『文章読本』の附録は、「質疑応答」である。十五の問いが並び、三島が、それぞれに答える。本文が、章ごとに筋を通した論であるのに対し、こちらは、ずっと自由な調子である。(ページ数は、全体像の記事で述べた版による。)
十五の問い
| 問 | 問いの内容 | 三島の答えの要点 |
|---|---|---|
| 一 | 人を陶酔させる文章とは | 文章は、論理的なものでも、人を陶酔にさそう。酔いにも高級・低級がある |
| 二 | エロティシズムの描写はどこまで許されるか | 文学が与えるのは、観念的な刺戟である |
| 三 | 「文は人なり」とは | 文章が作家と一体になったとき、はじめて文章と言える |
| 四 | 文章は生活環境に左右されるか | 決意と理想の問題。階級で文章を評価する風潮に反感 |
| 五 | 動物を表現した良い文章 | 志賀直哉『城の崎にて』を挙げる。即物的な描写が象徴に達する |
| 六 | 最も美しい紀行文 | 木下杢太郎の文章 |
| 七 | 子供の文章について | 奇抜さと生々しさが魅力だが、年とともに薄れる |
| 八 | 小説第一の美人は誰か | 小説では、「第一の美人」と書けばそうなる。言語の抽象性 |
| 九 | 主人公が征服する女の数 | 事実の数は、芸術の数を超えうる。小説は数を援用する |
| 十 | 文章を書くときのインスピレーション | 詩人・作家たちの、奇妙な習慣を挙げる |
| 十一 | ユーモアと諷刺の違い | ユーモアは毒がなく、諷刺は毒がある |
| 十二 | 性格描写について | 性格の概念は、二十世紀以来、小説であまり重要でなくなった |
| 十三 | 方言の文章について | 方言は、言語と大地の結びつき。最も翻訳しにくい |
| 十四 | いい比喩とは | 適切な比喩は、読者のイメージを生き生きさせるが、小説の統一を分散させる危険もある |
| 十五 | 造語とは | 文学者の造語は、切実さがなければ意味がない |
この記事では、そのうち五つの問いを、少し詳しく見る。
問十三:方言の文章
三島は、方言が文学の中で持つ力の例として、谷崎潤一郎の『細雪』を挙げる。もし東京弁で書かれていたら、どれだけ違うか想像してほしい、と言う。谷崎は生粋の江戸っ子だが、上方に移住してから、方言の面白さに心を奪われた、と述べる。
方言は、「言語と大地との結びついた、特産物」であり、小説のなかで最も翻訳不可能な部分だ、と三島は言う。そして、方言を駆使するには、一つの外国語を修得するくらいの苦労がいる。三島は、自分の経験を語る。
私の如きなまけ者は、『潮騒』という小説を書くときは、いったん全部標準語で会話を書き、それをモデルの島出身の人に、全部なおしてもらったのであります。(p.222)
一方、戯曲の方言については、辛辣である。どこの国とも限定されない世界を出すために、奇異な方言を使うことは、一種の邪道で、方言がそれだけでリアリティを与えるかの如き錯覚を観客の耳に与える、麻薬だ、と言う。そういう方言で戯曲を書く新人劇作家を、三島は「技術的逃避」だと考える(p.222–223)。
問十四:いい比喩
三島は、比喩には、長所と危険がある、と言う。適切な比喩は、小説の文章が抽象的で乾燥したものになるのを救い、読者のイメージを生き生きとさせ、物事の本質を一瞬でつかませる。しかし、比喩の欠点は、小説が統一し、単純化し、結晶させた世界を、比喩が、さまざまなイマジネーションの領域へ分散させてしまうことだ。比喩を使いすぎると、軽佻浮薄になり、堅固な小説の世界を、花火のように爆発させてしまう、と言う。
三島は、コクトーの小説から、いくつかの比喩を挙げて見せる。(本文は、この記事では引用しない。)
問十一:ユーモアと諷刺
三島は、ごく簡単に言えば、と断ったうえで、ユーモアは毒のないもの、諷刺は毒のあるものだ、と言う。諷刺は、ものを偏見のない目で、成心なしに眺め直したときに生ずる、グロテスクな効果をねらう。そして、しばしば、動物の目、小人の目、異人種の目など、人間以外の目、ふつうでない目を借りる、と述べる。『ガリヴァー旅行記』や、モンテスキューの『ペルシャ人の手紙』が、その例に挙がる。
一方、ユーモアは、人間生活の内部にある、潤滑油のようなものだ、と三島は言う。緊張のときに、人間の窮屈な神経を解きほぐす。ユーモアは、「理知のもっともなごやかな形式」だ、と述べる。
問八:小説第一の美人は誰か
三島は、「これはごく易しい質問です」と始める。小説のなかで、「彼女は古今東西の小説のなかに現れた女性のなかで第一の美人であった」と書けば、それが第一の美人になる。言語が抽象的な性質をもつからだ、と言う。これが、劇や映画と、小説の本質的な違いだ、というのである。
小説は、それ自体で成り立つ「小宇宙」であり、歴史のように、事実の裏付けを必要としない。しかし、三島が読んだなかで最も神に近い美女は、リラダンが描いた「ヴェラ」だ、と答える。
問十五:造語
三島は、造語とは、字引に出ていない言葉のことだ、と言う。例として、久米正雄が作った「微苦笑」が、今日では誰でも知る言葉になったことを挙げる。これは、小説家のセンスが、人間のまぎれもない表情をとらえて、新しい言葉で表現を与えた例である。
ただし、文学者の造語は、流行語とは違う。いままでにある言葉では表現できないことを、言葉を曲げても表現しようとする、最大の切実さがなければ、意味がない、と三島は述べる。新人の小説で、やたらに造語が使われているのは、それだけで誠実さを欠く、とも言う。
読むうえで、確かめておきたいこと
第一に、この附録は、本文より、三島の断定が強い。 「ごく易しい質問です」のように、簡潔に言い切る箇所が多い。答えの根拠は、示されないことが多いので、三島の見方として読むのがよい。
第二に、性や暴力にかかわる問い(問二、問九など)は、この記事では触れていない。 三島の答えは、この本の枠のなかで読めるが、ここでは、文章の技術に関わる問いを、優先した。
第三に、三島が例に引く作品(谷崎、志賀、大江ほか)の多くは、著作権が存続している。 この記事は、それらの本文を引用していない。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 附録の性格 | 十五の問いに、三島が簡潔に答える。本文より自由な調子 |
| 方言 | 言語と大地の結びつき。『潮騒』の会話は、標準語で書いて島の人に直してもらった |
| 比喩 | 生き生きさせるが、小説の統一を分散させる危険がある |
| 諷刺とユーモア | 諷刺は毒があり人間以外の目を借りる。ユーモアは潤滑油 |
| 造語 | 切実さがなければ意味がない |
一言でいえば——附録では、三島は、文章の技術を、方言、比喩、造語といった、具体的な問いを通して語り、本文より、率直に自分の好みを示している。