学習院を落第し、松山、熊本と教師を続けたあと、漱石は、文部省の内意で英国留学を命じられる。だが、そこで待っていたのは、期待とはまるで違う経験だった。(この特集の見取り図は、第1記事。)

英文学を三年やっても、わからない

漱石は、大学で英文学を専攻した。だが、その内実を、こう振り返る。

その英文学というものはどんなものかとお尋ねになるかも知れませんが、それを三年専攻した私にも何が何だかまあ夢中だったのです。

試験に出るのは、ワーズワースが何年に生まれて何年に死んだか、シェイクスピアのフォリオ版は何種類あるか、といった、年代と事実の暗記ばかりだった。「英文学はしばらく措いて第一文学とはどういうものだか、これではとうてい解るはずがありません」——漱石は、そう率直に認める。三年間勉強して、ついに文学がわからないままだった、というのだ。

嚢の中に閉じ込められて

英国に渡っても、事情は変わらない。漱石は、当時の自分の心理状態を、印象的な比喩で語る。

私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。

霧、探照灯、そして「嚢」(袋)。漱石は、これらのイメージを重ねていく。

あたかも嚢の中に詰められて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本の錐さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥り抜いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず……

袋の中に閉じ込められている。それを突き破るための、たった一本の錐(きり)さえあれば——だが、その錐は、誰も与えてくれない。この「錐」のイメージは、のちに「鶴嘴」(つるはし)へと発展していく(第6記事で詳しく読む)。

他人本位という病

漱石は、この煩悶の原因を、他人本位という言葉で診断する。

今までは全く他人本位で、根のない萍のように、そこいらをでたらめに漂よっていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。

西洋人がある作品を褒めれば、自分の実感を確かめもせずに、それをそのまま受け売りする。漱石は、当時の自分を含め、こうした態度が、日本の知識人のあいだに広く見られたと指摘する。「近頃流行るベルグソンでもオイケンでもみんな向うの人がとやかくいうので日本人もその尻馬に乗って騒ぐのです」——この一節は、100年以上前のものでありながら、今日の読者にも、どこか覚えのある光景として響く。

自己本位という四字

この「他人本位」から抜け出す鍵として、漱石が見出したのが、自己本位という言葉だった。「自己本位という四字をようやく考えて」、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的な思索に耽り出した、と漱石は言う。そして、この言葉を手にしたときの変化を、こう語る。

私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。

「彼ら何者ぞや」——それまで漠然と権威として受け止めていた西洋の言説に対して、初めて対等に向き合う姿勢が生まれたことがわかる。注意したいのは、この「自己本位」が、独りよがりや利己主義を意味しないことである。 漱石が言っているのは、西洋の権威を無批判に受け入れるのではなく、自分自身の実感と判断を基準に置く、という態度である。この点は、第4記事で論じる「個人主義」の定義にも、そのままつながっていく。

鶴嘴が鉱脈に当たった

自己本位という言葉を手にした瞬間を、漱石は、鉱夫の比喩で描く。

私は多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです。なお繰り返していうと、今まで霧の中に閉じ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事になるのです。

「錐」が「鶴嘴」に変わり、閉ざされた「嚢」が、掘り当てるべき「鉱脈」に変わる。この比喩の転換については、第6記事で、原文に即して詳しく確かめる。

他人本位(煩悶) 霧の中、嚢の中に閉じ込められている 西洋の権威の受け売り 自己本位(発見) 鶴嘴で鉱脈を掘り当てる 自分の実感と判断を基準に置く 「錐」から「鶴嘴」へ——道具のイメージも変化する 図:ToL(第一篇の比喩の展開による)
他人本位から自己本位への転換。図:ToL

読むうえで、確かめておきたいこと

第一に、漱石は、この発見を「著作的事業としては失敗に終りました」と述べている。 彼が留学の成果として企てた、大部の文学理論の仕事(のちの『文学論』を指すとみられる)は未完に終わり、漱石自身、それを「失敗の亡骸」「畸形児の亡骸」という、かなり厳しい言葉で評している。だが、自己本位という考え方そのものは、その後も一貫して漱石を支えた、とも述べている。

第二に、「自己本位」は、あくまで漱石個人の体験から生まれた言葉であり、普遍的な方法論として提示されているわけではない。 漱石自身、次の段落で「同じ径路があなたがたの模範になるとはけっして思ってはいない」と、明確に釘を刺している。

第三に、「錐」から「鶴嘴」へという道具の変化そのものが、漱石の議論の運び方をよく示している。 抽象的な概念を一度で説明しきるのではなく、いくつもの比喩を重ねながら、少しずつ聴衆の実感に近づけていく。この技法は、精読の記事で、原文の段落ごとに、より詳しく確かめる。

まとめ

論点内容
出発点英文学を三年専攻しても、文学が何かわからない
煩悶の比喩霧の中、嚢の中に閉じ込められ、突き破る錐がない
診断他人本位——西洋の権威を無批判に受け売りする態度
発見自己本位——自分の実感と判断を基準に置く
到達点鶴嘴が鉱脈に当たったような、進むべき道の発見

一言でいえば——漱石は、他人の受け売りでは埋まらなかった内面の空虚を、「自己本位」という、自分自身の実感を基準に置く態度によって、ようやく埋めることができた。