「二種類のお手本」の対比を受けて、三島は、なぜ鷗外が大長篇を書かなかったのかを論じ、そこから、日本の短篇小説という形式そのものの、特殊な性格へと話を広げる。(ページ数は、全体像の記事で述べた版による。)

明晰な人は、大作を書けない

三島は、大胆な仮説から始める。

非常に知的な明晰な人はあまり大作を書けないのではないかと疑われるふしがあります。

ポール・ヴァレリーにも、鷗外にも、数巻も続くような大作はない。もし世界が、その人の頭脳のなかで、あまりにも明晰に、簡素な形に圧縮されているなら、紙数を尽くすことは無駄であり、言葉そのものが無駄になる、と三島は言う。禅の「不立文字」ではないが、中国の古人の言葉——「言葉を吝しむこと、金を吝しむがごとく」——にして書かれた鷗外の文体は、「洋々たる持続」には向かない、というのである。

『澀江抽斎』——ぎりぎりの長篇

それでも、鷗外には、長い作品がある。三島は、『澀江抽斎』を、こう評する。

鷗外の作品でもっとも長いものの一つである『澀江抽斎』はこのような簡潔な文体で書かれたぎりぎりの長篇であります。

『澀江抽斎』は、あまりにも凝縮され、人生の波瀾があまりにも圧縮されて詰め込まれているので、まるで濃いエキスを飲むように、一般の読者には苦い飲み物である、と三島は言う。もし、たった一行を水に投じて薄めれば、口あたりのよい、誰の口にも合う飲み物になるだろう。しかし、そのように薄められた鷗外は、もはや鷗外ではない。だから、鷗外の文章は、あくまでも、完全な簡素の上に立った、短篇小説と小品のための文体だった、と三島は結論づける。

三島は、この点で、志賀直哉の文体も同様だ、と付け加える。志賀は、真の長篇小説としては『暗夜行路』を書いただけであり、それすら、苦吟に苦吟を重ねて、長い年月を要した、というのである。

対して、鏡花の文体は、いかにも長篇小説に適している、と三島は言う。流れを持続し、花びらを撒くように色彩豊かに進んでいく行列を思わせ、作者自身が、その流れに身をまかせているように見える、というのである。

日本の短篇小説の、特殊な地位

三島は、ここから、日本の短篇小説という形式そのものに、話を進める。日本の短篇小説は、世界でも特殊なものだ、と三島は言う。もちろん、エドガー・アラン・ポーの知的短篇の伝統や、モーパッサンの写実的短篇の伝統も、日本に移入された。だが、日本文学の特質として、第二章で述べたように、散文と韻文がはっきりしたジャンルに分かれなかったことが、近代短篇小説の形成に、大きな特徴を生んだ、と三島は言う。

ヨーロッパの近代詩人が、詩で表現しようとしたことを、日本の現代作家は、短篇小説で表現した。だから、日本の短篇小説の最高のものは、ヨーロッパでなら、散文詩として書かれたはずのものに近い、と三島は述べる。

日本人は、短いものに、高度な芸術性を求める

三島は、この事情を、日本人の性向として説明する。短歌、俳句をはじめ、日本人は、短いものに、たいへん芸術的に高度な性質を与える国民である。近代文学においても、短篇小説という恰好な形式を見出し、そこに、最も高度な芸術的欲求と、文学的内容の要求を寄せた、と三島は言う。

その結果、日本の短篇小説は、西欧における詩のような地位に近づいた。韻律を欠いた日本において、詩人的才能をもった作家が、現代口語文による近代詩に満足を見出せず、小説家となって、短篇小説に、詩的結晶を実現した例も少なくない、と三島は述べる。だから、日本の小説家のなかには、純粋な詩人も多く、外国で紹介される際には、「ノヴェリスト」というより、「ポエット」と紹介されたほうがふさわしい人も、多くいる、というのである。

三島は、その代表として、川端康成、堀辰雄、梶井基次郎の名を挙げる。川端の連作『反橋』『しぐれ』『住吉』は、純然たる一個の詩であり、中世風な詩情のなかに、かすかに物語が織り込まれている、と評する。梶井基次郎については、志賀直哉の影響を受けながら、志賀のような現実への関心を、積極的に捨て、その詩人的な側面を強く示した作家として、『蒼穹』などの作品を挙げる。梶井は、日本文学に、感覚的なものと知的なものを綜合する、稀な詩人的文体を創始した、と三島は評する。

鷗外の簡潔さ 短篇・小品向き。『澀江抽斎』は 「簡潔な文体で書かれたぎりぎりの長篇」 鏡花の絢爛さ 流れを持続する、長篇に適した文体 作者自身が流れに身をまかせる 日本の短篇小説——詩に近い地位 散文と韻文が分かれなかったため、短篇が詩の役割を担った 例:川端康成、堀辰雄、梶井基次郎——「ポエット」に近い作家たち 図:ToL(第三章「短篇小説の文章」の説明による)
短篇小説の文章——鷗外の簡潔さから、日本の詩的短篇まで。図:ToL

読むうえで、確かめておきたいこと

第一に、「明晰な人は大作を書けない」という三島の仮説は、鷗外とヴァレリーという、二つの例から一般化されたものである。 これを、実証された法則として読むことはできない。

第二に、「日本の短篇小説は、西欧の詩に近い地位を占めた」という主張は、第二章の「散文と韻文」の議論を前提にしている。 その前提——日本語には、韻文と散文の明確な区分がなかった——自体が、三島独自の見立てであることは、第二章の特集で確認したとおりである。

第三に、この記事では、川端康成、堀辰雄、志賀直哉、谷崎潤一郎の本文は、引用していない。 これらの作家は、著作権が存続している可能性があるため、三島の評価のみを、要約として紹介した。

まとめ

論点内容
仮説非常に知的で明晰な人は、大作を書けないのではないか(鷗外、ヴァレリーの例)
『澀江抽斎』簡潔な文体で書かれた「ぎりぎりの長篇」。薄めれば、もはや鷗外ではない
鏡花との対比鏡花の文体は、流れを持続する、長篇向きの文体
日本の短篇小説散文と韻文が分かれなかったため、西欧の詩に近い地位を占めた
代表的な作家川端康成、堀辰雄、梶井基次郎——「ポエット」に近い小説家たち

一言でいえば——三島は、鷗外の簡潔さを、短篇・小品の文体として位置づけ、そこから、日本の短篇小説が、西欧の詩に代わる役割を担ってきたという、大きな見取り図を描いた。