアンはそれぞれ純粋に差異的・否定的だが、その組み合わせは積極的な事実だ。そして、二つの完全な記号どうしのあいだにあるのは、もはや「差異」ではなく「対立(opposition)」だ——pèremère は「異なる」のではなく「区別される」。

5. 一枚の紙

ソシュールの最後のたとえ——「言語は一枚の紙にたとえられる。思考が表、音が裏だ。表を切れば、同時に裏も切れる(on ne peut découper le recto sans découper en même temps le verso)」(第2部 第4章)。思考それ自体は不定形の霧であり、音それ自体も不定形の連なりだ。言語とは、その両方に同時に引かれた、隣接する区切りの系列である。だから、意味を音から切り離して取り出すことはできない。

6. サピアの「音素」とのつながり

「積極的な内容を持たず、体系内の対立だけで決まる単位」——これは、サピアが1921年に「理念的な音のパターン」と呼び、のちに「音素」になったものの定義そのものだ。プラーグ学派(トルベツコイ、ヤコブソン)は、まさにこの「対立による価値」を音の領域で最も精密に形にした。

ソシュール(1916、フランス語)とサピア(1921、英語)は、独立に、言語の単位は実体ではなく、体系のなかの位置であるという同じ結論に達していた。この一致こそが、20世紀の「構造主義」言語学の出発点になる。

まとめ

意味 ≠ 価値意味=観念との結びつき/価値=他の語との対立・比較
mouton ≠ sheep隣に mutton がいるだけで、sheep の価値は変わる
言語には積極的な項なしの差異しかない観念も音も、体系に先立って存在しない
ただし記号を全体として見れば「積極的」完全な記号どうしは「差異」でなく「対立」
一枚の紙思考と音は同時に切り分けられる

ソシュール特集:人物と言語学の誕生概要/やさしく〉/langage・langue・parole恣意性共時と通時/本記事。同時代のサピアも。