概要で見た後期の中心概念を、原文で追う。前期『論考』は「名は対象を代理し、命題は事実を写す」と考えた。後期『哲学探究』は、その「名=対象」という像そのものを、冒頭で標的にする。
1. アウグスティヌスの言語像
『哲学探究』は、アウグスティヌス『告白』の引用から始まる。大人が物を指し、その名を口にするのを見て、子どもは少しずつ言葉を覚えた——という回想だ。ウィトゲンシュタインはこれを、こう受ける。
Diese Worte, so scheint es mir, geben uns ein bestimmtes Bild von dem Wesen der menschlichen Sprache. Nämlich dieses: Die Wörter der Sprache benennen Gegenstände — Sätze sind Verbindungen von solchen Benennungen. (These words, it seems to me, give us a particular picture of the essence of human language. Namely this: the words of the language name objects; sentences are combinations of such names. (§1))
これらの言葉は、私には、人間の言語の本質についての、ある特定の像を与えているように思われる。すなわち——言語の語は対象に名を与える。文は、そうした名づけの連結である。(§1。ドイツ語引用の日本語訳・英訳は L/LAB による。以下同じ)
この像は、「机」「椅子」のような語にはよく当てはまる。だが「五」「赤い」「いや」「おはよう」「もし」には? ウィトゲンシュタインは有名な買い物の場面を出す。「赤いリンゴ五つ」と書いた紙を店に持っていく。店員は「リンゴ」の引き出しを開け、「赤い」の色見本と照らし、「五」まで数を唱えながらリンゴを取り出す——「では『五』という語の意味はどうなっているのか」。「その語がどう使われるかを問うたのだ。意味を問うたのではない」(§1)。
2. 建築現場——「完全な原始的言語」
石を運ぶ現場を考える(§2)。棟梁 A が叫び、助手 B が石を運ぶ。使われる語は四つだけ——「ブロック」「柱」「石板」「梁」。A が「石板!」と言うと、B は石板を持ってくる。ウィトゲンシュタインはこれを「完全な原始的言語」と呼ぶ。ここで「石板!」は、命令なのか、名前なのか、「石板を持ってこい」の省略なのか。答えは——この言語ゲームのなかでは、その区別に意味がない。語の働きは、それが埋め込まれたやりとりの全体で決まる。§8 では、この言語に数詞、「そこ」「これ」といった指示語、色見本が足されていく。言語は、原始的なゲームから拡張されていく。
3. 言語ゲームとは何か
Ich werde auch das Ganze: der Sprache und der Tätigkeiten, mit denen sie verwoben ist, das »Sprachspiel« nennen. (I will also call the whole — of language and the activities into which it is woven — the “language-game.” (§7))
私は、言語と、それが編み込まれている諸活動との全体を、「言語ゲーム」と呼ぶことにする。(§7)
そして §23——「言語ゲーム」という語は、「言語を話すことが、ある活動の、ある生活形式(Lebensform / form of life)の一部であることを、際立たせる」ためのものだ。§23 は言語ゲームの例を列挙する——命令する、記述する、報告する、仮説を立てる、物語る、劇を演じる、なぞなぞを解く、冗談を言う、訳す、頼む、感謝する、罵る、挨拶する、祈る。「この多様さを、論理学者たちが言語について言ってきたこと(この本の著者を含めて)と比べてみよ」。前期の自分への、はっきりした訂正だ。
4. 意味とは使用である
Die Bedeutung eines Wortes ist sein Gebrauch in der Sprache. (The meaning of a word is its use in the language. (§43))
語の意味とは、それが言語のなかで用いられる、その使用である。(§43)
ただし §43 は、これを「すべての場合ではないが、『意味』という語が使われる大きな一群の場合について」と限定する。意味=使用は、万能の定義ではなく、方向転換の合図だ。「語の意味は何か」と問う代わりに、「この語は、どういう場面で、どう使われているか」を見よ。
道具箱の比喩(§11)——ハンマー、ペンチ、のこぎり、ねじ回し、ものさし、膠。形も働きもばらばら。「語も同じだ」。機関車の運転台の比喩(§12)——レバーはどれも似た形(手で握るためだ)。だが一つは連続可変のクランク、一つは二択のスイッチ、一つは引くほど効くブレーキ。語も、見た目の「名詞」「動詞」に惑わされず、何をしているかを見なければならない。
5. 「指し示し」では意味は決まらない
「意味=対象」の像を最後に崩すのが、直示的定義(ostensive definition) の分析だ。ナッツを二つ指して「これが『二』だ」と教える。だが学習者は、「二」を——そのグループの名だと取るかもしれない。ナッツの色の名だと、形の名だと、方角の名だと取るかもしれない(§28)。指さしだけでは、何を指しているかが決まらない。「名を問えるようになるには、すでに何かを知って(あるいはできて)いなければならない」(Man muß schon etwas wissen … um nach der Benennung fragen zu können, §30 / “one must already know something to ask what a thing is called”)。
直示的定義が働くのは、「その語が言語ゲームで果たす役割が、すでに明らかなとき」だけだ(§30)。チェスを知らない人に、キングの駒を指して「これがキングだ」と言っても、駒の動かし方を知らなければ意味がない(§31)。意味は、指さしの一点ではなく、ゲーム全体が支えている。
6. 古い都市——次の主題へ
「私たちの言語は、古い都市と見なせる(eine alte Stadt)——小路と広場の入り組んだ迷路、古い家と新しい家。そしてそれを、まっすぐで規則正しい街路をもつ多くの新しい郊外が取り囲んでいる」(§18 / “an old city … surrounded by a multitude of new suburbs with straight, regular streets”)。
日常言語は、計画されずに育った旧市街だ。「五つ」「赤い」「いや」といった語は、どこかに整然と収まってなどいない。だから「言語」に共通の本質を求めても見つからない——見つかるのは、部分的に重なり合う類似だけだ。これが次の主題、家族的類似である。
まとめ
| 節 | 要点 |
|---|---|
| §1 | 「語=物の名、意味=対象」はアウグスティヌスの像。一部にしか当てはまらない |
| §2, §8 | 建築現場の「完全な原始的言語」。語の働きはやりとり全体で決まる |
| §7, §23 | 言語ゲーム=言語+それが編み込まれた活動。話すことは「生活形式」の一部 |
| §11–12 | 語は道具・レバー。見た目でなく機能を見よ |
| §28–31 | 直示的定義は、ゲームでの役割が分かっていて初めて働く |
| §18 | 言語は無計画に育った古い都市 |
つながり
- 「意味は使用」は、ソシュールの langue/parole でいえば parole(現場の発話)の側から意味を立て直す試み。ソシュールが体系(langue)を見たのに対し、後期ウィトゲンシュタインは実践を見る。
- 「形式(名詞・動詞)でなく機能を見よ」は、サピアが『言語』第4〜5章で言った「形式と機能は独立」 と、方向がよく似ている。
- 言語ゲーム論は、のちの発話行為論(オースティン、サール)や語用論の土台の一つになった。