前の記事では、『言海』が国家事業として始まり、一人の手で完結したことを見た。この記事では、その仕事が、のちの日本語辞典にどう受け継がれていったかをたどる。

「見出し語・発音・品詞・語釈」という型の生存

別の記事で見たとおり、『言海』は、単語一つひとつに、見出し語・発音(アクセント)・品詞・語釈という、複数の情報を一組にして示す構造を確立した。この構造は、今日、書店に並ぶどの国語辞典を開いても、そのまま見つかる。 『広辞苑』(岩波書店、1955年初版)も、『大辞林』(三省堂)も、『新明解国語辞典』(三省堂)も、細部の流儀は違えど、単語を五十音順に並べ、品詞を示し、日本語による語釈を与えるという骨格そのものは、『言海』から一貫して受け継いでいる。

直接の後継者——『大言海』

もっとも直接的な継承者は、大槻文彦自身による『大言海』である。『言海』の刊行後、大槻は、収録語数を大幅に増やし、語源の考証をさらに深めた拡大版の編纂に、晩年まで取り組み続けた。この仕事は大槻の生前には完結せず、没後、弟子たちの手によって整理され、1932年から1937年にかけて刊行される。一人の生涯だけでは終わらない仕事だった、という事実そのものが、『言海』という出発点がどれほど大きな仕事だったかを物語っている。

『言海』1889–1891 五十音順 発音・品詞・語釈 という骨格の確立 『大言海』1932–1937 大槻自身による 大幅増補版 没後、弟子が完成 現代の国語辞典 広辞苑・大辞林 新明解国語辞典…… 同じ骨格を継承 130年以上にわたって、辞書の「型」そのものが受け継がれ続けている
『言海』から現代の国語辞典まで、一つの骨格の生存。図:ToL

「型」が残り、「中身」は書き換えられる

ここで見逃せないのは、受け継がれたのが、あくまで辞書の構造——並べ方・情報の組み合わせ方——であって、個々の語釈の中身そのものではない、という点である。概説記事で見たとおり、『言海』は明治という時代の産物であり、収録された語彙や語釈のなかには、当然、当時の社会通念や知識の限界がそのまま反映されている部分もある。しかし、「単語をどう並べ、どんな情報を、どんな順序で示すか」という設計そのものは、内容が書き換えられても揺らがない、骨格として生き続けている。

これは、このサイトのブルークマンの特集で読んだ物語——優れた方法論的道具(星印の記法、体系比較)は生き延び、危うい世界観(言語は歴史を持たない自然物だ、という主張)は後世に修正された——と、よく似た構図でもある。『言海』の場合も、辞書としての「骨格」は今日まで生き延び、個々の「内容」は、時代とともに絶えず更新され続けてきた。

まとめ

論点内容
受け継がれた骨格五十音順・発音表記・品詞分類・語釈という、単語一つに複数情報を組み合わせる構造
直接の後継大槻自身による大幅増補版『大言海』(没後、弟子の手で完成)
骨格と中身の分離辞書の「型」は生き続けるが、個々の語釈の「中身」は時代とともに更新される

一言でいえば——『言海』が本当に後世に遺したのは、個々の語釈の中身ではなく、日本語辞典が「どうあるべきか」という設計図そのものだった。