この記事で分かること
- 「言語」と「文字」は、なぜ別の体系として扱うべきなのか
- 文字が、言語そのものより「主役」に見えてしまうのはなぜか
- 日本語の表記(「は」を「わ」と読む、など)で、この錯覚を確かめる
先に結論です。 ソシュールによれば、言語(話される言葉)と文字は、別々の記号体系です。文字の唯一の存在理由は、言語を表すこと。言語学が調べるのは、書かれた語と話された語の「組み合わせ」ではなく、話された語のほうです。それなのに、文字は、いつのまにか主役の座を奪います。その危うさに、ソシュールは警告を発しました。
引用は1916年のフランス語原典(序論 第6章 §2)から。日本語訳は ToL によります。
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この章の最初の節で、ソシュールは、言語学者が、実際には、文字を通して言語を知ることが多いと認めます。そのうえで、第2節で、文字の「威信」を取り上げます。
Langue et écriture sont deux systèmes de signes distincts ; l’unique raison d’être du second est de représenter le premier ; l’objet linguistique n’est pas défini par la combinaison du mot écrit et du mot parlé ; ce dernier constitue à lui seul cet objet. Mais le mot écrit se mêle si intimement au mot parlé dont il est l’image, qu’il finit par usurper le rôle principal ; on en vient à donner autant et plus d’importance à la représentation du signe vocal qu’à ce signe lui-même. C’est comme si l’on croyait que, pour connaître quelqu’un, il vaut mieux regarder sa photographie que son visage.
ToL訳 言語と文字は、二つの別個の記号体系である。後者の唯一の存在理由は、前者を表すことにある。言語学の対象は、書かれた語と話された語の組み合わせで定義されるのではない。後者だけで、この対象を構成する。ところが、書かれた語は、自分がその像である話された語と、あまりに緊密に混ざり合うので、ついには、主役の座を奪うに至る。音声記号そのものよりも、その表象に、同じだけ、あるいはそれ以上の重要性を与えるようになる。それは、誰かを知るのに、顔を見るより、写真を見るほうがよいと信じるようなものだ。
Cette illusion a existé de tout temps, et les opinions courantes qu’on colporte sur la langue en sont entachées. Ainsi l’on croit communément qu’un idiome s’altère plus rapidement quand l’écriture n’existe pas : rien de plus faux. L’écriture peut bien, dans certaines conditions, ralentir les changements de la langue, mais inversement, sa conservation n’est nullement compromise par l’absence d’écriture. Le lituanien, qui se parle encore aujourd’hui dans la Prusse orientale et une partie de la Russie, n’est connu par des documents écrits que depuis 1540 ; mais à cette époque tardive, il offre, dans l’ensemble, une image aussi fidèle de l’indo-européen que le latin du IIIe siècle avant Jésus-Christ. Cela seul suffit pour montrer combien la langue est indépendante de l’écriture.
ToL訳 この錯覚は、いつの時代にもあった。言語についてふつうに言いふらされている意見も、これに染まっている。たとえば、文字がないと、言語はより速く変質する、と一般に信じられている。これほど誤りなことはない。文字は、ある条件のもとでは、言語の変化を遅らせることがある。だが逆に、文字がないからといって、言語の保存が損なわれるわけではまったくない。リトアニア語は、今日も、東プロイセンとロシアの一部で話されているが、書かれた文献で知られるのは、1540年以降にすぎない。それでも、その遅い時代に、全体として、紀元前3世紀のラテン語に劣らず、印欧語の忠実な姿を示している。これだけで、言語が文字から、どれほど独立しているかが分かる。
解説1:「別の体系」とは、どういうことか
ソシュールの主張は、二つに分けると分かりやすくなります。
- 文字は、言語とは別の記号体系である。 文字は、「書く」という別の約束事の体系で、独自の規則を持つ。
- 文字の存在理由は、言語を表すことだけである。 文字は、あくまで、話される言葉の「像」。
ここから導かれるのが、「言語学の対象は、話された語だ」という立場です。この立場は、『講義』の方法上の選択であり、「文字は大事でない」という主張ではありません。実際、直前の節で、ソシュールは、言語学者は、文字によってしか知らない言語が多く、母語でさえ、文字資料に頼るのだから、文字の「効用、欠点、危険」を知る必要がある、と述べています。
解説2:「写真と顔」のたとえ
ソシュールのたとえは、「誰かを知るのに、顔でなく写真を見たほうがいいと考える」というものです。写真は、顔の像として、便利で、正確に見える。けれど、それは、顔の代わりで、顔のほうが本体です。
この比喩が指しているのは、文字は、言葉を目に見える形に固定してくれるので、安定していて、確かなもののように見える、という心理でしょう。話し声は、流れて消える。文字は、残る。そのせいで、「文字に書かれた形」が、言葉の「正しい姿」に思えてくるのです。
解説3:日本語で、錯覚を確かめる
日本語の表記は、この錯覚を確かめるのに向いています。表記と発音が、はっきり食い違う場面が多いからです。(以下は ToL による例です。)
| 表記 | ふつうの発音 | 食い違い |
|---|---|---|
| 「私は行く」の「は」 | 「わ」 | 助詞の「は」は、書くときは「は」、言うときは「わ」 |
| 「駅へ行く」の「へ」 | 「え」 | 助詞の「へ」も同様 |
| 「本を読む」の「を」 | 「お」 | 現代の標準的な発音では、「お」と区別しない |
| 「とうきょう」の「とう」 | 長い「おー」 | 「と」+「う」と書くが、「と」+「ー」と言う |
| 「おおさか」の「おお」 | 長い「おー」 | 「おお」と書くが、同じ長母音 |
こうした表記は、歴史的な経緯(かつては、書かれたとおりに、発音が分かれていた)が、書き方に残っているものも多くあります。文字は、音を追って変わるのが遅いので、音と文字のあいだに、ずれが生じやすいのです。
そして、ここでソシュールの指摘が効いてきます。たとえば、「『を』と『お』は、違う音だ」と感じる人がいるとすれば、それは、文字の区別が、音の区別のように見えてしまう錯覚です。実際の発音には、区別がないのに、書き分けられているために、別の音があるかのように思ってしまう。これが、「写真を、顔と取り違える」ことの一例です。
解説4:「文字がなければ、言葉は変わりやすい」は本当か
引用の二つ目の段落で、ソシュールは、「文字のない言語は、すぐに変質してしまう」という、よくある思い込みを、「これほど誤りなことはない」と退けます。
根拠は、リトアニア語です。1540年に、初めて文献が現れるまで、文字では記録されていませんでした。それなのに、その時代の姿は、紀元前3世紀のラテン語と並ぶほど、印欧語の古い形を、忠実に保っていた、というのです。
ここから、二つのことが言えます。
- 言語の保存や変化の速さは、文字の有無だけでは決まらない。
- 文字は、条件によっては、変化を遅らせることがある。ただし、それは、文字の効果の一つにすぎない。
(前の記事で見た、言語が変わる理由も、文字とは別の次元の話です。)
解説5:この立場を、どう使うか、どこまで言えるか
使いどころ。 外国語や方言の音を学ぶとき、カタカナやローマ字の表記を頼りにすると、母語の発音に引きずられます。たとえば、英語の “milk” を「ミルク」と書き写すと、実際の音の違いが見えなくなります。これは、文字が、音に代わる主役になるという、ソシュールの警告の、身近な応用です。(ToL による応用例です。)
言い過ぎないために。 次の二点は、注意してください。
- この主張は、『講義』が何を言語学の対象とするかを決めるための、方法上の立場です。文字や表記の研究に価値がない、という意味ではありません。現代の言語学や、文字論では、文字そのものを、独立した研究対象にします。
- 日本語のように、漢字・ひらがな・カタカナを併用する言語では、文字の選び方が、意味やニュアンスを伝える働きを持ちます。ソシュールの議論は、主に、アルファベットを念頭に置いたものですから、そのまま当てはめるには、慎重さが必要です。(ToL の補足です。)
まとめ
- 言語と文字は、別の体系。文字の存在理由は、言語を表すこと。
- 文字は、安定しているので「本体」に見えるが、写真は顔の代わりにすぎない。
- 文字がなくても、言語は、保存される。リトアニア語の例がそれを示す。
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