「近代古典の国語」という名前のもとで、九人の学者を、一人ずつ、原文で読んできた。一人ひとりの特集では、その人の主著の中身を確かめた。この記事から始まる五本のまとめでは、九人を並べて見る。誰が、いつ、何を書き、どの筋の上に立っているのか。 新しい主張は足さず、各特集で確かめたことだけを使う。

九人を、年表に並べる

1850 1870 1890 1910 1930 1950 大槻文彦 上田万年 金沢庄三郎 山田孝雄 新村出 松下大三郎 橋本進吉 折口信夫 有坂秀世 枠=生没年 黒丸=この特集で読んだ主著の刊行年(言海は完結の年) 図:ToL(各特集の概説記事による)
九人の生没年と、読んだ主著の刊行年。図:ToL

年表を見て、まず気づくのは、九人が、ほぼ一つの時代に重なっていることである。最年長の大槻文彦(1847–1928)から、最年少の有坂秀世(1908–1952)まで、生まれた年に、およそ六十年の幅がある。主著の刊行年は、大槻の『言海』(1889–1891)から、有坂の『音韻論』(1940)まで、五十年ほどに及ぶ。

九人の一覧

学者生没年この特集で読んだ主著特集で確かめた核心
大槻文彦1847–1928『言海』(1889–1891)五十音順、発音、品詞、日本語による語釈という、辞書の型を、ほぼゼロから設計した
上田万年1867–1937『国語のため』(1897)、同 第二(1903)ハ行はもとP音だった。同じ人が、「国語」を国家の課題として語った
金沢庄三郎1872–1967『国語の研究』(1910)物の名から動作の語が生まれる、という語源の眼。日韓同系論は未証明
山田孝雄1873–1958『日本文法論』(1908)「陳述」と係り結び。先人を名指しで検討してから自説を語った
新村出1876–1967『日本の言葉』(1940)文献の証拠で語源を追い、言い切る範囲を区切り、間違えれば直した
松下大三郎1878–1935『標準日本文法』(1924)「を」「に」は単語ではなく、詞の部品。助詞・助動詞を品詞から外した
橋本進吉1882–1945『新文典別記』(1935)、『古代国語の音韻に就いて』(1942)文節と、上代特殊仮名遣。「確かめられる事実」を積み上げた
折口信夫1887–1953「国語と民俗学」(1937)、「語根論の断簡」(1931)言葉を、古代の暮らしと信仰から読む。推測の限界を自分で断った
有坂秀世1908–1952『音韻論』(1940)橋本が見つけた「二つの音」の正体に迫り、「音とは何か」を問い直した

四つの筋

九人は、それぞれ違うことをした。だが、ならべてみると、四つの筋に分けて読める。

  1. 音の筋——上田のP音、橋本の上代特殊仮名遣、有坂の法則と『音韻論』。(第2記事)
  2. 文法の筋——大槻の品詞、山田の陳述と係り結び、橋本の文節、松下の「部品」。(第3記事)
  3. 語の筋——大槻の辞書、新村の語源、金沢の語源、折口の語の読み。(第4記事)
  4. 「国語」という課題の筋——上田の「国語と国家と」、金沢の「朝鮮に於ける国語問題」、そして、辞書や文法が「国語」の名で作られたこと。(第5記事)

一人の学者は、複数の筋にまたがることがある。たとえば、橋本は、音の筋と文法の筋の両方に現れる。上田は、音の筋と、「国語」の筋の両方に現れる。金沢は、語の筋と、「国語」の筋の両方に現れる。

九人に共通する姿勢

九人の特集を通して、繰り返し出てきたことが、二つある。

一つは、「確かめられること」と「推測」を分ける姿勢。 橋本は「確かめられる事実」を土台にし、新村は「間違えれば直す」と書き、折口は自分の推測の限界を自分で断り、金沢も、「まだ不完全」と断っている。その線引きが十分でなかった箇所(たとえば、金沢の、規則的な音の対応を示さないままの比較)は、後の時代に、証明されなかったものとして整理されている。

もう一つは、身近な日本語を対象にしたこと。 「花を」「おこりっぽい」「涙」「とても」「いとほし」。九人は、ふだん使う日本語の、小さな事実から、大きな問いを引き出した。

この特集群の読み方

この五本は、九つの特集を、置き換えるものではない。一人ひとりの中身は、それぞれの特集の記事を読んでほしい。

まとめ

論点内容
九人大槻、上田、金沢、山田、新村、松下、橋本、折口、有坂(1847〜1908年生まれ)
時代生まれた年の幅は約六十年。生きた時代は重なり合う
四つの筋音、文法、語、「国語」という課題
共通する姿勢「確かめられること」と「推測」を分ける。身近な日本語から出発する

一言でいえば——九人は、辞書、文法、語源、音という、それぞれ違う入口から、同じ一つの日本語に向き合った。その入口の違いを、四つの筋として、次の記事から見ていく。