このサイトのグリムの特集、そしてマックス・ミュラー特集で読んできたとおり、子音の規則的な対応を最初に体系立てて示したという功績は、「グリムの法則」という名前とともにヤーコプ・グリムに帰せられている。だが、ここまでこの特集で読んできたとおり、その4年前に、同じ現象をすでに示していたのはラスクだった。この不均衡は、どこから生まれたのか。

デンマーク語という壁

もっとも大きな要因の一つは、単純に発表された言語だった。ラスクの懸賞論文はデンマーク語で書かれ、デンマークで出版された。当時のヨーロッパの学問世界で広く読まれていた言語は、ラテン語、フランス語、そして急速に存在感を増しつつあったドイツ語である。デンマーク語で書かれた論文は、デンマーク語を読める研究者にしか届かない。グリムがこの論文の重要性に気づけたのも、彼自身が北欧の言語に強い関心を持ち、デンマーク語を読む素養があった、稀有な読者だったからにほかならない。同じ内容がドイツ語で書かれていたら、学界での受け止められ方はまったく違っていただろう。

「先に示した」と「体系立てて示した」の違い

もう一つの要因は、示し方の違いにある。ラスクの本を読むと、子音の対応は、個々の単語の比較のなかに、繰り返し、しかし分散した形で現れる——この特集の別の記事で読んだ ventus/vindur のような例の積み重ねが、それにあたる。一方グリムは、1822年の『ドイツ語文法』第2版で、この対応関係を一枚の表にまとめ上げた。ギリシア語・ゴート語・古高ドイツ語を縦に並べ、p・t・k の対応を一望できる形に整理したのは、グリムの仕事である。発見の先取権と、後世に残る「かたち」を与えることは、別の技能だ——ラスクは前者を、グリムは後者を成し遂げた、と言ってよい。

ラスク(1818年) デンマーク語で発表 先取権はあるが、分散した形 読者が限られた グリム(1822年) ドイツ語で発表 一枚の表として体系化 広く読まれ、名前が定着 先に見つけることと、後世に残る形を与えること——両方が揃って初めて名前が残る
ラスクとグリム、功績の分かれ目。図:ToL

言語学史における、もう一つの評価軸

とはいえ、言語学史の専門家のあいだでは、ラスクの功績はけっして忘れられていない。「グリムの法則」という名前を英語圏やドイツ語圏の教科書がそのまま使い続ける一方で、北欧の言語学史では、ラスクこそが比較言語学という方法の真の founder(創始者)だと位置づける見方が根強い。実際、この特集の概要記事で見たとおり、グリム自身、ラスクの論文を読んだことが1822年の改訂の直接のきっかけになっている——功績を「発見」の一点だけで測るなら、その針は間違いなくラスクを指す

まとめ

論点内容
発見の先後ラスクが1818年、グリムより4年早く同じ現象を示した
名前が残らなかった要因1デンマーク語で発表され、読者が限られた
名前が残らなかった要因2分散した形での提示にとどまり、一枚の表として体系化しなかった
専門家の評価言語学史では、比較言語学の真の創始者をラスクに求める見方も根強い

一言でいえば——「グリムの法則」という名前は、体系化した者の名を歴史に刻むという、学問の世界のならわしの結果だった。先に見つけた者の名前は、その陰に隠れがちだが、消えたわけではない。