このサイトのグリムの特集で読んだとおり、ヤーコプ・グリムは1822年、『ドイツ語文法』第2版の1ページに、のちに有名になる対応表を書き込んだ。だがグリム自身は、この発見に固有の呼び名をつけなかった。「グリムの法則」という名前を英語圏の公衆に広め、定着させたのは、ミュラーの講演だった。

講演1回をまるごと捧げる

1863年の第2シリーズ、その第5講。ミュラーはこの回のタイトルをそのまま**「グリムの法則」**(Grimm’s Law) とし、こう切り出す。

I intend to devote to-day’s Lecture to the consideration of one phonetic law, commonly called Grimm’s Law, a law of great importance and very wide application, affecting nearly the whole consonantal structure of the Aryan languages. (本日の講義は、通例グリムの法則と呼ばれる一つの音韻法則の検討にまるまる充てるつもりである。これは、アーリア諸語の子音構造のほぼ全体に関わる、きわめて重要かつ広く適用される法則である。)

「通例(commonly called)」という言い回しに注目したい。1863年の時点で、この法則はすでにある程度「グリムの法則」と呼ばれ始めていたようだ。だがそれを一般公衆向けの人気講演のタイトルとして正面から掲げ、出版という形で広く流通させたという点で、ミュラーの功績は大きい。

グリムより新しいデータで、さらに磨く

ミュラーはここで、ただ名前を広めただけではない。グリムの1822年の表にはなかったサンスクリット語のデータを使って、法則そのものをより整理された形に再提示してみせる。子音が調音される地点を喉音・歯音・唇音の三つに整理し、それぞれの地点に硬音・軟音・帯気音という三通りの発音がありうる、という土台から説き起こす。

グリムの表がギリシア語・ゴート語・古高ドイツ語の三言語だけを並べていたのに対し、ミュラーはサンスクリット語を加えた、より広い比較の枠組みで法則を組み立て直した。サンスクリット語には、無声音・有声音に加えて「有声帯気音」(gh, dh, bh のような音) がきれいに揃って残っていた——グリムの時代にはまだ十分に活用されていなかったこの資料が、法則をより体系的な形に磨き上げる材料になった。三つの言語を並べたグリムの表を、ミュラーは実質的に四言語(サンスクリット語・ギリシア語・ラテン語・ゲルマン語派)の比較へと広げ、のちの教科書に載る「標準形」に近い形へと整えてみせたことになる。

グリム(1822年) ギリシア語・ゴート語・古高ドイツ語 固有の名前はまだない ミュラー(1863年) +サンスクリット語のデータ 「グリムの法則」と命名、公衆に広める 名前を与え、データを補い、講演という形で世に広めた——三つの仕事が重なっている
グリムの表に、名前とサンスクリット語のデータを加えたミュラー。図:ToL

名前が広まるということ

発見そのものと、その発見の呼び名が定着することは、別の出来事だ。グリムの表は1822年からそこにあったが、それが「グリムの法則」という固有名詞つきで、英語圏の一般読者にまで届いたのは、ミュラーの講演のおかげだった。学問の歴史は、発見した人物だけでなく、それを語り直し、広めた人物によっても形づくられる——この特集の次の記事で見る、ミュラー自身の比較神話学の理論にも、同じことが言える。

まとめ

論点内容
グリムの表(1822年)固有の呼び名はまだなかった
ミュラーの講演(1863年)講演の1回をまるごと「グリムの法則」に充てる
ミュラーが加えたものサンスクリット語のデータによる、より整理された再定式化
結果「グリムの法則」という名前が、英語圏の公衆に定着する

一言でいえば——「グリムの法則」というよく知られた名前は、グリム一人の仕事ではなく、発見した人物と、それを語り広めた人物の、二段構えの仕事の産物だった。