概要記事で見たとおり、ジョーンズは「サンスクリット語・ギリシア語・ラテン語の類似は偶然ではありえない」と結論づけた。だがこの結論に至るまでに、彼はどんな道筋をたどったのか。「似ている」という観察から「共通の祖先がある」という結論までは、実はいくつもの段階を経なければ届かない。ここではその論理を、もう少し丁寧に追ってみる。

三つの可能性——偶然、借用、そして共通の祖先

ことばが似ている理由は、大きく三つに分けられる。たまたま似ている(偶然)。隣の言語から取り入れた(借用)。もともと一つの言語だったものが分かれた(共通の祖先)。この三つの可能性を、ジョーンズが自分でリストとしてまとめて示したわけではない。だが、彼の議論の展開そのものが、この三つを一つずつ吟味していく手順を、結果的になぞっている。ジョーンズの議論の骨格は、最初の二つを一つずつ退けていく作業だ。

「偶然」を退けるのは比較的簡単だった——類似が単語一つや二つではなく、動詞の語根や文法の形式という、体系全体に及んでいたからだ。単語ひとつの偶然の一致なら、世界中の無数の言語を見渡せばいくらでも見つかる。だが、活用のパターンや語形変化の規則という、体系そのものがこれほど揃って一致するのは、単なる偶然の確率としては説明がつかない、とジョーンズは踏んでいる。

もっとも、「偶然」が退けられたからといって、話が終わるわけではない。次に立ちはだかるのが「借用」だ。「借用」を退けるには、もう少し丁寧な議論がいる。単語は簡単に国境を越える。ならば、サンスクリット語の語彙がギリシア語やラテン語に流れ込んだだけ、という可能性はないのか。

征服のパターンという、もう一つの手がかり

この問いに答えるヒントを、ジョーンズは言語学ではなく、征服の歴史から引き出している。同じ第一の柱の節で、ヒンディー語とサンスクリット語の関係を論じながら、彼はこう書く。

…the basis of the Hindustání, particularly the inflexions and regimen of verbs, differed as widely from both those tongues, as Arabick differs from Persian, or German from Greek. Now the general effect of conquest is to leave the current language of the conquered people unchanged, or very little altered, in its ground-work, but to blend with it a considerable number of exotick names, both for things and for actions… like the Turks in Greece, and the Saxons in Britain. (……ヒンドゥスターニー語の基礎、とりわけ動詞の屈折と統御のしかたは、〔サンスクリット語ともアラビア語とも〕大きく異なっていた、ちょうどアラビア語がペルシア語と、あるいはドイツ語がギリシア語と異なるのと同じくらいに。さて、征服が一般にもたらす効果とは、征服された民族の日常言語を、その基礎においては変えないままにしつつ、物や行為を表す異国由来の語をかなりの数だけ混ぜ込むことである……ギリシアにおけるトルコ人、ブリテンにおけるサクソン人のように。)

ヒンディー語の話し手たちは、サンスクリット語やアラビア語から多くの単語を受け取りながらも、動詞の活用や文の組み立て方という「基礎」は保ち続けた、とジョーンズは観察する。これは彼が実際にインドで日々耳にしていた、生きた言語の観察から得た知見だった——机上の空論ではなく、現地に暮らす判事だからこそ持ちえた、生の言語データである。

トルコがギリシアを支配しても、ギリシア語の文法までトルコ語化はしなかった。サクソン人がブリテンを征服しても、先住のことばの骨格は生き残った——征服者の言語は語彙だけを置き土産にして、文法の基礎は現地に残り続ける。この一般則を先に立てておくことで、ジョーンズは「もし借用だけなら、文法の骨格までは似ないはずだ」という論拠を手に入れる。逆に言えば、文法の骨格まで似ているなら、それは借用では説明がつかない、ということでもある。サンスクリット語とギリシア語・ラテン語の類似が、まさにその「借用では届かない層」——動詞の語根と文法の形式——にまで及んでいたからこそ、借用説は退けられ、共通の祖先説だけが残る。

この論法の巧みさは、ジョーンズが言語学の内部だけで議論を完結させず、言語学の外側——歴史上くりかえし観察されてきた征服のパターン——から、いわば「対照実験」の材料を持ち込んでいる点にある。サンスクリット語とギリシア語・ラテン語のあいだに、征服者と被征服者のような歴史的関係があったと考える根拠は、実のところどこにもない。もしあったとしても、征服による接触が残すのは語彙だけであって、文法の骨格までは変えない、というのがトルコ・ギリシアやサクソン・ブリテンの例が示すパターンだ。つまり、たとえ何らかの征服や接触があったと仮定しても、それだけでは今見えている類似の深さを説明しきれない。残る説明は一つしかない、というわけだ。この推論の形——観察された事実(サンスクリット語とギリシア語・ラテン語の深い類似)を説明できる仮説をいくつも並べ、既知のパターンと照らし合わせながら、一つずつ丁寧に消去していく——は、現代の科学的推論とも通じる構えである。ジョーンズが「文献学者」を名乗りながらも、実質的には自然史や地質学に近い、歴史的な証拠から過去の出来事を再構成する推論法を実践していたことが、ここからも見えてくる。地層を読んで過去の地殻変動を再構成する地質学者のように、ジョーンズは現存する言語の姿から、もはや直接観察できない過去の出来事——言語の分岐——を推理しようとしていたのだ。

言語が似ている——なぜ? 偶然 単語一つ二つの類似では説明できる 借用 語彙は国境を越える 共通の祖先 動詞の語根・文法形式は借用されない 類似は文法の深層に 及ぶため退けられる 征服の類推(トルコ・ギリシア、 サクソン・ブリテン)により退けられる 残るのはこれだけ
ジョーンズの推論の流れ——偶然と借用を退けて、共通の祖先だけが残る。図:ToL

同じ論理は、文字にも及ぶ

言語についての議論を終えたあと、ジョーンズは筆を止めない。比較という同じ手つきを、こんどは文字という別の対象に向ける。話し言葉の系統をたどるのと同じ姿勢で、書かれた記号の系統もたどれるはずだ、という発想である。インドの文字(ナーガリー文字)について論じたあと、彼はこう続ける。

…the square Chaldiack letters, in which most Hebrew books are copied, were originally the same, or derived from the same prototype, both with the Indian and Arabian characters. That the Phenician, from which the Greek and Roman alphabets were formed by various changes and inversions, had a similar origin, there can be little doubt. (……ヘブライ語の書物の多くが書き写される角ばったカルデア文字は、もともとインドやアラビアの文字と同じか、同じ原型に由来すると私は信じずにはいられない。ギリシア文字とローマ文字が、さまざまな変化と反転を経てそこから形づくられたフェニキア文字も、同じような起源を持つことは、ほとんど疑いようがない。)

デーヴァナーガリー、カルデア(ヘブライ)文字、アラビア文字、フェニキア文字、そこから派生したギリシア文字・ローマ文字——ジョーンズはここで、まったく系統の異なる複数の文字体系のあいだにも、共通の祖型を見ようとしている。話し言葉における「動詞の語根・文法形式の類似」に相当するものとして、文字の形そのものの類似を根拠に挙げているわけだ。言語であれ文字であれ、表面的な特徴ではなく、体系の奥にある構造的な類似に着目する——これがジョーンズの比較の方法に一貫して流れる態度であり、のちの比較言語学・比較文字学の両方に受け継がれていく視点でもある。

もっとも、文字についてのこの推測は、言語についての推測ほど慎重に組み立てられてはいない。動詞の語根や文法の形式という具体的な根拠を挙げた言語の議論とは違って、文字の起源についてはもっぱら「疑いようがない」という直観の表明にとどまっている。現代の文字学では、ナーガリー系の文字とセム系(フェニキア・ヘブライ・アラビア)の文字とを直接結びつける説は支持されておらず、この部分に関してはジョーンズの推測は外れていたことになる。同じ講演の中に、のちの検証に耐えた洞察(言語の系統)と、検証に耐えなかった推測(文字の系統)が同居している——この事実そのものが、彼の議論をやみくもに神格化せず、根拠の強さを一つひとつ吟味する必要があることを教えてくれる。一つの講演の中で、ある主張は二百年以上のちまで検証に耐え、別の主張はまもなく覆される——歴史上の「発見」というものが、いつもきれいに全部正しいわけではなく、あとから振り返って選び取られる部分と、静かに忘れられていく部分に分かれていくことを、この講演そのものが体現している。

「文献学者」という言葉が指すもの

ジョーンズは、サンスクリット・ギリシア語・ラテン語の類似について「no philologer could examine them all three without believing them…」(この三つを検討した文献学者であれば誰でも……確信せずにはいられない)と書いている。ここでの「philologer(文献学者)」は、たんに語学が得意な人という意味ではない。複数の言語を実際に比較し、その内部構造を吟味できる専門家、という意味だ。ジョーンズ自身、サンスクリット語・ギリシア語・ラテン語・ペルシア語・アラビア語を含む数多くの言語を、実際に読み書きできるレベルで習得していた。この一文が単なる思いつきではなく検証可能な仮説として受け取られたのは、それを言った人物が、まさにその比較を自分の手で行える立場にいたからでもある。

裏を返せば、この論証は「私はこの三つを実際に比較した、そして誰であれ同じように比較すれば同じ結論に至るはずだ」という、検証可能性への訴えでもある。ジョーンズは読者に、自分の権威を鵜呑みにしろとは言っていない。むしろ「あなた自身で確かめてみればよい」という開かれた姿勢を、この一文に込めている。この態度こそが、のちの学者たちがこの主張を「一つの仮説」として引き取り、実際に検証していく土台になった。権威者の断言を、検証抜きにそのまま受け入れるのではなく、「誰でも確かめられる」という開かれた形で提示したことが、結果としてこの一段落を、単なる名言ではなく、一つの学問分野の出発点たりえるものにした。

一つの講演の中の、二つの発見

こうして見てくると、この第三回記念講演は、単に「サンスクリット語とギリシア語・ラテン語が似ている」と指摘しただけの講演ではない。むしろ、似ている、という観察を、どう検証可能な主張に変えるかという、方法そのものについての実践例になっている。偶然を退け、借用を退け、言語学の外側の歴史的パターンで裏づけを取り、さらに同じ手つきを文字という別の対象にまで広げてみる——この一連の手続きこそが、ジョーンズの本当の貢献だったのかもしれない。結論(インド・ヨーロッパ語族という発想)だけでなく、その結論にたどり着くための考え方の型を後世に残したという意味で、この講演は二重の発見だったと言える。次の記事では、この型を受け継いだ後継者たちが、実際に何を、どうやって検証していったのかを見ていく。

まとめ、そしてこの先

ジョーンズの論理は、のちに「比較法」(comparative method)と呼ばれる手法の原型になった。もっとも、ジョーンズ自身はこの論理を体系立てて方法論化したわけではない——「借用では届かない層の類似」という直観を示しただけで、その先、実際にどの音がどの音に対応するかを規則として取り出す作業は、まだ手つかずのまま残されていた。たとえば、ラテン語の pater とゲルマン語派の father(英語)とのあいだで、なぜ p が f に変わるのか——このような音どうしの規則的な対応関係を突き止める作業は、ジョーンズの直観を検証可能な法則へと鍛え上げる、次の世代の仕事になる。その空白を埋める仕事は、この講演から一世代以上のちに、ヨーロッパの学者たちの手で進められることになる。

振り返ってみると、ジョーンズの議論の強みは、一つ一つの論拠が独立に検証可能な形で示されていたことにある。「動詞の語根と文法形式が似ている」という観察は、誰でもテキストを比較すれば確かめられる。「征服は語彙だけを残し、文法の骨格は残さない」という一般則も、歴史上の実例を集めれば検証できる。弱みは、その先——なぜ、どのように、その共通の祖先から現在の姿へ分かれていったのか——について、具体的な手順をまだ何も示していなかった点だ。強い直観と、まだ埋まっていない方法論のあいだのこの落差こそが、次の世代の学者たちを引きつけた理由でもある。