この記事で分かること
- 「親が教えるから、子どもは言語を覚える」という考えは、なぜ成り立たないのか
- チョムスキーの「刺激の貧困」論証とは、どんな論証か
- 「構造に依存する規則」を、英語の疑問文で、自分で確かめる方法
先に結論です。 子どもは、親が示した例だけからでは決まらないことを、教わらないうちから知っています。その一つが、文は、語の直線的な並びではなく、句のまとまりでできているということです。ピンカーは、これを、疑問文の作り方と、子どもへの実験で示し、これが「言語の基本設計は生得的だ」というチョムスキーの論証の、中核だと説明します。
前提:チョムスキーの二つの事実(p.22)
ピンカーは、チョムスキーの論点を、二つにまとめます。
virtually every sentence that a person utters or understands is a brand-new combination of words, appearing for the first time in the history of the universe.
ToL訳 人が口にし、あるいは理解する文は、ほぼすべてが、まったく新しい語の組み合わせで、宇宙の歴史で初めて現れるものである。
だから、言語は、「応答の目録」ではなく、無限の文を作れるプログラム(心的な文法)を、脳が持っているはずだ、というのが一つ目。二つ目は、子どもが、教えられずに複雑な文法を発達させ、聞いたことのない新しい文にも、一貫した解釈ができる、ということです。ここから、子どもには、すべての言語に共通する設計(普遍文法)が、あらかじめ備わっている、と議論は進みます。
「親が教える」という俗説(pp.39–40)
ピンカーは、まず、「親が教える」という考えを、検討します。
- 文法の授業をする親は、いない。しかし、母親が、無意識に教えている、と考える児童心理学者はいる。それが「マザリーズ」(赤ちゃん言葉)だ。
- 現代の中流のアメリカでは、親は、幼児が、人生のレースに遅れないよう、見守ることを、責任と考える。この感覚が、マザリーズが必要だという信念につながる。
- ところが、別の文化を見ると、様子が違う。カラハリ砂漠のサン族は、子どもに「座る、立つ、歩く」を、教え込まねばならないと信じ、砂で支えて立たせる。それでも、子どもは、自力で座れるようになる。教えなくても、子どもは、その能力を発達させる。
- 多くの共同体では、親は、まだ話せない幼児に、そもそも話しかけない。理屈は、「言葉が分からない子に、話しかけても無駄だ」。ピンカーは、サウスカロライナの女性の言葉を引き、そういう環境でも、子どもが、周りの会話を聞いて、完全に文法的な方言を話すようになる、と述べます。
つまり、マザリーズは、言語習得の必須条件ではない、というのが、ピンカーの結論です。
一角獣の疑問文(pp.40–42)
では、子どもが、教わらずに知っていることとは何か。ピンカーが取り上げるのは、チョムスキーの有名な例です。
平叙文を疑問文にする、簡単な手順を、考えてみます。
- A unicorn is in the garden.(一角獣が庭にいる)
- 助動詞 is を、文の先頭に移す → Is a unicorn in the garden?
うまくいきます。では、この「文を左から読んで、最初に出会った助動詞を、前へ動かす」という手順を、次の文に使うとどうなるか。
A unicorn that is eating a flower is in the garden.(花を食べている一角獣が、庭にいる)
最初の is を動かすと、Is a unicorn that eating a flower is in the garden? という、おかしな文になります。正しくは、2番目の is を動かして、Is a unicorn that is eating a flower in the garden? です。
なぜ、最初の is ではないのか。チョムスキーによれば、答えは、言語の基本設計にあります。
- 文は、語の直線的な並びではなく、語が句にまとめられ、さらに大きな句になる、構造を持つ。
- 疑問文の規則は、「最初に出てくる助動詞」を探すのではなく、「主語の名詞句の、すぐあとに来る助動詞」を探す。
- 「a unicorn that is eating a flower」という主語の句は、全体で、一つの単位として振る舞う。最初の is は、その内部に埋まっていて、規則からは見えない。
これを、構造に依存する規則と呼びます。
なぜ、これが「教わっていない」証拠か
チョムスキーの推論は、こうです(pp.41–42)。
- もし、言語の論理が、子どもの脳にあらかじめ組み込まれているなら、二つの助動詞を持つ文に初めて出会ったときから、正しい疑問文を作れるはずだ。
- 一方、「直線的に数える規則」のほうが、単純で、覚えやすいはずだ。
- 構造に依存する規則が正しいと、子どもに教える文(二つ目の助動詞を、主語句の中に持つ疑問文)は、母親の話し言葉の中には、ほとんどない。
ピンカーは、これを、「入力の貧困からの論証」と呼ぶ、とまとめます(p.42)。
子どもへの実験(p.42)
この主張は、実験でも確かめられた、と、ピンカーは述べます。心理言語学者クレインと中山が、3歳、4歳、5歳の子どもたちに、次のような遊びをさせました。
- 実験者が、「スター・ウォーズ」のジャバ・ザ・ハットの人形を持つ。
- もう一人の実験者が、子どもに、「ジャバに、『不幸な男の子は、ミッキーマウスを見ているか』と聞いてごらん」と指示する。
- ジャバは、絵を見て、「はい/いいえ」と答える。試されているのは、ジャバではなく、子どもだ。
子どもたちは、機嫌よく、適切な疑問文を作りました。チョムスキーの予測どおり、単純な線的規則が作る、誤った文を作った子は、一人もいなかった、とピンカーは言います。
「意味で判断しているのでは?」への再反論(pp.42–43)
「主語が何かを、意味から推測しているだけでは」という反論も、考えられます。そこで、クレインと中山は、意味のない it を使った質問も混ぜました。「ジャバに、この絵で雨が降っているか聞いて」。Is it raining in this picture? の it は、何も指さない、文法のための穴埋めです。子どもたちは、これも、正しく処理しました。
さらに、ピンカーは、普遍的な制約が、有用性だけでは説明できないと述べます。助動詞を前に動かして疑問文を作る言語は、世界に散らばっているが、構造に依存する形で、必ず動かします。しかし、「最左の助動詞を動かす」「語の順を逆にする」といった、別の設計も、技術的にはありえた。人間の心は、鏡文字のような、逆順の発話も、やろうと思えば、できる。ところが、言語では、そうならない。これは、タイプライターのキー配列や、モールス信号のように、独立に、同一の規格を作った、というのと同じくらい、不自然だ、というのです(p.43)。
「-s」の一致(pp.43–45)
もう一つの証拠が、英語の三人称単数の「-s」です(He walks)。現代英語では、これは、ほとんど不要な、古い体系の名残です。しかし、使うには、四つの点を、毎回覚えておく必要があります(p.44)。
| 注意する点 | 例 |
|---|---|
| 主語が三人称か | He walks / I walk |
| 主語が単数か複数か | He walks / They walk |
| 現在か過去か | He walks / He walked |
| 習慣か、いまの動作か(アスペクト) | He walks to school / He is walking to school |
しかも、子どもは、この4つの要因を、文中のあらゆる情報(最後の語の音節数や、前置詞の目的語が、自然物か人工物か、など)から、取り出さなければなりません。
ところが、3歳半までに、子どもは、「-s」が要る文の9割以上で使い、禁じられる文では、ほぼ使わないとピンカーは言います(p.44)。サラ(仮名)という子は、Anybody knows how to scribble.、It looks like a donkey face. のような文を、正確に話しました(pp.44–45)。
さらに、サラは、親から聞いたはずのない形を話しました。He gots a scary one、She do’s what her mother tells her のような形です(p.45)。これは、自分で作った、無意識の一致規則の産物で、模倣では説明できません。そもそも、子どもが模倣者なら、飛行機の中で静かに座る親の習慣を、なぜ真似しないのか、とピンカーは皮肉ります(p.45)。
まとめ
- 親が教えなくても、子どもは、言語を身につける(サン族、サウスカロライナの例)。
- 子どもは、構造に依存する規則を、教わらずに使う(疑問文の実験)。
- 子どもは、自分で規則を作る(“gots”、“do’s” のような、聞いたことのない形)。
- ここから、ピンカーは、言語の基本設計は、子どもの側に、あらかじめあるはずだ、と論じる。
読むうえで
- 「刺激の貧困」論証は、今も議論の的です。入力だけで習得できる、という反論もあります(この特集では、その側の議論は扱っていません)。この記事は、ピンカーの示す論証の紹介です。
- 実験は、本の記述に従い、原論文は確認していません。
次に読む
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- 文の「木」の構造そのもの:文は「鎖」ではなく「木」である