この特集では、漱石の日本語を、対句のリズム、漢語と和語、文体の使い分け、方言と俗語という、6本の記事で読んできた(全体像)。ここで、確かめられたことと、慎重に扱うべきことを、整理する。

確かめられたこと

対句という、漢文由来の技法を、口語的な文体に取り込んでいたこと(第2記事、精読)は、『草枕』冒頭の、具体的な文の構造から、直接確かめられる。

漢語と和語という、二つの語彙を、場面に応じて使い分けていたこと(第3記事)も、『草枕』の、わずか数段落のあいだの、文体の落差から、具体的に確認できる。

小説の「だ・である」体と、講演の「であります」体を、場面に応じて使い分けていたこと(第4記事)も、『坊っちゃん』と『私の個人主義』、それぞれの実際の文末を比較すれば、誰でも確認できる。

方言や俗語を、物語の中心に据えることを恐れなかったこと(第5記事)も、『坊っちゃん』と『吾輩は猫である』の、具体的な会話文から、確かめられる。

慎重に扱うべきこと

一方で、漱石をめぐる逸話のなかには、この特集の範囲では確認できない、あるいは、根拠が薄いとされているものもある。もっとも有名な例が、「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳した、という逸話だろう。この話は、広く語られているが、漱石自身の著作や書簡のなかに、この逸話の直接の出典は見つかっておらず、後年になって広まった、根拠の乏しい伝説である可能性が高い、と指摘されている。この特集では、この逸話を、確かめられた事実としては扱わない。

漱石の日本語について語るとき、こうした、魅力的だが検証の難しい逸話と、実際の文章から直接確認できる技法とを、きちんと切り分けることが、大切である。

幅の広さこそが、漱石の日本語

この特集を通して読むと、漱石の日本語を、一つの言葉で要約することの難しさが、かえってよく分かる。対句の簡潔さと、漢語の難解さ。小説の「だ・である」と、講演の「であります」。江戸弁の啖呵と、伊予弁の「ぞなもし」。猫の尊大な語りと、車屋の黒の伝法な物言い——これらは、単一の「漱石文体」に収斂するのではなく、言文一致という、まだ形の定まっていなかった新しい日本語の、可能性の幅を、それぞれの方向へ押し広げてみせた、実験の集積として読むのがよい。

確かめられたこと、慎重に扱うべきこと 確かめられたこと 対句という漢文由来の技法 漢語と和語、文体の使い分け 方言・俗語を物語の中心に据える姿勢 慎重に扱うべきこと 「月が綺麗ですね」の逸話 著作・書簡に直接の出典なし 根拠の薄い、後年の伝説の可能性 図:ToL(この特集の6記事の分析による)
確かめられたこと、慎重に扱うべきこと。図:ToL

まとめ

分類論点
確かめられたこと対句の技法、漢語と和語の使い分け、複数文体の使い分け、方言・俗語の導入
慎重に扱うべきこと「月が綺麗ですね」の逸話など、出典の確認できない伝説
漱石の日本語の核心単一の文体ではなく、言文一致という新しい日本語の可能性を、複数の方向へ押し広げた幅の広さ

一言でいえば——漱石の日本語は、対句、漢語、複数の文体、方言・俗語という、具体的な技法の集積として確かめることができる。その幅の広さこそが、まだ形の定まっていなかった近代日本語に、漱石が残した、もっとも確かな足跡である。