この特集の名前は、「近代古典の国語」である。この「国語」という言葉は、九人の学者にとって、ただの学問の対象ではなかった。国の言葉を作る、という課題と、結びついていた。(全体の年表)
この記事は、称賛も断罪もせず、当時、何が書かれたかと、後の時代に、どう扱われたかを、分けて振り返る。
国の仕事として始まった辞書
大槻文彦の『言海』は、文部省の命で始まった。1875年ごろ、文部省編輯局長の西村茂樹の命により編纂が始まり、命令から初版の完結まで、約14年かかった(大槻文彦の特集)。
国が、国語の辞書を必要とした。その辞書が、五十音順、発音、品詞、日本語による語釈という、日本語の辞書の型になった。この特集群で確かめられるのは、ここまでである。辞書の編纂と国家の関係を、これ以上に踏み込んで論じることは、この特集群の範囲を超える。
上田万年——「国語と国家と」
上田万年は、音の研究者であると同時に、「国語」を国家の課題として語った(上田万年の特集)。
判定記事は、二つを分けて採点した。標準語は、もとは方言で、人の手で発達したものだ、という考え方は、言文一致と同じ方向のものとして、考え方として残った。一方、「言語の一致と人種の一致」を守れ、という「国語と国家と」の主張は、後の時代に、大きく問い直された。
同じ人が、証拠に基づく音の研究者であり、同時に、時代の子としての国語の提唱者でもあった。判定記事は、この二つの顔を、分けて読むことを勧めている。
金沢庄三郎——「朝鮮に於ける国語問題」
金沢庄三郎の『国語の研究』(1910)が出たのは、日本が朝鮮を併合した年である。巻末近くの「朝鮮に於ける国語問題」は、その政治的な場面で書かれた(金沢庄三郎の特集)。
原文で確かめられるのは、次の二つの面である。
- 日本語だけでの急な置き換えには、慎重だった。 言語の発達は、思いのままには左右できない、と述べた。
- その慎重さは、朝鮮語を対等な言語とみることを意味しなかった。 朝鮮語を「帝国の一方言」として、帝国語のなかに包み込むべきものと位置づけ、この枠組みは、日韓同系論と結びついていた。
後の時代の研究者たちは、こうした同系論・同祖論が、植民地支配の下で、日本や日本語の支配を正当化する議論に、しばしば結びつけて用いられたことを、批判的に論じてきた。学問の上で証明されなかった仮説が、政治の場で、確かなもののように用いられた。この点は、金沢個人への評価とは別に、同系論という仮説の、その後の歴史として、確かめておく必要がある。(金沢の判定記事)
二つの例から、見えること
上田と金沢の例に共通するのは、学問の上の主張と、政治の上の主張が、同じ人の同じ著作のなかで、混ざっていたことである。判定記事は、いずれも、それを分けて読むことを、一貫して勧めていた。
- 学問の上の主張のうち、証拠のあるものは、残った(P音、物の名⇄動作の語など)。
- 証拠の示されなかったものは、証明されなかった(日韓同系論)。
- 政治の上の主張は、学問の当否とは別に、時代の事実として、記録された。
「国語」という言葉のもとで、学問と政治が、ときに同じ紙面に並んだ。この事実を、忘れずに記憶することが、この特集群の、一つの目的でもあった。
この特集群の限界
最後に、この特集群で、読めていないことを、正直に書いておく。
一、時代を代表する人を、すべて取り上げたわけではない。 当初の候補のうち、時枝誠記は、原典が国立国会図書館で自由に閲覧できないため、取り上げていない。九人の選び方も、原典が自由に閲覧できるかどうかという、実務上の条件に、左右されている。
二、扱った分野は、音、文法、語、そして「国語」という課題に限られる。 文字、方言、敬語、文章のスタイルなどは、扱っていない。
三、九人の主著の、ほんの一部しか読んでいない。 たとえば、松下大三郎の『標準日本文法』は660ページを超えるが、読んだのは総論、原辞論の総説、品詞論の一部である。他の特集でも、読んだのは、主著のなかの選んだ箇所である。
四、「現在の扱い」は、一般に知られた整理である。 各判定記事は、個々の論文を、一つずつ確認したものではない。最新の研究で、評価が変わっている可能性は、常にある。
五、影響関係は、確かめた範囲でしか結んでいない。 橋本と有坂のような、特集のなかで確かめた関係は書いたが、それ以外の影響の線は、断定していない。
今後の候補としては、柳田国男『蝸牛考』、伊波普猷『古琉球』などがある。時枝誠記も、原典を自由に閲覧できるようになれば、取り上げたい。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 大槻 | 文部省の命で始まった辞書。国家との関係の論及は、この特集群の範囲外 |
| 上田 | 学問の主張(P音、標準語)は残り、「言語の一致と人種の一致」は問い直された |
| 金沢 | 急な置き換えには慎重。だが、朝鮮語を「帝国の一方言」とする枠組みは、日韓同系論と結びついた |
| 見えること | 学問の主張と政治の主張は、同じ著作のなかで混ざっていた。分けて読む |
| 限界 | 時枝誠記を取り上げていない。分野は限られ、主著の一部しか読んでいない。「現在の扱い」は一般的整理 |
一言でいえば——「国語」という言葉のもとで、学問と政治は、ときに同じ紙面に並んだ。証拠のある学問は残り、証明されなかった仮説は、政治の場で、必要以上の重さを負った。私たちは、その両方を、分けて記憶する。