全体像で見たように、『坊っちゃん』の言語的な仕掛けは、江戸弁と伊予弁の衝突にある。まず、その一方の当事者——語り手「おれ」自身の言葉づかいを、確かめておこう。
「おれ」という一人称
『坊っちゃん』は、一人称「おれ」で語られる。「私」でも「僕」でもなく、「おれ」——ぞんざいで、男性的で、対等以下の相手に使う代名詞である。この選択だけで、語り手の性格——短気で、率直で、他人に頭を下げない人物像——が、最初の一文からすでに立ち上がっている。
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。
「無鉄砲」という語から始まる、この最初の一文の作りについては、精読の記事で、さらに詳しく確かめる。
江戸っ子を自称する
「おれ」は、自分が江戸っ子であることを、何度も口にする。松山に着任した早々、数学の授業でこう語る。
おれは江戸っ子で華奢に小作りに出来ているから、どうも高い所へ上がっても押しが利かない。……しかしこんな田舎者に弱身を見せると癖になると思ったから、なるべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやった。
「巻き舌」という、発音そのものへの自己言及がある点に注目したい。「おれ」は、自分の言葉が、松山の生徒たちの言葉とは、音の出し方からして違うことを、はっきり意識している。生徒に「ゆっくり話してくれ」と頼まれても、こう突っぱねる。
おれは江戸っ子だから君等の言葉は使えない、分らなければ、分るまで待ってるがいいと答えてやった。
相手の言葉に歩み寄る気は、まったくない。この頑なさが、のちの摩擦(第3記事で読む)の伏線になっている。
江戸弁の罵倒語彙
「おれ」の言葉づかいで、もう一つ目立つのが、罵倒・悪態の語彙の豊富さである。
何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。
篦棒め、先生だって、出来ないのは当り前だ。
田舎者はこの呼吸が分からないからどこまで押して行っても構わないと云う了見だろう。憐れな奴等だ。
「篦棒め」(べらぼうめ)は、江戸っ子特有の罵り言葉であり、この小説の全篇を通じて、35箇所ちかく——「ぞなもし」系の語も含め——繰り返し現れる、語り手の口癖の一つである。相手への評価が「奴」「野だ」「田舎者」といった、突き放した呼び方に終始することも、あわせて確認できる。
短く、速い文
「おれ」の語りは、文が短く、句点が多い。天麩羅を食べたことをからかわれた場面を見てみよう。
四杯食おうが五杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控所へ帰って来た。
「〜が」「〜が」という並列を畳みかけたあと、「さっさと」「済まして」「帰って来た」と、動詞が素早く連続する。長い修飾や説明を挟まず、行動を直接に積み重ねていく文体は、三島『文章読本』の行動描写で見た「動詞だけで進む」文にも通じる、速度感のある語りである。
読むうえで、確かめておきたいこと
第一に、「巻き舌」や「べらんめい調」という言葉そのものは、地の文の自己申告であり、実際の音声としてこの小説から再現できるわけではない。 小説は文字で書かれており、発音そのものは、読者が語彙と文体から想像で補うしかない。
第二に、「篦棒め」の使用回数(約35箇所、伊予弁の語尾を含む)は、この記事のためにToLが本文を検索して数えたものであり、漱石自身が意図的にこの数に調整したという証拠ではない。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 一人称 | 「おれ」——ぞんざいで男性的な代名詞 |
| 自己申告 | 「江戸っ子」「巻き舌」と、繰り返し自分の言葉の出自を語る |
| 罵倒語彙 | 「篦棒め」「奴」「田舎者」など、突き放した呼び方が頻出する |
| 文のリズム | 短く、動詞を畳みかける、速度感のある文体 |
一言でいえば——「おれ」の江戸弁は、「おれ」という一人称、罵倒の語彙、そして短く速い文のリズムという、三つの要素が合わさって作られている。