遂行文は真偽を問えない。だからといって、何でも「うまくいく」わけではない。第2講でオースティンが立てるのは、遂行文の成否を分ける六つの規則——通称「適切性条件」(felicity conditions)である。概要記事ではその存在だけを紹介したが、原文の言葉づかいそのものに、この理論の慎重さがよく表れている。

六つの規則、原文で

オースティンは慎重に、一つずつ番号をつけて条件を並べる。まずA・Bと呼ばれる四つ。

(A. 1) There must exist an accepted conventional procedure having a certain conventional effect, that procedure to include the uttering of certain words by certain persons in certain circumstances, and further, (A. 2) the particular persons and circumstances in a given case must be appropriate for the invocation of the particular procedure invoked. (B. 1) The procedure must be executed by all participants both correctly and (B. 2) completely. (A・1 然るべき慣習的な効果を持つ、受け入れられた慣習的な手続きが存在しなければならない。その手続きは、然るべき人物が然るべき状況のもとで、然るべき言葉を発することを含む。さらに、A・2 当の場合における当の人物と状況が、その手続きの発動にふさわしいものでなければならない。B・1 その手続きは、すべての関係者によって正しく、B・2 かつ完全に実行されなければならない。)

たとえば結婚式なら、A.1は「結婚という慣習的な手続きがそもそも存在すること」、A.2は「式を執り行う者が牧師や戸籍係など、ふさわしい資格を持つこと」、B.1とB.2は「誓いの言葉を正しく最後まで言い切ること」に対応する。ここまでの四つは、いわば行為の「外形」に関わる条件だ——手続き・人物・状況・実行という、外から確かめられる事柄ばかりを並べている。

残るΓの二つは、外形ではなく話し手の中身に関わる。手続きが、参加者にある種の考えや感情、あるいはその後の行動を求めて作られている場合には、参加者は実際にその考えを持ち、そのように振る舞う意図を持たなければならず(Γ.1)、そのあと実際にそのように振る舞わなければならない(Γ.2)——約束する、感謝する、詫びる、といった行為には、この二条件がついて回る。外形の四条件(A・B)は、式次第さえ正しく踏めば誰にでも確かめられる。だがΓの二条件は、話し手の胸のうちと、その後の行動という、外からは直接のぞけない領域にまで踏み込む——ここにこそ、遂行文が単なる儀式の手続きに留まらない理由がある。

「空振り」と「濫用」——同じ違反ではない

この六つのうち、A・BとΓとでは、破ったときの結果がまるで違う、とオースティンは注意する。A・Bの規則を破ると、行為そのものが成立しない——結婚式もどきは結婚にならず、権限のない命名は正式な名前にならない。オースティンはこれを「空振り(misfire)」と呼び、その行為は「無効」「不発」だと表現する。対してΓの規則を破ると、行為は成立するが中身がともなわない——これが「濫用(abuse)」であり、その行為は「うつろ」「専有されただけ」と表現される。守る気のまったくない「約束します」について、オースティンは”I have promised but…”(私は約束した、だが……)と、あえて文を言い切らずに終える——この宙ぶらりんな言い方こそが、濫用という不幸のかたちをいちばんよく表している。

六つの適切性条件 A.1・A.2・B.1・B.2 Γ.1・Γ.2 空振り(misfire) 行為そのものが不成立 例:資格のない者の結婚式もどき 濫用(abuse) 行為は成立するが不誠実 例:守る気のない「約束します」
六つの適切性条件と、その違反が「空振り」か「濫用」かに分かれる様子。図:ToL

それでもリストは、完全ではない

第3講の冒頭、オースティンはここまでの成果をふりかえりながら、あえて自分の道具立てに水を差す。二つの新しい鍵(空振りと濫用という概念)を手に入れたことは、同時に二つの新しい落とし穴を手に入れることでもある、哲学において武装するとは警戒すべき理由が増えることでもある、と彼は自戒をこめて言う。

そのうえでオースティンは率直に認める。この六規則は、言葉によるものに限らず「すべての儀礼的行為」に当てはまること。そして、このリスト自体が完全ではなく、「不幸」と呼びうる別の次元——そもそも参加者が言葉の意味を取り違えている「誤解」や、単純な「まちがい」——がまだ他にもありうること。結婚式の誓いの言葉を、参加者の誰かが聞き違えていた場合や、そもそも式次第を勘違いしていた場合は、六規則のどれにもきれいには当てはまらない、というわけだ。分類そのものよりも、「うまくいく・いかない」という新しい問いの立て方を手に入れたことこそが、この講義のいちばんの収穫だった、と言えるだろう。

適切性条件、その先

この六規則は、単なる遂行文の失敗パターン集ではない。次の記事で見るように、「遂行文が幸福であるためには、周囲のいくつもの言明が真でなければならない」という観察へとつながり、最終的には遂行文と事実確認文の境目そのものを揺るがす手がかりになる。