前の記事まで、「おれ」の江戸弁と、生徒たちの伊予弁を見てきた。だが、この小説には、もう一人、重要な語り手に近い存在がいる。「おれ」を幼い頃から可愛がった、女中の清(きよ)である。彼女の言葉は、江戸弁とも伊予弁とも違う、独特の丁寧さを持っている。

「お兄様はお父様が」——澄ました敬語

清は、「おれ」ばかりを可愛がり、兄には冷たい。その理由を尋ねられると、こう答える。

なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。

「お兄様」「お父様」「お上げなさる」——身内に対してさえ、尊敬語・美化語を欠かさない、古風な丁寧さである。「おれ」の「おれ」「兄さん」という、ぞんざいな呼び方とは、際立った対照をなす。清は、他の場面でも、同じ調子で「おれ」を評する。

あなたは真っ直でよいご気性だ。

あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だ。

「あなた」という二人称も、対等以上の相手に使う、敬意のこもった呼びかけである。奉公人でありながら、主家の末息子に対して、これほど丁寧な言葉を使い続けるところに、清という人物の、身分意識と愛情の両方が、同時に表れている。

長い手紙の文体

松山に赴任した「おれ」のもとに、清から長い手紙が届く場面がある。

坊っちゃんの手紙を頂いてから、すぐ返事をかこうと思ったが、あいにく風邪を引いて一週間ばかり寝ていたものだから、つい遅くなって済まない。その上今時のお嬢さんのように読み書きが達者でないものだから、こんなまずい字でも、かくのによっぽど骨が折れる。……読みにくいかも知れないが、これでも一生懸命にかいたのだから、どうぞしまいまで読んでくれ。

自分の非を詫び、「今時のお嬢さんのように」と、字の下手さを謙遜し、最後まで読んでほしいと頼む——この謙譲の文体は、話し言葉での敬語遣いとは、また違う、手紙という書き言葉に固有の礼儀を示している。地の文の説明も、これに呼応する。

大抵平仮名だから、どこで切れて、どこで始まるのだか句読をつけるのによっぽど骨が折れる。

漢字を多く使いこなす教育を受けていない、という清の生い立ちが、文字づかいそのものにも表れている、と「おれ」は観察している。

「坊っちゃん」——呼び名がそのまま、関係を示す

清は、「おれ」を、一貫して「坊っちゃん」と呼ぶ。手紙の宛名も、呼びかけも、すべて「坊っちゃん」である。これは、あだ名の記事で見た「狸」「赤シャツ」のような、皮肉やからかいを込めた呼び名とは、まったく性格が違う。愛情と、かつての主従関係を、そのまま保存した呼び名である。手紙の内容も、渾名について忠告するなど、養育者としての口調を崩さない。

ほかの人に無暗に渾名なんか、つけるのは人に恨まれるもとになるから、やたらに使っちゃいけない。

最後まで変わらない言葉

物語の最後、清は病で亡くなる。その死の前日の言葉が、この小説の結びに置かれる。

死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。

「後生だから」という懇願の言葉、「〜て下さい」という丁寧な依頼、そして「待っております」という謙譲語——臨終の場面でさえ、清の言葉づかいは、最初から最後まで、一貫して変わらない。

「おれ」 江戸弁・べらんめい調 「兄さん」「奴」 松山の生徒 伊予弁・「ぞなもし」 対等・からかいの言葉 清 古風な敬語・「お兄様」「あなた」 身分意識と愛情が同居 図:ToL(三者の言葉づかいの対照による)
三つの言葉づかいの対照。図:ToL

読むうえで、確かめておきたいこと

第一に、清の言葉づかいを、特定の地域方言として特定することは、この記事では行っていない。 「お兄様」「お上げなさる」といった敬語の多用は、地域よりも、世代・身分・奉公人という立場に由来する言葉づかいとして読むのが適切である。

第二に、清の描写は、あくまで「おれ」の一人称の視点を通したものである。 清自身の内面や、彼女が実際にどう話していたかを、客観的に確かめる手段は、この小説の外にはない。

まとめ

論点内容
敬語の多用身内にも「お兄様」「お父様」と敬称を使う、古風な丁寧さ
二人称「あなた」——対等以上の相手への敬意を示す呼びかけ
手紙の文体謙譲と詫びを重ねる、書き言葉固有の礼儀正しさ
一貫性臨終の場面まで、言葉づかいが最初から最後まで変わらない

一言でいえば——清の言葉は、江戸弁とも伊予弁とも異なる、身分意識と愛情が同居した、独特の古風な丁寧さを持ち、物語の最初から最後まで、揺らぐことがない。