夏目漱石が1914年(大正3年)11月25日、学習院輔仁会で行った講演「私の個人主義」は、漱石の思想がもっとも直接に語られた文章の一つである。専門的な文学論ではなく、若い聴衆に向けて、自分の半生と、そこから摑み取った考えを、平易な言葉で語った記録だ。この特集は、7本の記事で、この講演を原文で読む。

落語のまくらから始まる講演

講演は、いきなり本題には入らない。漱石は、自分がなぜここへ呼ばれたのかをぼやき、落語のまくらのような小話を挟む。ある大名が、鷹狩の途中で百姓家の秋刀魚を旨いと感じ、後日、家来に骨を抜かせて上品に調理させたところ、少しも旨くなくなった、というオチである。「秋刀魚は目黒に限る」というこの小話を引いて、漱石は、学習院の生徒が自分のような部外者の講演をありがたがるのも、同じことではないか、とからかう。

この長い前置きのあと、漱石は、自分がかつて学習院の教師に落第した経験を語り、そこから、松山、熊本、そしてロンドン留学へと続く、自分自身の半生の話に入っていく。

二部構成——経験と議論

漱石自身が、この講演を「第一篇」と「第二篇」に分けている(第59段落)。

第一篇は、自分の経験の話である。大学で英文学を専攻したが、文学が何かわからないまま卒業し、ロンドンに渡っても、何をしていいかわからない「煩悶」の時代が続く。そして、ある時、自己本位という考えにたどり着き、そこから、ようやく自分の進むべき道を見出す。

第二篇は、そこから引き出される、より一般的な議論である。学習院の生徒たちは、将来、権力や金力を持つ人間になるだろう、と漱石は言う。そこで、権力には義務が、金力には責任が伴わなければならないこと、そして、自分の個性を発展させると同時に、他人の個性も尊重しなければならないことを説く。最後に、個人主義が、国家主義と対立するものではないことを論じて、講演は終わる。

第一篇——経験 英文学専攻、ロンドンでの煩悶 自己本位の発見(「嚢」と「鶴嘴」の比喩) 第二篇——議論 権力・金力・義務・自由 個人主義と国家主義は対立しない 導入:目黒の秋刀魚という落語のまくら 図:ToL(講演の構成による)
「私の個人主義」の二部構成。図:ToL

この特集の構成

記事内容
1(この記事)全体像
2自己本位の発見——ロンドンの「嚢」と「鶴嘴」
3権力と金力、そして義務
4自由と義務——個人主義の定義と、三宅雪嶺事件
5個人主義と国家主義は対立しない
6精読:「嚢」から「鶴嘴」への比喩の展開
7判定:いま読んでも通用すること、時代の制約

パブリックドメインの原典

漱石は1916年に没しており、日本の著作権保護期間(没後70年)のもとで、すでにパブリックドメインである。この特集の引用は、青空文庫が公開する本文(底本「漱石全集」ちくま文庫)に拠り、原文をそのまま引用できる。前回の三島特集のように、著作権存続中の作家からの引用を避ける必要はないが、それでも、この特集では、漱石自身の議論を伝えるために必要な範囲の引用にとどめ、ToLの分析を中心に据える。

まとめ

論点内容
発表1914年11月25日、学習院輔仁会における講演
構成第一篇(経験:自己本位の発見)、第二篇(議論:権力・金力・義務・自由・国家主義)
著作権漱石は1916年没。パブリックドメイン
特徴専門的な文学論ではなく、若い聴衆に向けた、平易な言葉での思想表明

一言でいえば——「私の個人主義」は、漱石が、自分の挫折と発見を語りながら、権力と金力を持つことになる若者たちに、義務と自由の関係を説いた講演である。