この特集では、『文章読本』第七章「文章技巧」を、6本の記事で読んできた(全体像)。外貌と服装、自然と心理、行動と文法。三島由紀夫が並べたこの六つの技巧論のうち、どれが、原文と実例によって確かめられ、どれが、三島個人の美意識にとどまるかを、ここで整理する。

確かめられたこと

固有名詞と外貌描写の逆説は、三島自身が組み立てた例文(「彼女の眼は美しかった……」)によって、具体的に示されていた(第2記事)。詳しく書くほど、かえって像が結ばれないという逆説は、読者が自分で試すことのできる、実践的な観察である。

服装描写の盛衰は、尾崎紅葉『金色夜叉』と横光利一『寝園』という、パブリックドメインの原典によって、具体的に裏づけられていた。和服の描写が、いかに精緻な語彙を要求したかは、原文を読めば、誰でも確認できる。

**行動描写の「第三者性」**は、『太平記』の一節によって、文の構造そのものから確かめることができた(精読①)。動詞だけが連なり、心理や感情を表す語がほとんど現れないという観察は、原文を数えれば、誰でも再現できる、客観的な分析である。

擬音詞の対比も同様に、『夫婦善哉』の具体的な一節と、鷗外の抑えられた使い方とを並べることで、確かめることができた(精読②)。

三島個人の見立てにとどまること

一方、**「日本の作家は風景描写にかけて世界に卓絶した名手」**という評価(第3記事)は、比較文学上、実証されたものではない。東洋画の伝統との類比は、示唆に富むが、あくまで三島の主観的な美意識に基づく主張であり、読者が原文で「確かめる」ことのできる種類の観察ではない。

同じく、**「心理描写は平安朝以来の日本文学の十八番」**という評価も、三島の高い評価として読むのがよく、この特集では、その具体例(武田泰淳、幸田文)を、著作権上の理由から、直接には確認できなかった。

人称をぼかす日本語の文法技法についての議論(第4記事)は、『源氏物語』への言及こそあれ、この特集では、原本のスキャンの精度上、その細部を十分に再現できなかった。日本語が人称を省略しやすいという事実そのものは、広く認められた言語学的な特徴であるが、三島がそこから引き出す、文学的な含意の当否は、この特集の範囲では判定できない。

章全体の性格

第七章は、『文章読本』のなかで、もっとも「ハウツー」に近い章である。だが、そのハウツーは、普遍的な文章作法というより、三島自身の、豊富な読書体験から抽出された、個人的な観察の集積という性格が強い。第一章で示された「読者」の分類や、第三章で示された小説の文章論と同様、三島の技巧論は、実証的な理論というより、すぐれた読み手であり書き手であった一人の作家が、自分の実感を、体系だてて語り直したものとして読むのが、もっとも実りが多い。

六つの技巧論——確かめられることと、三島の見立て 原文で確かめられる 外貌描写の逆説 服装描写の盛衰(紅葉・横光) 行動描写の第三者性(太平記) 擬音詞の対比(夫婦善哉・鷗外) 三島個人の見立て 自然描写の世界的卓越 心理描写の平安朝以来の系譜 人称をぼかす技法の文学的含意 図:ToL(この特集の6記事の分析による)
確かめられることと、三島個人の見立て。図:ToL

この特集で、扱わなかったこと

第七章には、幸田文、武田泰淳をはじめ、著作権が存続している可能性の高い作家からの引用が、複数含まれている。この特集では、それらの本文を直接には引用せず、三島の議論の要旨にとどめた。原文にあたりたい読者は、中公文庫版などの原本を、直接参照されたい。

まとめ

分類論点
確かめられること外貌描写の逆説、服装描写の盛衰、行動描写の第三者性、擬音詞の対比
三島個人の見立て自然描写の世界的卓越、心理描写の系譜、人称論の文学的含意
章全体の性格体系的な理論というより、すぐれた読み手・書き手の、個人的な観察の集積

一言でいえば——第七章の技巧論は、具体的な引用によって確かめられる部分と、三島個人の美意識にとどまる部分とが、綯い交ぜになっている。両者を切り分けて読むことが、この章をもっとも実り豊かに読む方法である。