第5章の後半は、個々の言語が、世代を重ねるうちにどんな形へ落ち着いていくかを扱う。鍵になる語は「文化的牽引」である。
文法化——語が文法の部品になる(5-5)
意図明示コミュニケーションでは、既存の語を、新しい意味で使える。聞き手が推論で補うからである。これが積み重なると、内容を持つ語が、しだいに文法機能を帯びていく。これを文法化という。第5章の冒頭で見た “be going to”(移動→未来)は、その典型である。著者は、文法が「最初からあった」のでなく、慣習の積み重ねから育つ、という見方をここで補強する。
個から個への伝達は「作り直し」(5-6)
本書は、文化の伝達を、生物の複製と対比する(pp.239–241)。
- 生物の進化では、遺伝子がそのままコピーされる。
- 文化の伝達では、各段階で新しく作り直される。講義ノートを取る学生は、講師の綴りを写すのではない。正しい綴りを、自分で書き直す。
作り直しのたびに、入力は、その人の目的や心のはたらきに合う方へ、少しずつ寄せられる。この寄せる力が牽引因子、寄せられていく先がアトラクターである。著者はこう言う。時間が十分にあれば、文化的な特徴は、環境(ヒトの身体・心・行動)に合う形へ変わる。これは、生物の適応と、はたらきが似ている。
例は三つある。
- 基本色彩語:目の生理が、どの色を区切りやすいかを決め、語の体系がそこへ寄る(5-6前半)。
- 声調:一部の遺伝子の分布と、声調言語の分布に、相関が報告された。ただし著者は、相関だけでは因果は言えず、統計上は歴史的な共通性でも説明できる、と慎重に述べる(pp.239–240)。
- 分節化:新しい実験で、幼い子は、動きの様態と経路を別々のジェスチャーで示し、年長の子や大人は一つにまとめた。言語は幼児を通って受け継がれるので、情報を「分けて線状に並べる」傾向が、言語をそう形づくる(p.242)。
この傾向が、階層構造を持つ言語のしくみにも関わるはずだ、と著者は見通す(p.243)。
劣化していく言語(5-7)
第二の柱は、言語の使われ方が、言語の形を決めるという話である。ここで著者は、伝言ゲーム式の実験を紹介する(pp.244–247)。
実験の骨組み。参加者は、27語からなる人工言語を覚える。各語は、「形(正方形・三角形・円)×色(赤・青・黒)×動き(まっすぐ・回転・弾む)」の組み合わせを指す。ただし最初の言語は、でたらめに作ってある。一人が覚えて、その人が出力した言語が、次の人の学習データになる。これを十世代くり返す。
結果の一。 何も手を加えないと、言語は劣化する。数世代で、多くの意味が、同じ一つの語に結びつく(たとえば、色や動きに関係なく、正方形は全部 “bubime” となる)。学習しやすく、思い出しやすくなる方向へ、言語が単純化するのである。実験後、「宇宙人は色盲か」と考えた参加者までいた。
結果の二。 実験者が、同音異義(一つの語形に、無関係な二つ以上の意味)の例を、訓練データから除くと、状況が変わる。世代が進むにつれ、言語は構造化した。形・色・動きの各成分に、それぞれ専用の音節が結びつく。たとえば黒い図形は、形や動きに関係なく共通の音節を持つ。こうして、語の内部に形態素(意味を持つ最小の単位)が生じた。
著者の読みはこうである。同音異義を避ける力(区別できること)と、学習しやすさ(構成が単純なこと)が、二つのアトラクターとして同時にはたらく。その均衡点で、言語は、要素の数が最小で、しかも区別がつく構造へ寄っていく。これは、色・形・動きという、ヒトの知覚カテゴリーに合う形でもある(p.246)。
「曖昧性は欠陥」という直観への反論
チョムスキーは、言語は曖昧で、コミュニケーションに向いていない、と論じた。著者は、これをまるで逆だと言う(pp.248–250)。
- 話し手は、コンテキストで解消できるところは、わざわざ言わなくてよい。だから、曖昧な短い表現が、効率がいい。
- 関連性の原理(記事279)によれば、聞き手の処理労力は小さいほどよい。
- 予測:使いやすい語(短い、頻出する)ほど、曖昧になる。実際、英語・ドイツ語・フランス語の三言語で、最も使いやすい類の語は、意味の数が最も多い、と報告されている(p.250)。
つまり、曖昧性は、意図明示コミュニケーションのシステムには、あって当然の特性で、欠陥ではない。コンテキストが、曖昧さを埋めるからである。
この節の位置づけ
著者は、この節を、個々の言語の形が現状のようになった理由(牽引因子)の研究計画として示す。答えを、出し切ったとはしていない(pp.251–252)。また、これらの説明は、普遍文法が個々の言語の形を決めるという説への、対案でもある。この対案が、次の記事(282)の主題につながる。
読むうえで
ここで紹介した実験は、本書の要約であり、原論文の条件や数値までは確認していない。声調と遺伝子の話は、本書自身が因果を断定していない点に注意したい。