この記事で分かること

先に結論です。 『講義』(1916年)は、ソシュールが書いた本ではありません。ソシュールは、1906年から1911年に、ジュネーヴ大学で三回の一般言語学講義を行い、1913年に亡くなりました。没後に、同僚のバイイとセシュエが、学生たちの受講ノートをもとに、全体を「再構成」したのが、この本です。編者自身が、序文で、それを「再創造」と呼んでいます。

引用は1916年のフランス語原典(初版序文)から。日本語訳は ToL によります。

原文を読む

序文は、三回の講義の概要を述べたあと、ソシュールが書き残したものが、ほとんどなかったことを明かします。

Tous ceux qui eurent le privilège de suivre cet enseignement si fécond regrettèrent qu’un livre n’en fût pas sorti. Après la mort du maître, nous espérions trouver dans ses manuscrits, mis obligeamment à notre disposition par Mme de Saussure, l’image fidèle ou du moins suffisante de ces géniales leçons ; nous entrevoyions la possibilité d’une publication fondée sur une simple mise au point des notes personnelles de Ferdinand de Saussure, combinées avec les notes d’étudiants. Grande fut notre déception : nous ne trouvâmes rien ou presque rien qui correspondît aux cahiers de ses disciples ; F. de Saussure détruisait à mesure les brouillons hâtifs où il traçait au jour le jour l’esquisse de son exposé ! Les tiroirs de son secrétaire ne nous livrèrent que des ébauches assez anciennes, non certes sans valeur, mais impossibles à utiliser et à combiner avec la matière des trois cours.

ToL訳 この実り豊かな講義を聴く特権に恵まれた者は皆、そこから一冊の本が生まれなかったことを惜しんだ。師の死後、私たちは、ソシュール夫人が好意で提供してくださった遺稿の中に、これらの天才的な講義の、忠実な、少なくとも十分な像が見つかることを期待した。ソシュール自身の個人的なノートを整理し、学生のノートと組み合わせて出版できるのではないか、と見込んでいた。ところが、私たちの失望は大きかった。弟子たちのノートに対応するものは、何一つ、あるいはほとんど見つからなかったのだ。ソシュールは、日々、講義の草案を書きつけた走り書きの下書きを、そのつど、破棄していたのである。机の引き出しから出てきたのは、かなり古い草稿だけだった。価値がないわけではないが、三つの講義の素材と組み合わせて使うことは不可能だった。

では、どうしたのか。

Nous nous sommes arrêtés à une solution plus hardie, mais aussi, croyons-nous, plus rationnelle : tenter une reconstitution, une synthèse, sur la base du troisième cours, en utilisant tous les matériaux dont nous disposions, y compris les notes personnelles de F. de Saussure. Il s’agissait donc d’une recréation, d’autant plus malaisée qu’elle devait être entièrement objective ; sur chaque point, en pénétrant jusqu’au fond de chaque pensée particulière, il fallait, à la lumière du système tout entier, essayer de la voir sous sa forme définitive en la dégageant des variations, des flottements inhérents à la leçon parlée, puis l’enchâsser dans son milieu naturel, toutes les parties étant présentées dans un ordre conforme à l’intention de l’auteur, même lorsque cette intention se devinait plutôt qu’elle n’apparaissait.

ToL訳 私たちは、より大胆だが、より合理的でもあると信じる解決に落ち着いた。第三の講義を土台にして、手元にあるすべての素材(ソシュール自身の個人的なノートを含む)を用い、再構成、すなわち総合を試みることである。つまり、それは「再創造」であった。しかも、完全に客観的でなければならない分だけ、いっそう難しかった。一つ一つの点で、個々の思想の奥底まで入り込み、体系全体の光に照らして、その思想を最終的な形で捉え直す。話された講義につきものの、ゆらぎや揺れを取り除き、それから、自然な位置にはめ込む。どの部分も、著者の意図にかなった順序で示す。たとえ、その意図が、はっきり現れているというより、推し量るほかない場合にも、である。

解説1:三回の講義と、ノートの出どころ

序文の別の箇所から、材料の出どころが分かります(ToL による要約)。

講義時期メモ
第1回1906–1907年ソシュールが、ジュネーヴ大学でこの職を継いだのは1906年
第2回1908–1909年
第3回1910–1911年序文は、三回のうち最も重要なものとする。『講義』は、これを土台にした

解説2:「再創造」とは、何を意味するか

編者は、材料をそのまま並べる出版を、いくつかの理由で退けています。

そこで選んだのが、「再創造」です。これは、編者が、ソシュールの体系の全体像を考えたうえで、各部分を、最終的な形に置き直す作業です。編者は、「完全に客観的でなければならない」と述べますが、同時に、「意図が、推し量るほかない場合もあった」と認めています。つまり、編者の解釈が入っているのです。

解説3:『講義』の「ソシュール」とは誰か

この事情から、『講義』に書かれている主張を「ソシュールの言葉」と呼ぶとき、次のことに注意が必要です。

la linguistique a pour unique et véritable objet la langue envisagée en elle-même et pour elle-même.

ToL訳 言語学の唯一にして真の対象は、それ自体において、それ自体のために考察された言語(ラング)である。

この文は、最終章の末尾にありますが、編者は、脚注(Ed. の表記)で、その章が「「回顧的言語学」(第5部)の内容ではないが、本全体の結論として役立ちうるので、ここに置いた」と断っています。つまり、結論としての配置は、編者の判断です。後の研究では、学生ノートとの対照から、この文自体が、編者による総括的な表現だとする指摘もあります。(ToL による補足で、細部は専門の研究で確認してください。)

解説4:その後の研究

『講義』のあとにも、ソシュール研究は続きました。(以下は ToL による補足で、細部は各自で確認してください。)

これらにより、『講義』の「ソシュール像」と、ソシュール自身の考えの間に、ずれがあることが、詳しく議論されるようになりました。

解説5:読む・引用するときの心得

『講義』を、実際に読むとき・引用するときの、実用的な指針です。(ToL による整理です。)

場面心得
書名を書く「ソシュール『一般言語学講義』」ではなく、「(バイイ・セシュエ編)」を添えるとより正確
主張を紹介する「ソシュールは言った」より、「『講義』によれば」「『講義』は述べる」
用語を使う「ラング」「パロール」「シニフィアン/シニフィエ」は、『講義』(編者版)の用語として扱う
疑問が残ったとき『講義』だけで断定せず、学生ノートや自筆原稿の研究を参照する

これは、『講義』を軽んじる話ではありません。編者が、ソシュールの考えを、世に残す本にしたからこそ、言語学は、ここから出発できたのです。

まとめ

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