概要で骨組みを見た「像の理論」を、原文で追う。きっかけは、ある雑誌の記事だった。パリの法廷で交通事故の裁判があり、事故のようすを人形とおもちゃの車の模型で再現したという。ウィトゲンシュタインは1914年9月29日の草稿にこう書く——「命題が現実のモデルであるのは、その模型が事故のモデルであるのと同じだ」。模型の車が現実の車を、模型の位置関係が現実の位置関係を代理する。だから模型は、言わなくても事故のありさまを語れる。命題も同じではないか。
1. 世界は「物」ではなく「事実」からなる
Die Welt ist die Gesamtheit der Tatsachen, nicht der Dinge. (The world is the totality of facts, not of things. (1.1))
世界は事実の総体であって、物の総体ではない。(1.1。ドイツ語引用の日本語訳・英訳は L/LAB による。以下同じ)
「猫」「マット」「上」をいくら並べても、それは辞書であって主張ではない。何かを語るには、物が特定の仕方で結びついていなければならない。その結びつき——事態(Sachverhalt / state of affairs)——が成り立っているとき、それが事実だ(2)。命題が写すのは、この事実のほうである。
2. 像は現実のモデルである
模型の車と現実の車。模型の並び方と現実の並び方。両者のあいだには代理の関係が張られている。ウィトゲンシュタインはこれを一般化する——「像は現実のモデルである」(Das Bild ist ein Modell der Wirklichkeit, 2.12)。像のなかでは、要素が対象に「対応させられている」(2.13)。「像の要素どうしが、一定の仕方で関係し合っていること、それが、事物どうしがそのように関係し合っていることを表す(vorstellt)」(2.15)。この「要素どうしの結びつき方」を、ウィトゲンシュタインは像の構造(Struktur / structure)と呼び、その構造の可能性を像の写像形式(Form der Abbildung / pictorial form) と呼ぶ。
3. 共通するもの——論理形式
像が対象の像でありうるためには、両者に「何かが同一でなければならない」(2.161)。
Was das Bild mit der Wirklichkeit gemein haben muß, um sie auf seine Art und Weise — richtig oder falsch — abbilden zu können, ist seine Form der Abbildung. (What a picture must have in common with reality in order to depict it — correctly or falsely — after its manner, is its pictorial form. (2.17))
像が現実を——正しくであれ誤ってであれ——それなりの仕方で写しうるために、現実と共有していなければならないもの、それが像の写像形式である。(2.17)
絵画は色と空間の形式を、音楽は……と、像の種類ごとに形式は違う。だが、どんな像でも必ず共有していなければならないものがある。それが論理形式だ(2.18)。楽譜と演奏とレコードの溝が互いに翻訳できるのは(4.014)、そこに共通の「論理的構造」があるからだ。命題と世界も、それと同じ関係にある。
4. 命題は「論理的な像」である
Das logische Bild der Tatsachen ist der Gedanke. (The logical picture of facts is the thought. (3))
事実の論理的な像、それが思考である。(3)
そして「意味を持つ命題こそが思考である」(4)。命題のなかで名(Name / name)は対象を代理する——「名は対象を意味する。対象が名の意味(Bedeutung / meaning)である」(3.203)。名それ自体はそれ以上分解できない単純記号で、名が何を意味するかは規約で決まる。命題が新しいのは、名の配列のほうだ。「命題においては、いわば事態が試験的に組み立てられる」(4.031)。だから「命題を理解するとは、それが真であるとき何が成り立っているかを知ることである」(4.024)。
5. 真偽は現実と「比べて」決まる
名の配列は事態を組み立てるが、その事態が現実に成り立っているかは、命題を見ても分からない。「像が真か偽かを見きわめるには、それを現実と比べなければならない」(… müssen wir es mit der Wirklichkeit vergleichen, 2.223 / “we must compare it with reality”)。「像だけから、それが真か偽かを知ることはできない」(2.224)。ここが像の理論の要だ。命題はあらかじめ真偽が決まっていない。世界に照らして初めて決まる。ア・プリオリに真な像はない(2.225)。複雑な命題は、要素命題(Elementarsätze / elementary propositions)の真理関数として組み上げられる(5)——「命題は要素命題の真理関数である」。
6. 写せないもの——論理形式そのもの
ここに、次の主題への橋がかかっている。命題は現実のあらゆる事実を写せる。だが一つだけ写せないものがある。
Der Satz kann die gesamte Wirklichkeit darstellen, aber er kann nicht das darstellen, was er mit der Wirklichkeit gemein haben muß, um sie darstellen zu können — die logische Form. (A proposition can represent the whole of reality, but it cannot represent what it must have in common with reality in order to represent it — logical form. (4.12))
命題は現実の全体を写しうる。だが、現実を写しうるために現実と共有していなければならないもの——論理形式——は、写すことができない。(4.12)
論理形式は命題のなかに映るが、命題はそれを語れない(4.121)。絵の具で「絵の具であること」を描けないのと同じだ。この「語れないが示される」という残余が、『論考』を「語りえぬもの」へと押し出していく。
まとめ
| 段階 | 要点 | 命題番号 |
|---|---|---|
| 世界 | 単位は物でなく事実(=関係を結んだ物) | 1.1, 2 |
| 像 | 像は現実のモデル。要素が対象に対応する | 2.12, 2.13 |
| 形式 | どんな像も論理形式を現実と共有する | 2.17, 2.18 |
| 命題 | 名は対象を代理し、配列が事態を試みる | 3.203, 4.031 |
| 真偽 | 像だけでは決まらず、現実と比べて決まる | 2.223 |
| 限界 | 論理形式そのものは写せない(示されるだけ) | 4.12, 4.121 |
つながり
- 「名は対象を代理し、配列が構造を写す」という発想は、ソシュールの「シニフィアンとシニフィエ」とは方向が逆に見えて、「記号は単独では働かず、配列=体系で意味を生む」という一点で重なる。
- 後期ウィトゲンシュタインは、この「名=対象」の像そのものを『探究』§1 で標的にする。前期が後期に反駁される起点が、ここにある。