アリストテレス(Ἀριστοτέλης, 前384–前322)の『命題論』(Περὶ ἑρμηνείας、ラテン語で De interpretatione)は、論理学の基礎をなす小さな著作である。『オルガノン』(論理学著作群)の第2書、『カテゴリー論』の次に置かれる。全14章、どれも短く、一文が畳みかける。テーマは——ことばはどうやって何かを意味し、どこで真偽が生じるのか。
師プラトンは『クラテュロス』で「名前は自然か取り決めか」を未決のまま残した(記事 041)。アリストテレスは、その問いに一行で答えを出す。
1. 意味の連鎖——もの、心、声、文字
Ἔστι μὲν οὖν τὰ ἐν τῇ φωνῇ τῶν ἐν τῇ ψυχῇ παθημάτων σύμβολα, καὶ τὰ γραφόμενα τῶν ἐν τῇ φωνῇ. (Spoken sounds are symbols of the affections in the soul, and written marks are symbols of spoken sounds. ギリシア語引用の日本語訳・英訳は L/LAB による。以下同じ。)
声のうちにあるものは、心のうちの印象の記号であり、書かれたものは声の記号である。
声も文字も民族ごとに違う。だが、それらが第一に指し示す「心のうちの印象」は万人に同じで、その印象が写しとる「もの」も同じだ——アリストテレスはそう置く。
2. 「取り決めによる」——クラテュロスへの答え
名詞(ὄνομα)の定義に、鍵の一語が入る。「取り決めによって(κατὰ συνθήκην)」。
Τὸ δὲ κατὰ συνθήκην, ὅτι φύσει τῶν ὀνομάτων οὐδέν ἐστιν, ἀλλ᾿ ὅταν γένηται σύμβολον. (By convention — because no name exists by nature, but only when it becomes a symbol.)
「取り決めによって」というのは、名前はどれ一つ自然によって在るのではなく、記号となってはじめて名前になる、という意味だ。
けものの鳴き声(ἀγράμματοι ψόφοι)も何かを表わす。だがそれは名前ではない。名前は、共同体の取り決めによって「記号となる」ものだからだ。プラトンが保留した二択に、アリストテレスはノモスの側で決着をつけた(記事 043)。この判断が、2000年後のソシュール「記号の恣意性」まで、西洋の主流であり続ける。
3. 真偽は「文」にだけ宿る
「人間」だけ、「白い」だけでは、まだ何も主張していない。真偽が生まれるのは、それらを結合(σύνθεσις)または分離(διαίρεσις)したとき——「人間は白い」「人間は白くない」。そしてすべての文(λόγος)が真偽をもつわけではない。「祈りは文ではあるが、真でも偽でもない」——祈り・命令・問いは修辞学や詩学の領分で、論理学が扱うのは主張文(λόγος ἀποφαντικός)だけだ(記事 045)。
4. 明日、海戦は起こるか
第9章は、論理学史でもっとも有名な難問を立てる。「明日、海戦が起こる」という文は、いますでに真か偽か。もしすべての文が今すでに真か偽に定まっているなら、明日のことはすべて必然で起こることになり、思案も行動も無意味になる。アリストテレスの答え(解釈は割れている)は——「明日、海戦が起こるか起こらないか」という全体は必然だが、どちらか一方がいま真なのではない(記事 047)。
まとめ
| 論点 | 『命題論』での答え |
|---|---|
| ことばはどう意味するか | 声は心の印象の記号、文字は声の記号。取り決めによる |
| 名前は自然か取り決めか | 取り決め。「自然によって在る名前は一つもない」 |
| 名詞と動詞の違い | 動詞は「時」をいっしょに示す(προσσημαίνει χρόνον) |
| 真偽はどこに宿るか | 語ではなく、語を結合・分離した主張文に |
| 祈り・命令は | 文ではあるが真偽なし。修辞学・詩学へ |
| 未来の文は今すでに真か | 選言全体は必然、各項は未定(海戦の難問) |
なぜ今も読まれるか
- 論理学の出発点——肯定・否定・矛盾・全称/特称の枠組みは、中世の「対立の四角形」を経て、現代の論理学の初歩にそのまま生きている。
- 「命題」という単位——真偽を担うのは語ではなく文だ、という切り分けは、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の「命題は現実の像である」まで一本の線でつながる。
- 記号の恣意性——「取り決めによる」は、ソシュールが第一原理として立て直すまで、言語観の土台であり続けた。
- 未来と決定論——海戦の章は、ストア派、中世のスコラ学、そして20世紀のウカシェヴィチによる三値論理(真・偽・不定)まで、論争を生み続けている。