森鷗外(1862–1922)の歴史小説『阿部一族』は、主君の死後に殉死を許されなかった武士と、その一族の破局を描く。初出は1913年。物語は、肥後熊本藩主・細川忠利が江戸へ向かおうとする、その直前から始まる。

従四位下左近衛少将兼越中守細川忠利は、寛永十八年辛巳の春、よそよりは早く咲く領地肥後国の花を見すてて、五十四万石の大名の晴れ晴れしい行列に前後を囲ませ、南より北へ歩みを運ぶ春とともに、江戸を志して参勤の途に上ろうとしているうち、はからず病にかかって、典医の方剤も功を奏せず、日に増し重くなるばかりなので、江戸へは出発日延べの飛脚が立つ。

—— 森鷗外『阿部一族』(1913)。ルビを省略。

長い。しかし、日本語の基本を使えば読める。大切なのは、前からすべてを同じ重さで抱え込まず、まず「は」と文末を探すことだ。

1. 最小の骨格——「忠利は、飛脚が立つ」

主題 細川忠利は 途中の事情 参勤しようとする → 発病 薬が効かない → 悪化 結論 飛脚が立つ 「は」=この文全体で何について話すか 「が」=最後の出来事の主語 忠利について語り始め、最後は使者が派遣されるところへ着地する。 「飛脚が立つ」は、ここでは「飛脚が立っている」ではなく「飛脚が送り出される」。
一文の最小骨格。「は」で立てた主題と、最後の節の「が」で示す主語は別である。図:L/LAB

冒頭の長い官位——「従四位下・左近衛少将・兼越中守」——をいったん括弧に入れると、主題は細川忠利は。文末の述語は立つで、その主語は飛脚がである。したがって最小形は「細川忠利は、……飛脚が立つ」。

これは「忠利が立つ」という文ではない。日本語の は話題を設定し、 は個々の節の主語を示せる。忠利をめぐる状況を語った結果、出発延期を知らせる飛脚が江戸へ送り出されるのである。

2. 述語を拾う——長文は動詞の鎖である

明るい出立の予定 花を見すてて 行列に囲ませ 江戸を志して 途に上ろうとしているうち 病にかかって 功を奏せず 重くなる はからず=転換点 飛脚が立つ 「て」「ず」「ので」が、出来事を切らずに次へ渡す。 最後の終止形「立つ」が来るまで、文は閉じない。
述語の鎖。出立の華やかさは「はからず」を境に、発病と悪化へ反転する。図:L/LAB

長い文で迷ったら、名詞より先に活用する語へ印をつける。

原文基本形・形働き
見すて見すてる+て次の動作へ接続
囲ま囲ませる(使役)の連用形行列を従え、自分の前後を囲ませる
志し志す+て江戸を目的地として
上ろうとしているうち意向形+とする+ている+うちまさに出立しようとしている間に
かかっかかる+て発病し、その結果を次へ
奏せ奏する+ず効果を上げないで/上げず
なるばかりなのでなる+ばかり+のだ+ので悪化する一方であるため
立つ終止形文を閉じる中心述語

は出来事を前へ運び、古風な は否定しながら接続し、ので は理由を結論へ渡す。日本語は重要な述語を後ろに置く「主要部後置」の言語なので、読者は最後まで判断を保留する。その待ち時間が、この場面では不安を生む。

3. 名詞の前をまとめる——連体修飾には関係代名詞がない

修飾する部分中心の名詞 よそよりは早く咲く + 領地肥後国の 五十四万石の + 大名の + 晴れ晴れしい 行列 南より北へ歩みを運ぶ 日本語では「〜するもの」の〈もの〉に当たる名詞が、説明の最後に現れる。
連体修飾は名詞の前に積み上がる。「何を説明していたか」は末尾の名詞で確定する。図:L/LAB

英語の flowers that bloom earlythat に当たる関係代名詞は、日本語には要らない。「よそよりは早く咲く」の直後に「花」を置くだけで、二つが結びつく。

とくに美しいのが「南より北へ歩みを運ぶ春」である。春という季節を、人のように南から北へ歩かせる擬人法だ。忠利の行列も南の肥後から北の江戸へ進むはずだった。人間の移動と季節の移動が「とともに」で重なる。

4. 「は」と「が」——一文に二つの視点がある

文全体のフレーム:「細川忠利は」 これ以後は忠利をめぐる話だ、と読者に宣言する。 最後の節:「江戸へは|出発日延べの飛脚が|立つ」 江戸へは=対比を含む行き先  飛脚が=節の主語  立つ=述語 主題は文の外枠を作り、主語はその中の出来事を組み立てる。
「は」と「が」は競争相手ではない。異なる大きさの情報を受け持つことがある。図:L/LAB

最後には 江戸へは という、もう一つの「は」もある。これは「少なくとも江戸へ向けては」という対比を帯びる。目的地へ本人が行けなくなり、代わりに知らせだけが行く。助詞の選択が、計画の挫折を静かに示している。

5. 助詞から役割を読む

助詞を含むまとまり役割平易な言い換え
細川忠利全体の主題忠利について言えば
見すてて動作の対象花をあとにして
行列前後囲ませ使役される側/囲む範囲行列を前後に従えて
とともに同伴・並行春の北上と一緒に
江戸志して目標江戸を目指して
上ろうとする入る先旅に出ようとする
方剤意外・追加薬でさえ
江戸へは方向+対比江戸へ向けては
飛脚節の主語使者が

「典医」は大名に仕える医師、「方剤」は処方された薬。「功を奏する」は効果を上げること。「飛脚が立つ」は使者が派遣されるという慣用的な表現である。単語を現代語へ置き換えるだけでも、構文はかなり見えやすくなる。

6. なぜ一文にしたのか

前半には、官位、五十四万石、花、晴れ晴れしい行列、北上する春が並ぶ。権威と生命力に満ちた出発である。ところが 「はからず」 で方向が反転する。病にかかり、薬も効かず、日に日に重くなる。

ここで文を短く切れば、出来事は整理される。しかし鷗外は切らない。華やかな計画と病の進行を一本の文に閉じ込め、最後の「飛脚が立つ」まで読者を運ぶ。本人の大行列は動けず、代わりに一人の飛脚だけが動き出す。この規模の逆転が、文末で効く。

冒頭で忠利を名前だけでなく官位の総体として紹介するのも重要だ。まず公的な身分が提示され、その巨大な人物が病という私的な身体に阻まれる。長さは飾りではなく、権力から無力へ落ちる距離なのである。

7. 初級者向けに短くすると

細川忠利は、春に江戸へ参勤しようとしていた。しかし、出発前に病気になった。医師の薬も効かず、病状は日に日に悪化した。そのため、江戸へ出発の延期を知らせる飛脚が送られた。

内容の中心はこれでつかめる。ただし、原文にある官位の重さ、肥後の花、華やかな行列、北へ進む春、そして文末まで続く緊張は失われる。やさしい言い換えは理解の足場であって、原文の代用品ではない。

読み方の型

日本語の長い文に出会ったら、次の順でよい。

  1. 文末の述語を探す——この文では「立つ」。
  2. その直前の「が」を探す——「飛脚が」。
  3. 文全体の「は」を探す——「細川忠利は」。
  4. 「て・ず・ので」でつながる述語を拾う。
  5. 名詞の直前を、その名詞への説明として括る。

鷗外の第一文は難語が多い。それでも構造は、日本語のもっとも基礎的な装置——助詞、語順、活用、連体修飾——でできている。難しい文章を読むとは、特別な勘を働かせることではない。小さな印を一つずつ見つけ、情報の階層を戻してやることである。