橋本進吉の二つの仕事は、この特集で見てきたとおり、性格がまったく違う。一つは、現代の日本語を教室で教えるための、教える言葉。もう一つは、千三百年前の日本語を掘り起こすための、調べる道具。この二つは、橋本の死後、まったく異なる道をたどることになる。

文節——教室に根づいた言葉

まず、文節の運命から見てみよう。橋本は、1930年代に、教科書『新文典』とその解説書『新文典別記』(原文精読の記事で読んだ本の一冊)を書き、中等学校の生徒に日本語の文法を教えるための、体系を整えた。橋本が1945年に亡くなったあと、その体系は、戦後の学校での国語の授業の土台になったと、広く語られている。現在、中学校の国語の授業で、「ね」を入れて文を区切り、文節に分けさせる練習をするのは、この流れの延長にある。

山田孝雄の特集で見たとおり、この文節の体系は、山田が『日本文法論』(1908) で築いた、心理学を軸にした体系とは、まったく違う出発点から作られたものだった。山田の陳述論は、研究者のあいだで議論され続ける「理論」になった。橋本の文節論は、教室で日本語を教える「道具」になった。 同じ日本語文法という主題について、二人が、全然違う形で後世に残ったことになる。

橋本進吉(1882–1945) 文節 → 学校文法の土台 教室で日本語を教える道具に 上代特殊仮名遣 → 有坂秀世らの研究へ 八母音説・有坂の法則 一人の学者の二つの仕事は、その後まったく別の道を歩んだ
橋本進吉の二つの仕事の、その後。図:ToL

上代特殊仮名遣——有坂秀世への受け渡し

一方、もう一つの発見、上代特殊仮名遣は、橋本が『古代国語の音韻に就いて』(1942) のなかで、慎重に「音の正体は決めつけない」という立場をとった、あの問題を、より若い世代が引き継いだ。その代表が、有坂秀世(1908–1952)である。

有坂は、橋本が整理した万葉仮名の甲類・乙類の区別を、さらに深く掘り下げた。二つの流れがある。

橋本が「文字の使い分けという事実を、徹底的に整理する」ことで開いた扉の向こう側で、有坂が、その音が、語のなかでどう組み合わさっているのかという、次の問いに答えを出した、という関係になる。

二つの受け渡しの、共通点

文節と上代特殊仮名遣は、内容も後世への影響も違うが、共通していることがある。どちらも、橋本が「確かめられる事実」を出発点にして、その上に、後の世代が、自分たちの理論を積み上げていったということである。文節は、耳で確かめられる発音の切れ目。上代特殊仮名遣は、目で確かめられる文字の使い分け。この二つの、堅い土台があったからこそ、次の世代は、その上に、安心して、大胆な仮説を立てられた。

有坂秀世その人については、この「近代古典の国語」特集の別の回で、詳しく読む。

まとめ

論点内容
文節のその後学校文法の土台になったと広く語られ、教室で日本語を教える「道具」として根づいた
山田孝雄との対照山田の陳述論は研究者のあいだで議論され続ける「理論」に、橋本の文節論は教室の「道具」になった
上代特殊仮名遣のその後有坂秀世らが、母音の違いとして解釈する八母音説へと展開し、また、語のなかの母音の組み合わせの法則(有坂の法則)を発見した
共通点どちらも、橋本が出した「確かめられる事実」の上に、後の世代が自分たちの理論を築いた

一言でいえば——橋本進吉の二つの仕事は、一つは教室の道具として、もう一つは若い研究者たちの大きな仮説の土台として、それぞれ全然違う形で、日本語学のなかに生き続けた。