九人の学者のうち、「音」を扱ったのは、上田万年、橋本進吉、有坂秀世の三人である。三人は、同じ音の話をしているが、手にした証拠が、それぞれ違う。この違いを軸に、三人の仕事を並べる。(全体の年表)

三人の証拠

学者対象証拠の種類確かめた核心
上田万年ハ行の古い音現代語の、小さな事実(「おこりっぽい」「しめっぽい」の「ぽ」など)ハ行はもとP音だった、という推理
橋本進吉奈良時代の音の区別万葉仮名の使い分け(文字の書き分け)万葉仮名が、二つのグループに厳密に書き分けられている、という事実
有坂秀世奈良時代の母音、音とは何か語のなかの母音の組み合わせに隠れた規則有坂の法則。そして『音韻論』で、音の捉え方を問い直した

上田の証拠は、いま話されている言葉から出発する。橋本の証拠は、千三百年前の、文字の使い分けである。有坂の証拠は、語のなかの母音の組み合わせに隠れた規則性である。証拠が違うので、確からしさの種類も違う。

上田万年——現代語から、古い音を推理する

「おこりっぽい」の「ぽ」は、なぜ「ぽ」なのか。上田は、この小さな事実から、日本語のハ行は古くはP音だったと論じた(上田万年の特集)。

この推理は、現在の通説の骨格になった。ただし、詳しくは、p → ɸ → h という道すじで、p か ɸ かは今も議論が残る、というのが、判定記事の整理である。

橋本進吉——文字の書き分けという「事実」

橋本は、奈良時代の万葉仮名が、二つのグループに厳密に書き分けられていることを確かめた(上代特殊仮名遣)。橋本の特集の判定は、これを動かない前提とした(橋本進吉の特集)。

ただし、その二つの音の実際の姿は、まだ決着していない。八母音説を含め、複数の説が併存する。橋本が確かめたのは、書き分けがあるという事実であって、二つの音が何だったかは、別の問いだった。

有坂秀世——事実の「正体」を問う

その別の問いに取り組んだのが、有坂である。橋本が整理した甲乙の区別を、母音の違いとして解釈する道筋を、語の内側の規則性から支えた(有坂秀世の特集)。

有坂の法則は、一つの語根のなかで、乙類のオ列の母音が、ア・ウ・甲類のオ列の母音と共存しない、というものである。判定記事は、これを動かない土台とする。一方、八母音説(乙類の母音の実際の姿)は、有力だが決着していない。

そして有坂は、『音韻論』(1940)で、音とは何かという問い自体を組み立て直した。判定記事は、これを「答えではなく、問いの立て方として、生き続けている」と整理している。

上田万年 現代語から推理:ハ行はもとP音(通説の骨格。p か ɸ かは議論が残る) 証拠:「おこりっぽい」など、いま話される言葉 橋本進吉 万葉仮名は二つのグループに書き分けられている(動かない前提) 証拠:奈良時代の文字の使い分け。二つの音の姿は、決着していない 有坂秀世 有坂の法則(動かない土台)/八母音説(有力だが決着せず)/『音韻論』(問いとして残る) 証拠:語のなかの母音の組み合わせに隠れた規則 図:ToL(各特集の判定記事による。上田と橋本・有坂の間の影響関係は、この図では示していない)
音の筋——三人の証拠と、現在の扱い。図:ToL

読むうえで、確かめておきたいこと

第一に、橋本から有坂への筋は、有坂の特集で確かめた範囲で結ぶことができるが、上田と、橋本・有坂との関係は、この特集群では確かめていない。 上田も、音を扱った。だが、上田の推理が、橋本や有坂の仕事にどうつながるかは、ここでは、断定しない。図でも、線でつないでいない。

第二に、「動かない」「有力」「決着せず」は、それぞれ違う状態である。 書き分けがあるという事実と、その音の姿の説を、混ぜてはならない。

まとめ

論点内容
三人の証拠現代語の事実(上田)/文字の書き分け(橋本)/母音の組み合わせ(有坂)
動かないもの上代特殊仮名遣という事実。有坂の法則
有力だが決着せず八母音説(乙類の母音の姿)。P音のp か ɸ か
問いとして残る『音韻論』——音とは何か
注意上田と橋本・有坂の影響関係は、確かめていない

一言でいえば——音の筋では、現代語から古い音を推理する仕事と、古い文字の書き分けという事実を確かめる仕事、そのうえで正体を問う仕事、という三つの手つきが、それぞれの証拠の上に立っていた。