やさしい解説で見た発見の中身を、ここでは一項目ずつ、短く取り出す。どれも独立して読める。

1. なぜ判事が、こんな発見をしたのか

ジョーンズはイギリスからカルカッタに赴任した、最高裁判事だった。ヒンドゥー法とイスラーム法を、英語圏の法体系にきちんと組み込むための大部の法典を作ろうとしていて、そのためにサンスクリット語の原典を自分で読む必要があった。純粋な学問的好奇心だけでなく、仕事上の必要から言語を学んだ、という点が、この発見の出発点にある。

2. 一つの講演、四つの窓

ジョーンズは、インドの古代を知る手立ては四つしかないと考えた——言語と文字、哲学と宗教、彫刻と建築、諸学問と諸技芸。かの有名な発見があるのは、この最初の窓「言語と文字」を扱った部分だ。

3. サンスクリット語の発見そのもの

サンスクリット語は、ギリシア語やラテン語と、単語の響きだけでなく、動詞の活用や文法のしくみまで似ていた。ジョーンズは、これほど深い類似は偶然では起こりえないと考え、三つの言語がもともと一つの——今はもう存在しない——言語から枝分かれしたのだ、と結論づけた。

4. 借用と、共通の祖先の見分け方

単語だけなら、貿易や征服を通じて簡単に他の言語へ移る。でも文法の骨組みは、そう簡単には伝わらない。ジョーンズは、征服者の言語がふつう語彙しか残さないという歴史上のパターンを持ち出して、「借用」という可能性を退けた。残るのは「共通の祖先」だけだった。

5. 神話や宗教にも、同じ発想を広げた

ジョーンズは同じ比較のやり方を、ことば以外にも広げている。ギリシアの神々とヒンドゥーの神々のあいだに対応を見つけたり、プラトンの哲学とインドのヴェーダーンタ哲学が同じ源から来ているのではと考えたりした。だが同じ勢いで、北欧の神オーディンと仏陀を同一視するなど、明らかに行き過ぎた推測もしている。同じ一つの講演の中に、鋭い洞察と、危うい飛躍が同居していた。

6. 直観を、規則に変えた後継者たち

ジョーンズ自身は、「なぜ似ているか」の直観を示しただけで、「どの音がどの音に対応するか」までは示さなかった。その先を埋めたのは、彼の死後、ヨーロッパで育った次の世代の学者たち——フランツ・ボップ、ラスムス・ラスク、そしてヤーコプ・グリムだった。三十年余りをかけて、一人の判事の確信は、誰にでも検証できる法則へと鍛え上げられていく。