赴任初日、「おれ」は、松山中学校の同僚たちに、次々とあだ名をつけていく。前の記事で見た方言の摩擦とは別に、この小説には、もう一つの重要な言語現象——命名が埋め込まれている。
初日で、全員にあだ名がつく
赴任の挨拶が済んだその日のうちに、「おれ」は、清への手紙に、こう書く。
今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。
わずか一日の観察だけで、五人の同僚に、五つのあだ名がつけられている。それぞれの由来を、本文からたどってみよう。
狸——校長。赴任のその日、校長室で対面した第一印象がそのまま呼び名になる。「校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である」。
赤シャツ——教頭。「もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。……しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている」。着ている服の色が、そのまま呼び名になる。
うらなり——英語教師。「あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんです」という、子供の頃に聞いた説明を思い出し、顔色の悪い英語教師を、即座に「うらなり」と呼ぶ。皮肉なことに、「おれ」自身、うらなりの語源を正しく知らないと告白している。
山嵐——数学主任。「逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構」という、風貌からの命名である。ただし、この名には、もう一つ仕掛けがある。「山嵐」は「やまあらし」と読むが、これは、動物のヤマアラシ(豪猪)と、まったく同じ音である。「山」の「嵐」という、荒々しい風貌にふさわしい漢字を当てながら、実際の発音は、棘だらけの動物と同じ——風貌の乱暴さと、音の連想(棘、頑固さ)とが、一つの名前のなかで重なっている。
野だいこ——画学教師。芸人風の服装と、へつらうような話し方(「お国はどちらでげす」)から、幇間(たいこ持ち)を連想させる呼び名がつく。
あだ名は、性質からではなく、見た目から生まれる
ここで注目したいのは、これらのあだ名が、いずれも、人柄や内面を直接には説明していないことである。「狸」と「山嵐」は顔つき・風貌、「赤シャツ」は服の色、「うらなり」は顔色、「野だいこ」は服装と話し方——どれも、外見や、一度見聞きした印象から生まれている。
これは、三島由紀夫『文章読本』の外貌描写に関する記事で読んだ、「そらあの男、とても肥って……」という、名前を忘れたときの言い方と、同じ仕組みである。三島は、外貌描写が詳しくなるほど、かえって像を結ばないと論じたが、『坊っちゃん』のあだ名は、その逆をいく。一つの際立った特徴だけを切り取ることで、かえって、鮮やかに人物像を焼きつけるのである。
漱石自身が、13年後にこのあだ名を語る
興味深いことに、漱石は、1914年の講演「私の個人主義」のなかで、この小説の「赤シャツ」に、自ら言及している(『私の個人主義』の特集参照)。
「坊ちゃん」の中に赤シャツという渾名をもっている人があるが、あれはいったい誰の事だと私はその時分よく訊かれたものです。
自分がつけた架空の呼び名が、あまりに強い印象を残したために、読者から「モデルは誰か」と繰り返し尋ねられた——漱石自身のこの回想は、あだ名という言語技術の効果を、作者自身が証言しているものとして読むことができる。
あだ名は、呼ばれた者の運命にもなる
物語が進むにつれて、あだ名は、単なる渾名を超えて、人物の運命そのものと結びついていく。「赤シャツ」は、うらなり君の婚約者だった「マドンナ」に近づき、うらなり君を延岡へ追いやる。「山嵐」は、その不正を見抜いて赤シャツと対立する。あだ名で呼ばれ続けるうちに、その人物は、あだ名の持つイメージ——ずるさ、卑劣さ、滑稽さ——そのものを、体現していくかのように描かれる。
読むうえで、確かめておきたいこと
第一に、「あだ名が運命と結びつく」という読み方は、ToLによる文学的解釈であり、漱石自身がそう明言しているわけではない。 あだ名と、その後の展開との対応は、読者による後づけの意味づけである可能性もある。
第二に、あだ名の由来は、すべて「おれ」の視点からの説明である。 実際に同僚たちが、これらのあだ名で呼ばれていることを知っていたかどうかは、本文からは分からない。
まとめ
| あだ名 | 由来 | 対象 |
|---|---|---|
| 狸 | 薄髯、色黒、目が大きい——初対面の顔つき | 校長 |
| 赤シャツ | いつも赤いフランネルの襯衣を着ている | 教頭 |
| うらなり | 顔色の悪さ(うらなりの唐茄子の連想) | 英語教師 |
| 山嵐 | 逞しい毬栗坊主、悪僧のような面構。読みが動物のヤマアラシと同音 | 数学主任 |
| 野だいこ | 芸人風の服装、へつらうような話し方 | 画学教師 |
一言でいえば——『坊っちゃん』のあだ名は、内面を説明する代わりに、一つの外見的特徴だけを切り取ることで、かえって鮮やかに人物像を刻みつける、独特の命名技術である。