この特集は、概説記事から始まり、ハ行のP音、促音、標準語、そして「国語と国家と」を、上田万年の原文で読んできた。最後に、それぞれが現在どう扱われているかを整理する。
なお、この記事の「現在の扱い」は、日本語学の一般に知られた整理であり、個々の論文を、一つずつ確認したものではない。断定を避けるため、確実なものと、そうでないものを分けて書く。
通説の骨格になった——ハ行のP音
ハ行は、もとはP音だったという上田の推理は、今日の日本語史で、通説の骨格になっている。ハ行の音が、p から、唇を近づけて出す摩擦の音(ɸ、ファのような音)を経て、現在の h に至った、という道すじである。上田が「P → ph・f → H」と描いた道すじと、大筋で一致する。原文精読①で見た、濁音との対応、梵語の音の写し方、アイヌ語の中の日本語、そして九州南部や沖縄の方言にF音が多く残るという指摘など、複数の証拠を重ねる手つきは、その後の研究にも受け継がれた。
ただし、上古のハ行の音が、p だったのか、ɸ だったのかについては、今日でも議論がある。その意味で、上田の結論は、大枠は生き残りつつ、細部は、後の研究で精密にされた、と言える。
今も使われる——促音の説明
促音についての上田の整理——「もちて→もって」のように、前の子音が、後ろの子音に同化し、間の母音が消えて、「っ」が生まれる——は、今日でも、日本語の音の説明として、広く使われる考え方である。上田が「他日の攻究に譲る」とした、促音の起源の問い(上古からあったのか、漢字音の影響なのか)は、後の研究でも、漢字音との関係がしばしば論じられてきた。
考え方として残った——標準語
標準語についての上田の見方——標準語は、もとは一個の方言で、人の手で磨かれて発達したもの——は、現代の言語学でも、共有されている。標準語は、自然に存在する「お手本」ではなく、社会がつくり、維持するものだ、という理解である。また、上田が、筆にだけ綴れて口に調子の合わない文章語を「死語」と評したことは、話し言葉に近い文章を目指す言文一致の動きと、同じ方向を向いていた。
問い直されたもの——「国語と国家と」
一方、**「言語の一致と、人種の一致を、国家の課題として守れ」**という、「国語と国家と」の主張は、その後、大きく問い直されることになった。
- 言語と人種は、別のものである。 現代の言語学は、言語と人種を、同一視しない。人種の一致を守るべきものとする見方は、学問的な根拠を持たない。
- 国語の枠組みが、何を押しのけたか。 近代日本の国語政策は、方言や、アイヌ語、琉球語のような、日本語の標準とは別の言語を、周縁に置く方向にも働いた、と、後の研究者たちは指摘している。上田の主張は、その背景の一つとして、しばしば取り上げられる。原文精読②で見たように、上田自身は、帝国内の諸語にも目を向けていたが、その扱い方についての評価は、研究者によって分かれる。
- 「国語」という考え方そのもの。 「国語」という概念が、近代国家とともにつくられたものだ、という見方は、イ・ヨンスク『「国語」という思想』など、近年の研究が、批判的に検討してきたところである。
二つの顔を、分けて読む
上田万年の仕事は、二つの顔を持つ。一つは、「おこりっぽい」の「ぽ」から、千年以上前の音を推理する、証拠に基づいた音の研究者の顔。もう一つは、言語を、国家の課題として語る、時代の子の顔である。前者の仕事は、その大筋が、今日まで生き残った。後者の主張は、その時代の言葉として読み、後世の批判とともに、記憶されるべきものである。
この二つを、一つの人物のなかに、同時に見ることが、上田を読む、いちばん誠実な方法だろう。
上田万年から、この特集の人々へ
この「近代古典の国語」特集で読んできた人々のうち、橋本進吉と新村出は、上田の教えを受けた世代である。また、上田は、金沢庄三郎とともに、セース『言語学』(1898)を翻訳している(国立国会図書館の書誌による)。橋本の「確かめられる事実」を積み重ねる手つき、新村の証拠を並べる語源研究は、上田の「P音考」の、多方面から証拠を重ねる方法と、通じるところがある。金沢庄三郎については、この特集の別の回で読む。
まとめ
| 判定 | 対象 |
|---|---|
| 通説の骨格 | ハ行のP音。p → ɸ → h という道すじ。p か ɸ かは今も議論 |
| 今も使われる | 促音の同化による説明。起源の問いは、保留のまま |
| 考え方として残る | 標準語=もとは方言で、人の手で発達したもの。言文一致と同じ方向 |
| 問い直された | 「言語の一致と人種の一致」を守れ、という「国語と国家と」の主張 |
| 読み方 | 証拠に基づく音の研究者と、時代の子としての国語の提唱者。二つの顔を、分けて読む |
一言でいえば——上田万年の音の推理は、大筋で生き残った。「国語」を国家の課題として語った主張は、後の時代に、大きく問い直された。その両方を、原文とともに、記憶しておく。