前の記事で見たとおり、シュライヒャーは言語を、樫の木のような自然の有機体として捉えた。この発想は、言語の「歴史」全体を見る枠組みにも、そのまま引き継がれる。

言語の一生を、二つの段階に分ける

シュライヒャーは、あらゆる言語の一生を、大きく二つの時期に分けた。

第一の時期は「発展」の時代——言語が、まだ音や形の面で洗練されていない状態から、精巧な文法体系へと育っていく段階である。屈折語(ラテン語やサンスクリット語のように、語の中で語尾が細かく変化する言語)の複雑な活用・格変化のシステムは、この発展の頂点として姿を現す。

第二の時期は「衰退」の時代——いったん頂点に達した文法体系が、音や形のうえで、少しずつ崩れていく段階である。シュライヒャーの考えでは、私たちが歴史書や文献として知っている「有史時代」の言語は、すべてこの衰退期に属する。

つまり、今の私たちの言語は「衰退した」言語

ここが、シュライヒャーの主張の中でもとりわけ大胆な部分である。古代ギリシア語よりも現代ギリシア語のほうが、文法的には「単純」になっている。ラテン語よりもフランス語やイタリア語のほうが、語形変化の複雑さは失われている。 シュライヒャーは、こうした変化を「進歩」ではなく「衰退」(Verfall)と呼んだ。文字記録が残る歴史時代は、言語にとって、すでに最盛期を過ぎたあとの下り坂なのだ、と。

先史時代:発展 文字記録なし——精巧な文法へ 有史時代:衰退 私たちが知るすべての文献はここ 頂点
シュライヒャーの言語史観——頂点は、記録の残る歴史が始まる前にある。図:ToL

この史観が、のちの論争を生む

この「進歩ではなく衰退」という枠組みは、単なる一学説にとどまらなかった。この特集の後半で見るとおり、半世紀以上あとにオットー・イェスペルセンは、まったく逆の立場から言語変化を論じることになる——複雑な語形変化を失っていく過程を「衰退」ではなく「簡素化という名の進歩」として読み直したのである。同じ現象(屈折の単純化)を目の前にしながら、一方は「衰退」と呼び、他方は「進歩」と呼ぶ。この対立を理解する鍵は、次の記事でシュライヒャー自身の原文を読むことで、より鮮明になる。

まとめ

論点内容
第一段階先史時代——文法が単純な状態から精巧な体系へと「発展」する
第二段階有史時代——精巧な体系が音・形のうえで「衰退」していく
帰結記録に残るすべての言語史は、シュライヒャーにとって下り坂にすぎない
のちの対立イェスペルセンは半世紀以上あと、同じ現象を「進歩」として読み直す

一言でいえば——シュライヒャーにとって、歴史時代とは言語がすでに最盛期を過ぎたあとの、長い下り坂だった。