サピア特集の最後。全体像から音素論まで来た本の、最終章——言語と文学。
1. 素材には、抵抗がある
彫刻家に大理石があるように、文学者には言語という素材がある。「偉大な芸術には、絶対的な自由という錯覚がある」。だが素材が「消える」のは、芸術家がその「避けがたい専制」に直観的に降伏し、素材の性質を自分の構想に融け込ませたときだけだ。
No sooner does the artist transgress the law of his medium than we realize with a start that there is a medium to obey.
芸術家がその媒体の掟を破ったとたん、私たちは、従うべき媒体があったことに、はっと気づく。(第11章。引用は原文、日本語は L/LAB 訳。以下同じ)
どの言語にも固有の癖がある。だから、ある言語で書かれた文学の「内在的な限界と可能性」は、別の言語のそれと決して同じにならない。
2. 文学には、二つの層がある
- 下層——「経験の直観的な記録」。言語を越えて移せる。シェイクスピアの戯曲のように、ここに主に依る文学は「大きな性格の損失なしに」翻訳できる。
- 上層——「その言語の特定のかたち」。スウィンバーンの抒情詩のように、ここで動く文学は「ほとんど翻訳不可能」だ。
クローチェは「文学作品は決して翻訳できない」と言った。にもかかわらず文学は翻訳される——ときに驚くほど十分に。それは、下層そのものが「あらゆる言語がその翻訳であるような、記号的な代数」からの翻訳だからだ。科学的真理を中国語でも英語でも語れるのと、同じ理屈である。
3. 二層を融合する者、しない者
ホイットマンやブラウニングは、「芸術の巧みさよりも、精神の大きさで私たちを打つ」。彼らは「一般化された芸術言語」を求めて、既存の言葉のなかで苦しそうに表現する——その詩は「未知の原典からの翻訳のように響く」(そして、まさにそれがそうなのだ)。
対して、シェイクスピアやハイネは二層を完璧に融合する。
With Heine … one is under the illusion that the universe speaks German. The material “disappears.”
ハイネを読むと……宇宙がドイツ語を話しているような錯覚に陥る。素材が「消える」。(第11章)
4. 文体は、言語の溝を流れる
「すべての言語は、それ自体が集団の表現芸術である」。文体は、外から(ギリシャやラテンの模範から)言語に課すものではない。
Style … is not an absolute … but merely the language itself, running in its natural grooves.
文体とは絶対的なものではなく……ただ、言語そのものが、その自然な溝を流れているものにすぎない。(第11章)
偉大な文体は、その言語の形式パターンに逆らわず、その上に築く。W・H・ハドソンやジョージ・ムーアの文体の美点は、「言語がいつもやろうとしていることを、楽に、無駄なくやってのける」ことだ。逆に、カーライル調は「チュートン的なマンネリズム」であって文体ではなく、ミルトンの散文は「壮麗な英単語で書かれた半ラテン語」だ。「一つの言語で効果的で美しいものが、別の言語では悪徳になる」。
5. 韻律は、言語の力学から生まれる
サピアは韻律を四つに要約する。
Latin and Greek verse depends on the principle of contrasting weights; English verse, on the principle of contrasting stresses; French verse, on the principles of number and echo; Chinese verse, on the principles of number, echo, and contrasting pitches.
ラテン語・ギリシャ語の詩は対比する重さ(長短)に、英語の詩は対比する強勢に、フランス語の詩は数と反響に、中国語の詩は数と反響と対比する声調に依る。(第11章)
ギリシャ語の量的韻律をそのまま英語に移す試みが失敗し続けたのは、英語の「力学的な基盤が長短ではなく強勢」だからだ。フランス語は強勢も音節量も弱いので、音節数と脚韻に頼るしかなかった。「言語の音体系、とりわけその力学的特徴を丹念に調べれば、それがどんな詩を発達させたか——あるいは、歴史がいたずらをしていなければ、どんな詩を発達させるべきだったか——が言い当てられる」。
6. L/LAB の記事とのつながり
この章は、L/LAB が三島『潮騒』の冒頭、漱石『こころ』の第一文、鷗外『阿部一族』の長い文、川端『雪国』の冒頭でやってきたこと——冒頭を、その言語自身の「溝」に照らして読む——を、1921年にすでに理論として書いていた。主要部後置、は/が、「〜ていた」、主語の省略は、日本語の文体が「逆らわずその上に築く」形式パターンにほかならない。
まとめ
| サピアの文学論 | |
|---|---|
| 文学の素材(言語)には抵抗がある | 「芸術家が掟を破ったとたん、媒体があったと気づく」 |
| 文学は二層——翻訳できる下層/できない上層 | 下層は「記号的な代数」からの翻訳 |
| 二層を融合する者(シェイクスピア、ハイネ)と偏る者(スウィンバーン、ホイットマン) | 「宇宙がドイツ語を話している」/「未知の原典からの翻訳」 |
| 文体は言語の自然な溝を流れるもの | カーライル調=マンネリズム、ミルトン=半ラテン語 |
| 韻律は言語の音の力学から生まれる | 重さ/強勢/数と反響/声調 |
本の結び——「言語は、我々が知る最も massive で包括的な芸術、無意識の世代が作りあげた、山のように大きく作者不明の作品である」。
サピア特集:全体像/やさしく〈前〉〈後〉/ドリフト/言語・人種・文化/音のパターンと音素/本記事。同時代のソシュールはこちら。