日本語を学ぶ人が、もっとも早い段階でつまずく問題の一つが、「は」と「が」の違いである。全体像で見た、鎌倉の浜辺の一節には、この二つの助詞の、代表的な使い分けが、両方とも現れている。

「私は」——話の主題を立てる

『こころ』の第一文は、こう始まる。

私はその人を常に先生と呼んでいた。

ここでの「は」は、これから何について話すかを、読者に示す働きをしている。「私」という人物を、話の中心(主題)として立て、そのあとに続く説明——「その人を常に先生と呼んでいた」——を、その主題について述べる情報として、提示する。この段落は、そのあとも「私はその人の記憶を呼び起すごとに」「私が先生と知り合いになったのは」と、「私」を主題に据えたまま、話を進めていく。

「私が」——従属節のなかの主語

ところが、同じ段落の二文目で、「私」には、別の助詞がつく。

私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。

なぜ、ここだけ「私が」なのだろうか。この文をよく見ると、「私が先生と知り合いになった」という部分全体が、「の」によって、一つの名詞のようにまとめられ、「〜は鎌倉である」という、外側の文の主題に対する説明になっている。日本語では、こうした、文の内部に埋め込まれた節(従属節)のなかでは、「は」ではなく「が」を使う、という、基本的な規則がある。「私が先生と知り合いになった」は、まさにこの「埋め込まれた節」にあたる。

「が」のもう一つの働き——新しい情報を示す

「が」には、もう一つ、重要な働きがある。海岸の場面で、「私」は、雑踏のなかから、先生をすぐに見つけ出す。その理由が、こう説明される。

私がすぐ先生を見付け出したのは、先生が一人の西洋人を伴れていたからである。

「先生が一人の西洋人を伴れていた」——ここでの「が」は、「なぜ、先生をすぐに見つけられたのか」という、暗黙の問いに対する、答えの中心となる新しい情報を示している。もし、ここで「先生は」と言い換えると、まるで「先生について言えば」という、ややのんびりした説明になってしまい、「見つけた理由」を、ピンポイントで示す、緊張感のある答えにはならない。

「は」と「が」を、並べて比べる

この場面から、代表的な三つの用法を、整理してみよう。

例文助詞働き
私はその人を常に先生と呼んでいたは話の主題を立てる(「私について言えば」)
私が先生と知り合いになったのは鎌倉であるが埋め込まれた節(従属節)のなかの主語
先生が一人の西洋人を伴れていたからであるが問いへの答えとなる、新しい情報を示す

「は」は、すでに話題に上っている、あるいはこれから話題にする人・物について、「それについて言えば」という枠組みを作る。「が」は、その枠組みの内側で、あるいは、埋め込まれた節のなかで、具体的な主語や、新しい情報を示す。この二つの役割の違いを意識するだけで、日本語の文の骨組みが、格段に見えやすくなる。

「は」——主題 「私はその人を常に先生と」 「それについて言えば」という枠組み 「が」——主語・新情報 「私が先生と知り合いになった」 従属節の主語、または問いへの答え 枠組みを作る「は」と、枠組みの中身を示す「が」 図:ToL(鎌倉の浜辺の一節の助詞分析による)
「は」と「が」、二つの働き。図:ToL

読むうえで、確かめておきたいこと

第一に、「は」と「が」の違いは、この記事で扱った三つの用法だけに尽きるものではない。 対比を示す「は」(「これは好きだが、あれは嫌いだ」)や、疑問詞の焦点を示す「が」(「誰が来たか」)など、他にも重要な用法があり、この記事は、あくまで、鎌倉の浜辺の一節から確認できる範囲にとどめている。

第二に、従属節のなかで「が」が使われるという規則は、日本語文法の基本的な傾向であり、絶対的な例外のない規則ではない。 文脈によっては、従属節のなかでも「は」が使われる場合がある。

まとめ

論点内容
「私は」話の主題を立てる。「私について言えば」という枠組みを作る
「私が」(従属節)「の」で名詞化された、埋め込まれた節のなかの主語
「先生が」(新情報)「なぜ見つけたか」という問いへの、答えの中心となる情報を示す
使い分けの基本「は」は枠組みを作り、「が」はその中身、あるいは新しい情報を示す

一言でいえば——「は」は、これから話す対象についての枠組みを作り、「が」は、その枠組みの内側、あるいは埋め込まれた節のなかで、主語や新しい情報を示す。この違いを見分けることが、日本語の文を正確に読むための、第一歩になる。